江戸川乱歩文庫『孤島の鬼』/作品名「追憶」

 天井を見つめているうちに、木目が馬の横顔や竜の姿に見えてくる──。銅版画家・多賀新の作品を初めて見たとき、子どものころに味わったあの感覚を思い出しました。じっと目を凝らすと、植物や装飾品に見えていたものが人の姿をしていたり、影や背景の中から人びとの営みが浮かび上がってきたり……。多賀新の生み出す銅板画は、見つめるほどに新たな発見があり、静止しているはずの画が動き出すような錯覚に陥ります。
 モチーフとなっているのは、昆虫や動植物、そして静物と化した人間の姿やその一部。さらに、曼荼羅(まんだら)を用いて不変の法則を表していたり、阿修羅や千手観音らしき姿、ギリシア神話から抜け出してきたような半獣半身を登場させたりと、この世あの世のあらゆるものがゾクリとさせるタッチで描かれています。人らしきものの多くは女性ですが、どの顔も簡単に表情を読み取ることができません。画の一場面に至るまでのバックストーリーは見る人の想像力に委ねられているかのようです。
 多賀新の作品が春陽堂書店「江戸川乱歩文庫」の装丁画となったのは1986(昭和61)年のこと。現実には存在しえない幻想的で妖しげな世界は、小説のイメージと強く結びつき、同文庫がリニューアルされて復刊となった今もなお、多くの人を魅了し続けています。画集『江戸川乱歩 幻想と猟奇の世界』は、多賀新の強烈なインパクトを放つ画と小説のあらすじを1作品ずつ見開きにまとめた構成で、ページをめくるたびに未知なる異空間へと誘われることでしょう。
 本を開くと、まず目に飛び込んでくるのは片面に収まり切らないほどクローズアップされた複雑怪奇な画。グロテスクな肢体やエロティックな静物など、黒だけで描かれていることが、さらに想像を膨らます効果をもたらし、時間や空間を超越した乱歩ワールドへの扉を開ける役割を担っています。ひとしきり画を鑑賞したあとで、乱歩小説のあらすじを読む。そして、再び画に目線を戻すと、その画が小説を、そして小説が画を互いに高め合っていることを実感できるのです。
 人間のエゴや欲望など、黒い精神世界をえぐりだす乱歩の小説にシンクロするかのような多賀新の作品群ですが、実は乱歩の小説のために描き下ろしたものではないそうです。その証拠に一つひとつの画には小説とは異なるタイトルがつけられていますし、1973~1982年と約10年の間にそれぞれ独立した作品として創作されています。にもかかわらず、共作かと見まごうほど、これらが共鳴しているのはなぜか。それは、多賀新の心の奥深くに乱歩がずっと存在し続けていたからではないかと考えられます。
 戦後間もない北海道の焼け野原で、多賀少年は明智小五郎や怪人二十面相など、乱歩が生み出した空想とも現実ともつかない不思議な世界に出合います。乱歩の作品は少年が創造の翼を広げるきっかけを作り、その後何十年もの間、ひそかに影響を与え続けたのではないでしょうか。大人になった多賀新は独学で銅版画を習得し、奇しくも後に乱歩文庫の表紙を飾ることになります。残念ながら、それは、乱歩が亡くなってからのことですが、死後もなお、妖しげな光を放ち、多賀新はその光に導かれたのかもしれません。
 乱歩研究の第一人者・落合教幸たかゆき氏による、春陽堂と乱歩のつながりや乱歩作品の挿絵についての解説も掲載されている画集『江戸川乱歩 幻想と猟奇の世界』は、乱歩ファンが楽しめるのはもちろん、乱歩初心者のガイドブックとしても興味深い1冊です。
文/山本千尋



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     春陽堂書店編集部
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