もう一度読み返したい! 名作童話の世界。
小社刊、宮川健郎編・名作童話シリーズ『宮沢賢治20選』に収録した、
<宮沢賢治童話紀行>を3回に分けて転載いたします。
作家の生誕地、作品が書かれた場所、空間を知ることによって、
より作品の世界を理解することができるでしょう。

シグナルの恋
 夕方、JR花巻駅に行って、駅舎と線路をながめる。線路は、東京へとつづいている。童話集『注文の多い料理店』の「序」には、「これらのわたくしのおはなしは、みんな林や野はらや鉄道線路やらで、虹や月あかりからもらってきたのです。」とあるけれども、線路は、ベーリング市へも(「氷河鼠の毛皮」)、銀河へも(「銀河鉄道の夜」)つづいている。
「シグナルとシグナレス」は、『注文の多い料理店』におさめられたものではないが、やはり、鉄道線路でもらったものだろうか。シグナルの柱がかたんと腕木をあげたときに、ふだんとはちがう風景が、かいま見えたのかもしれない。そこでは、シグナルとシグナレスが「ずうっと積まれた黒い枕木」をへだてて恋をささいていた。
「シグナルとシグナレス」は、いくつも歌が出てくる「歌物語」でもある。「ガタンコガタンコ、シュウフッフッ、/さそりの赤眼が 見えたころ、/四時から今朝も やって来た。/遠野の盆地は まっくらで、/つめたい水の 声ばかり。」と、作品のはじめで軽便鉄道がうたう歌。「ゴゴン、ゴーゴー、/うすい雲から/酒が降り出す、/酒の中から/霜がながれる。ゴゴンゴーゴー」という本線シグナル付きの電信柱がうたう、でたらめの歌。「かしわばやしの夜」の歌などそうだが、賢治童話のなかの歌は、どれも、読み調子がよくて、ことばの意味をわすれて、ことばのひびきやリズムを楽しんでしまう。
小岩井農場から盛岡へ
 旅の三日め。小岩井農場へむかう。「わたくしはずいぶんすばやく汽車からおりた/そのために雲がぎらっとひかったくらいだ」とは、賢治の詩「小岩井農場」の冒頭だが、私たちは、車でむかった。岩手山の南のふもとにある小岩井農場は、1891(明24)年の創業で、日本最大の民間総合農場だという。昨夜の雨はすっかり上がって、農場は、光にかがやいていた。賢治は、しばしば、ここをおとずれた。

小岩井農場(岩手県岩手郡雫石町)。

 童話「狼森(おいのもり)と笊森(ざるもり)、盗森(ぬすともり)」は、その書き出しにもあるように、小岩井農場の北の四つの黒い松の森にまつわる話だ。人間たちと森とのあいだを毎年いろいろなものが行き来する「交換」の物語だ。その行き来したものは、物語のなかで価値をおびていくことになる。子ども、農具、そして、粟が大切なものとして確認されることになる。

岩手大学農業教育資料館(盛岡高等農業学校本館)。

 そして、盛岡へ。宮沢賢治が中学と高等農林学校時代をすごした町、賢治の童話「ポラーノの広場」のことばでいえば、「モリーオ」である。不来方(こずかた)城跡である岩手公園の賢治詩碑を見たあと、岩手大学に行く。同大学農学部の前身が高等農林学校である。不作、凶作を繰り返す東北の農村を救うために、1902(明35)年に開校された盛岡高等農林学校で、賢治は、農芸化学を学ぶ。岩手大学構内には、高等農林の本館が保存され、現在は農業教育資料館になっている。資料館を見学して、賢治の指導教授だった関豊太郎が、凶作と海流の関係を究明する研究などをしていたことを知る。
 盛岡駅前の営業所にレンタカーを返し、午後4時半の東北新幹線にずいぶんすばやく飛びのった。東京へ帰る車内で、きのうの昼前に行った高村山荘のことを思い出した。宮沢賢治が、詩人であり彫刻家だった高村光太郎のアトリエをたずねたのは、1925(大14)年の上京のときだった。光太郎は、1936(昭11)年に、羅須地人協会(らすちじんきょうかい)があった高台に建てられた「雨ニモマケズ」の詩碑の揮毫をする。1945(昭20)年には、東京のアトリエが空襲で焼け、花巻の宮沢家に疎開をする。敗戦後は、岩手県稗貫(ひえぬき)郡大田村山口に小屋を建て、1952(昭27)年に帰京するまで、そこで暮らした。 
 高村光太郎や草野心平が、没後に賢治を広めていくために力をつくした。最初の宮沢賢治全集、文圃堂(ぶんぼどう)版の全三巻は、光太郎の装丁、心平の「刊行の辞」で出版された(1934~35年)。生前、ほぼ無名だった宮沢賢治は、現在は国民的な作家・詩人になった。本書におさめた「雪渡り」「やまなし」「注文の多い料理店」「狼森と笊森、盗森」に小学校の国語の教科書で出会った人も多いだろう。「注文の多い料理店」は、中学や高校の教科書にものるし、「紫紺染(しこんぞめ)について」「ざしき童子のはなし」「セロ弾きのゴーシュ」「よだかの星」も、高校の教科書に掲載されることがある。
 新幹線の車窓の風景が暮れていく。花巻・盛岡から東京に帰る道は、さながら、賢治が生きた明治から昭和初年代にかけてから、現代へともどってくる道のようだった。

(付記)賢治の作品等の引用は、本書に収録したものは、その表記にしたがい、それ以外のものは『新校本 宮澤賢治全集』(筑摩書房)に拠った。ただし、現代かなづかいにするなど、表記については適宜手を入れた。

著書紹介
『名作童話を読む 未明・賢治・南吉』春陽堂書店
名作童話をより深く理解するための一書。児童文学作家、未明・賢治・南吉文学の研究者による鼎談。童話のふるさと写真紀行、作家・作品をさらによく知るためのブックガイドを収録しています。
『名作童話小川未明30選』春陽堂書店
一冊で一人の作家の全体像が把握できるシリーズ。「赤いろうそくと人魚」で知られる、哀感溢れる未明の世界。年譜・解説・ゆかりの地への紀行文を掲載、未明の業績を辿ることができる一冊です。
『名作童話宮沢賢治20選』春陽堂書店
初期作品から後期作品まで、名作20選と年譜、ゆかりの地を訪ねた紀行などの資料を収録、賢治の業績を辿ることができる一冊です。
『名作童話新美南吉30選』春陽堂書店
初期作品から晩年の作品まで、名作30作を収録、南吉の身辺と社会の動向を対照した年譜8頁、ゆかりの地を辿る童話紀行を収録しています。南吉の業績を辿ることができる一冊です。
この記事を書いた人
宮川 健郎(みやかわ・たけお)
1955年、東京都生まれ。立教大学文学部日本文学科卒。同大学院修了。現在武蔵野大学文学部教授。一般財団法人 大阪国際児童文学振興財団 理事長。『宮沢賢治、めまいの練習帳』(久山社)、『現代児童文学の語るもの』(NHKブックス)、『本をとおして子どもとつきあう』(日本標準)、『子どもの本のはるなつあきふゆ』(岩崎書店)ほか著者編著多数。『名作童話 小川未明30選』『名作童話 宮沢賢治20選』『名作童話 新美南吉30選』『名作童話を読む 未明・賢治・南吉』(春陽堂書店)編者。