大蔵流〈茂山千五郎家〉に生を受け、
京都1000年の魑 魅ちみ 魍魎 もうりょうをわらいで調伏する男、ここにあり。
この物語は、ややこしい京都の町で、いけずな京都人を能舞台におびきよせ、
一発の屁で調伏してしまう、不可思議な魅力をもつ茂山家の狂言の話である。
道行案内は、ぺぺこと茂山逸平と、修行中の慶和よしかずにて候。


~ぼくら笑いの芸人やから~

ⓒHalca Uesugi

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 みなさんは狂言を見たことがありますか?
「古典芸能やろ、難しいやん」と思っている方もあるかもしれません。
 それならば、時代劇なら見たことあるでしょうか。
 子連れ狼は、「大五郎!」と呼べば、「ちゃん!」と応える父子の刺客の時代劇。
 時代設定が過去でも、父と子の愛と闘いの物語があるからこそ、おじいちゃんからお孫さんまでテレビの前に集ったのです。
 これからはじまる連載は、日本で一番ふるいお笑い芸人=狂言師の父・ぺぺこと茂山逸平と息子慶和が、「カズ!」「(お父)ちゃん!」と呼び交わしながら、稽古にはげみ、割引券を持ってラーメンを食べる、父と子の愛とお笑いの物語です。
 狂言は、能楽師狂言方というのが正式な名称です。関西の人なら、小さなころから吉本新喜劇を見て育った人も多いと思います。お父さんやお母さんなら、土曜の夜「8時だョ!全員集合」で、ドリフターズのコントを楽しみにしていたでしょうか。
 例えば、ドリフの雷コント覚えていますか? 狂言にも雷の演目「神鳴かみなり」があります。
 ぼくたちがドリフの雷コントに大笑いしたように、室町時代の人たちも、雷コントに笑っていたんですね。
 つまり、ぼくら狂言師は、吉本の芸人さんやドリフターズと同じ、笑いの芸人です。
 伝統、古典という枠を払って自由に考えると、狂言がずっと、もっと近いものになります。
 祖父の千作は、20年くらい前から「らい」と言っていました。
京都で言うと「ほっこり」という感じに近いです。
 狂言は室町時代の庶民の日常ことばの会話劇。
 ぼくたちが古典として学校で触れるのは、平安時代や鎌倉時代の書き言葉の文学です。
 当時は、書き言葉はお役人が公文書で使うもので、話し言葉とは全く別ものだったのです。
 町の人たちは、今のぼくらと同じように、生き生きと自分たちの言葉で会話していました。
 室町時代に録音技術はないので、室町時代の人たちが話していた姿や声を、今聞いたり見たりすることはできません。でも、ぼくらは狂言を通じて、室町時代のことばや笑いを再現できます。
 狂言には今と変わらぬ、愛すべきおっちょこちょいな人物がでてきます。
 ちょっとスゴイと思いませんか。
~狂言って何やろ~
 狂言の源流は、奈良時代に中国から伝わってきた「散楽」という大衆芸能に、日本の歌や踊り、形態模写(ものまね)、曲芸軽業(まあ、サーカスみたいなもんです)などのおもしろい芸を加えて、平安時代に発展した「さる(申)楽」というものです。 平安時代から鎌倉時代、神社やお寺の由緒(歴史)や神仏をわかりやすく庶民に伝えるためにお芝居の形をとりました。

千本釈迦堂節分会 ⓒHalca Uesugi

 演じていたのは寺社に所属する猿楽法師です。この猿楽の演劇が、狂言のお芝居のはじまり。
 猿楽は、寺や神社や町中で、通りすがった庶民相手に演じられていた、とても親しみ深いもの。
 神様を楽しませるのが「神楽かぐら」、人に見せるものが「猿(申)楽」という区別で思っていただいて良いのかもしれません。
 茂山家は、今も京都の北野天満宮の節分の「追儺ついな式(鬼を追い払う儀式)」や、千本釈迦堂の節分会の「古式鬼追いの儀」で、狂言を奉納しています。
 京都では、今でも寺社の儀式が営々と受け継がれています。町の人たちは「祭り」をそれぞれの役割で担い、ぼくら狂言師も、狂言でその「祭り」を担っています。
 このように狂言は、庶民の暮らしと儀式や行事の中に、笑いとして息づき続けている芸能です。
~お笑いバージョンアップ~
 寺社の儀式をわかりやすくするお芝居が狂言のはじまりでした。
 やがて、猿楽の演目のうち、歌と踊りがメインのものが「能」と呼ばれるようになりました。
 金閣寺の足利義満の時代になって、能役者のかん阿弥あみ阿弥あみ親子が将軍貴族たちに認められ、能を芸能として高めていきました。
 その時代は、狂言は、能の舞台の合間に滑稽なお芝居として演じられるようになりました。
 狂言はお笑い担当となり、仏教説話のモデルとなったお坊さんの一休宗純(「一休さん」)や、仏教説話の「沙石集しゃせきしゅう」のおもしろい場面を舞台化したりしていきます。
 お父さんお母さんの時代なら、小学校の国語教科書に「附子ぶす」という狂言の台本が載っていたかもしれません。
 主人が「留守の間、附子という猛毒が入っている桶に近づくな」と太郎冠者と次郎冠者に言って外出します。
 ところが太郎冠者が附子をなめてみると毒ではなく砂糖だった。太郎冠者と次郎冠者は砂糖を食べつくしてしまいます。
 ふたりは主人が大事にしている茶碗や掛け軸を壊し、「死んでお詫びをしようと附子を全部食べたのだ」と大泣きするお話です。とんち好きな「一休さん」にも、似たお話がありますね。
 現代なら小説を映画化するように、昔は説話(物語)をお芝居の形にして楽しんだのです。
~子どもも楽しい、親子で楽しむ狂言~

釣狐(つりぎつね) ⓒHalca Uesugi

 狂言のおもしろいところは、物まねやごっこ遊びを目の前で見られることです。
 木に登ったつもり、石を投げたつもり。
エアギターのように、そこに「あるつもり」で演じるのです。 狂言には、猿や鳥の鳴き声、雷の様子など、赤ちゃんや小さい人が喜ぶ擬音語、擬態語がたくさんでてきます。
 赤ちゃんに、「ガラガラ~」「キャッキャッ」「こちょこちょ」といって身振り手振りをすると大笑いするでしょう?
 ぼくらは、子どもを大笑いさせるプロです。
大真面目に動物の鳴き声をやります。
 それに狂言は時間が短い(笑)。飽きない。ちゃんとわかる。悪人が出てこない。だれも傷つかない、だれも傷つけない。
 人が死なない。幽霊が出てきてもタコなどの幽霊や。
 だから、ぜひ親子で一緒に見に来てほしいな、と思います。
~大蔵流〈茂山千五郎家〉お豆腐狂言~
 ぼくらの先祖、茂山千五郎家は江戸時代初期から、京都在住の狂言師の家です。
 初代から四代目までは記録がないのですが、貞享4(1687)年の文献に「油小路通四条下る」に「茂山徳兵衛」という狂言師がいたことが記されています。
 油小路は、今も京都市の南北を通る小路ですが、平安京の時代からの小路です。
 この徳兵衛が茂山家五代目。六代目から京都御所に出入りを許される禁裏御用の能楽師として、狂言を上演していたようです。今でいう「宮内庁御用達」のような扱いです。こうして茂山家は、現在まで400年にわたり京都で狂言の普及・継承に勤めています。

三番三(さんばそう) ⓒHalca Uesugi

 茂山千五郎家には「お豆腐のような狂言師」という言葉があります。その由来は、十世正重(二世千作 1864~1950年)への悪口です。
 室町時代に能楽(能と狂言)は、武家の式楽(儀式の芸能)となり、江戸時代の終わりまで「能楽」は特権階級のものになってしまいました。もともとは、庶民が通りすがりに楽しむものだったのに、レベルが高くなってしまったのです。
 しかし、明治維新で江戸幕府が消滅し、大名たちに保護されていた能楽師たちは失業します。明治、大正、昭和の時代は、能は舞台で芸術性を維持し興行を続けました。
 やがて第二次世界大戦の苦しい時代に、世の中に「笑い」が必要となりました。
正重は、室町時代以前のように気軽に狂言を楽しんでもらおうと思いました。
 茂山家は、「地蔵盆」という、今でも続く子どもたちの安寧を願う京都の地域の行事、結婚式、お祝いの席などに出向いて狂言を上演しました。
「うちの宴会来てくれへん?」「結婚式で狂言してくれへん?」「地域の婦人会に来てや」、というように声がかかり、正重は、能から独立した狂言だけの営業を始めたのです。
 すると、「茂山の狂言は我々のやっている特別な芸能文化ではなく、どこの家の食卓にも上がる豆腐のような安い奴らや。」と悪口を言われました。
 正重は、「どこにでも出ていきよるんや」と悪口を言われたのを逆手にとって、呼ばれた場所に合わせて狂言をする「お豆腐狂言」を名乗りました。
「お豆腐のようにどんな所でも喜んでいただける狂言を演じればよい。より美味しいお豆腐になることに努力すればよい。」
それ以来、お豆腐主義はぼくらの家訓です。
 ぼくたちは、小学校、中学校、高校の体育館や、修学旅行生の宿泊する旅館でも狂言をします。修学旅行生が晩御飯を食べたあとのすき焼きの匂いのする会場、お風呂上りのシャンプーの匂いのするところで、「ええ匂いやなあ」と思いながら演じるのです(笑)。
 普段の舞台に来てくださるのは、どちらかというとご高齢の方が多いのですが、子どもたち、若い世代の方たちにも狂言を見てほしい。
 本物の芸を見たら、「こっちがええ」「すごい」って子どもたちは思ってくれます。
「狂言っておもしろいなあ」という体験をした人たちが、大人になって見に来てくれることを願っています。
 息子の慶和は今年小学4年生。
甥っ子には小学生から中学生の4人がいます。
将来、息子や甥っ子たちがきちんとした形で狂言師として呼ばれる土壌を作ること。
 それは親としても、先代たちが努力して敷いてくれたレールを現在進行形で歩ませてもらっている狂言師としても思うことです。
先代たちが作った道を、次の世代に減らしてはあかん。
そう思いながら、ぼくらは京都の旧い小路を世界に向けて歩き続けています。

千歳(せんざい) ⓒHalca Uesugi


●茂山 逸平(しげやま・いっぺい) 大蔵流狂言師(クラブsoja 狂言茂山千五郎家)。
1979年、京都府生まれ。曾祖父故三世茂山千作、祖父四世茂山千作、父二世茂山七五三に師事。甥と姪が生まれたときに、パパ、ママのほか、逸平さんをペペと呼ばせたので、茂山家では以降ぺぺと呼ばれるようになった。
●茂山 慶和(しげやま・よしかず) 逸平の息子。2009年生まれ。4歳のときに「以呂波」で初舞台。小学校1年生から謡曲を習い、義経の生まれ変わりだというほどに、義経好き。稽古のあとの楽しみは、大黒ラーメン。
狂言公演スケジュール
http://kyotokyogen.com/schedule/
『茂山逸平 風姿和伝 ぺぺの狂言はじめの一歩 』(春陽堂書店)中村 純・著
狂言こそ、同時代のエンターティメント!
大蔵流<茂山千五郎家>に生を受け、京都の魑魅魍魎を笑いで調伏する狂言師・茂山逸平が、「日本で一番古い、笑いのお芝居」を現代で楽しむための、ルールを解説。
当代狂言師たちが語る「狂言のこれから」と、逸平・慶和親子の関係性から伝統芸能の継承に触れる。
構成・文/中村 純(なかむら・じゅん)
詩人、ライター、編集者。東京都生まれ。三省堂出版局を経て、京都転居にともない独立。著書に『女たちへ──Dear Women』(土曜美術社出版販売)、『いのちの源流──愛し続ける者たちへ』(コールサック社)など。

写真/上杉 遥(うえすぎ・はるか) 能楽写真家。今様白拍子研究所で幻の芸能白拍子の魅力を伝えるべく日々修行中。