なんか洞窟のなかをゆっくりいくみたいに
「この穴はだれにもわたしません、って言われたことある?」「え、ないよ」「そういえば漱石にね」「うん」
本多真弓さんの歌集『猫は踏まずに』を読んでいたら、こんな穴の歌があった。
ほんたうのことを教へてあげようかわたしの穴はもう閉ぢてゐる 本多真弓
この歌にあるように、「穴」と「ほんたうのこと」はつながっている。わたしたちが穴にちかづくとき、わたしたちはほんとうのことにちかづいている。その穴がとじていたとしても、つづいていたとしても。
そういえば、わたしは穴からやってきたひとりだった。でも、あなたも、そうだと、おもう。わたしたちはまた穴へいつかかえっていくんだろうか。
「あ、なんか穴があいてる」「でもまっくらだね、風がもれてる」「なにか棲んでるのかも、この穴に」「でも、《こっち側》が穴じゃないってどうしてわかるの?」
ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』も、穴からはじまる。穴をどんどん落ちてゆく。穴のなかには笑いだけ残してきえる猫がいた。穴と出会い。
漱石の『坑夫』も穴の中を地獄のように探検する小説だ。穴の奥には安さんがいて、地獄の底で坑夫となってかんかんたたいて、生きて、働いている。主人公は、死んではいけない、とおもう。穴と決意。
井原西鶴の『好色一代男』だって、穴をめぐる一代かぎりの孤独な男の冒険と考えてもいいのかもしれない。世之介は男女問わないさまざまな穴の遍歴をおえて、最終的に死出の旅にでる。穴と死。
「漱石の『明暗』のさいしょって覚えてる?」「『やっぱり穴が腸まで続いているんでした』」
穴は、かたちをかえ、場所をかえ、おおきさをかえ、物語をかえ、なんどもなんどもやってくる。●