くっつくとゆらゆらゆらゆらする無

竹井紫乙さんの川柳の、ずーっと善悪にゆらゆらしているとこがすきだ。

紫乙さんの第一句集は『ひよこ』だが、かわいいタイトルとはうらはらに、きわどい愛の様相が描かれている。

  干からびた君が好きだよ連れて行く  竹井紫乙

干からびていたならもうどうしようもないじゃないか、いくら好きでも、ってわたしは思うけれど、でも紫乙さんの川柳は、その「干からびた君」を「連れて行く」という。

あなたがぼろぼろでも愛する、むしろ愛する、と紫乙さんの川柳はいう。

ぜんぜんひよこでもなんでもないじゃないか、老熟したにわとりのようなもっともっと先にあるしわしわの干からびたからんころんとした石のようななにかじゃないかともおもうけれど、逆にこのような愛の場所がわたしたちひとりひとりのさいしょの、原初の、ひよこ的な場所なのかもしれない。わたしたちは、こういう場所からやってきたんじゃないか。それを紫乙さんに言ったことはないけれど。

わたしは文学のいいところは、善悪にゆらゆらしてるとこだとおもう。善でもない。悪でもない。そのどっちをも描く。紫乙さんの川柳もそうだ。善悪にゆれる。

紫乙さんの川柳を読んでいると、ゆらゆらいきることも許されるのかなあ、とおもう。もちろんそうした生き方はときどき激しく怒られる。叱責される。決めなよ、と。

でも、これはやぎもとくんが選んだことなんだからね、と言われたこともあった。なんかの激しさのなかで。なんかがあふれる場所で。なんかを決めたひとから。だからひとはゆらゆらしながらも、ちゃんと選ぶこともある。ゆらゆらは、激しい。

紫乙さんの第二句集『白百合亭日常』のあとがきは、ゆらゆらをテーマに書いた。

ある冬のとてもさむい日に、あなたにお会いしたことはありませんが、と竹井紫乙からあとがきの依頼がきた。わたしはその手紙を、モスバーガーで、ゆっくり読んだ。何回か読み直した。細かな氷を含んだ雨がふりはじめた。

紫乙さんは、わたしがあとがきを書き直すたびに、お菓子と感想をなんども送ってきた。なんだろうとおもってわたしは口にふくんだ。ふっくらしたスポンジケーキに餡がつつまれている。なんだろう、これはなんだろう、とおもって、わたしは食べ続けた。感想は、きびしいことも書かれていた。あめとむちなのかもしれないし、そうじゃないかもしれなかった。

わたしはその頃、必要な調べものがあって国会図書館に通っていた。ある歌人のひととあるイラストレーターのひとから指定されたリストに沿って、ずーっと漫画を読んでいた。うまくできるかどうかわからない仕事だった。そこで紫乙さんのあとがきも書いていた。それもうまくいくかどうかわからなかった。

アスファルトが溶けるようなすごい暑さのときで、わたしはくらくらしながら国会図書館からの帰りみちをあるいた。どこにむかってるんだとおもった。あっちこっちからデモのひとたちのはげしい、まっすぐな声がきこえた。わたしはたちどまらず歩きつづけた。

この記事を書いた人
yagimotoyasufuku
柳本々々(やぎもと・もともと)1982年、新潟県生まれ 川柳作家
安福 望(やすふく・のぞみ)1981年、兵庫県生まれ イラストレーター