どうしようもないあなたに続いてどうしようもないわたしが川をみつける
レイモンド・カーヴァーの詩に滝への新しい小径を見つける詩がある。たしか起きると玄関にぴかぴかの新しい靴が用意されていたんだとおもう。ずっと失業中だった彼には新しい仕事が待っている。そういう詩だったとおもう。
希望のある詩だ。その詩をときどきおもいだす。というよりも、詩のほうからこっちにやってくるので、そのたびに、僕はまだ滝も川もみつけてないんだよ、とおもう。でも大学のころに、ともだちに、その詩を書き写して送ったことがあった。そのともだちがどんな返事をおくってくれたかはおぼえていない。すごく長い返事をくれたがその詩のことについては書いてなかったとおもう。でも大学のベンチにぼんやりすわっていると隣にとつぜんすわっていることがあって、滝みたいなとうとつさだな、とおもうこともあった。滝に似ていた。
リチャード・ブローティガンの小説で、白い階段を川と見間違える場面があった。鱒釣りをしようとおもったらそれは川じゃなく、階段だったのだ。遠くからはその階段が川にみえたのだ。でも、かれはそういうかたちで川を発見したのだ。川はある日とうとつにみつかる。
こないだ、てきとうにあるいていたらわたしも川をみつけた。わたしの場合は、新しさでもなく、見間違いでもなく、てきとうにあるいて川をみつけた。てきとうな私がみつけたてきとうな川で、ベンチで女の子と男の子がサンドイッチを食べていた。陽を浴びながら女の子が男の子に「いいよ」と言った。わたしにはなにが「いいよ」なのかはわからない。二人には、わかる。川はすこしなまぐさかった。風がふいている。
あの滝みたいなひととどう別れたんだっけ、と川をみながらおもう。たしか、もう文学を読むひつようはないのよ、とか言われたんだっけ。え、そうなのかあ、とおもったけど口には出さなかったんだよな。で、おじぎをして地下鉄の入口で別れたんだっけ。風は吹いてなかったとおもう。特別なかんじもなかった。なんであのときあんなに深くおじぎしたのかなあとおもう。わたしはときどき深くおじぎしているとおもう。それもひとつの滝だとおもう。
サンドイッチを食べ終えて女の子と男の子はすぐにどこかに行ってしまった。たぶん、もう、会わない。ほんとにこれ川なのかなあともおもう。ただの水の溜まり場のようなきもしている。汚い声の鳥が騒いでいる。よくみると岩にびっしり亀が張り付いている。上流はどうなってるのかなあとおもったが、その川と深くつきあうこともなく、その場を離れた。もう行けないかもしれない。どうやってたどりついたかも覚えてない。たぶんもう行かないとおもう。
そういえば男の子が女の子にこんなふうに言ってたっけ。「川は上流から下流に流れるんだよ」って。それに対して「なんなの」と女の子は言ったんだっけ。
なんなの。
いつかまたそれだけ思い出すとおもう。