古くから受け継がれてきた職人の技と伝統。
今、「ものづくり」の現場に新たな息吹が吹いています。
創業以来、140年にわたって出版の伝統を受け継ぎ、
未来に向かって歩み続ける春陽堂書店が、
新風を吹き込みながら技を磨く、現代の担い手たちをご紹介します。


世界三大織物の一つ、本場奄美大島紬(ほんばあまみおおしまつむぎ)。
着物が好きな方にとっては憧れの存在とも言える緻密で美しい大島紬ですが、職人の高齢化、後継者不足により、伝統工芸の伝承が大きな課題となっています。
業界全体に不穏な空気の波が押し寄せる中、新しい挑戦を続け、脚光を浴びている一つの呉服店があります。
その名も「銀座もとじ」。
今回は銀座もとじの織り手、清田寛子さんにお話を伺いました。
OLから一念発起し、奄美に渡り織り手に転じた清田さんの選択とは ──。



1 清田さんを惹きつけた大島紬の魅力とは?
  ~親子三代楽しめる、究極の普段着
── まず大島紬はどのような着物か教えてください。
大島紬は、お着物の中でも普段着なんです。普段の生活に身近なものを作れるようになりたかったのです。大島は細かい絣(かすり)模様が特徴で、何十工程もの細かい手仕事が入っているのですが、実際は軽くて着やすいお着物です。一日お召しになってもシワになりにくく、軽いので旅行などにも持っていく事もできます。そこではまってしまう──。
実は「大島紬って何ですか?」と聞かれて困るほど、大島はバリエーションが豊富です。伝統的な泥染めもあれば、今は化学染料を使った、明るい色味の大島もあります。デザインも古典的なものから洋風、シンプルでモダンなものまで本当にたくさんあるので、とにかく見て、触れて、感じていただきたいですね。お似合いになる柄や色が必ず一反はあります。そして「ちょっとそこまで」というように、気軽にたくさん着ていただきたいです。
── 大島紬はなぜそんなに軽いのですか?
大島紬が軽いのは、経糸(たていと)と緯糸(よこいと)を交互に織っていく一番単純な平織りという織り方をしているからです。そのかわり、先に糸を染めて模様を織ります。経糸と緯糸が交差した十字を絣と言い、絣が集まって模様になっていきます。そこがすごく細かい作業です。絣を作るためには糸を括って防染します。これを島では「締める」と言います。
大島は分業制で、デザイン、締め、泥染め、糸を整える加工のあとに織りに来ます。ここで一枚の布になり、最後はお客さまに選んでいただき、和裁士さんが仕立てて、お着物になっていきます。

7~8cmずつ織っては、細かい絣を合わせる作業を何度も繰り返す。

── 大島紬の着物は、三代にもわたって受け継がれると言われるほどですが。
毎日お召しになっていたものを三代にわたってと言われると、なかなか難しいのですけれど、泥染めの大島紬は動物性である絹に車輪梅(しゃりんばい)のタンニンと泥に含まれる鉄分を合わせるため、強くしっとりとした柔らかな肌触りと、独特の黒い色が特徴的です。私は今、おばが持っている祖母の大島を狙っています(笑)。純泥染めの大島紬は年を経るとともにその泥染めの色が変わってきます。祖母が着て洗い張りし、さらにおばも着て洗い張りをしているので、袖を通した時にもっとなめらかな風合いになっています。新しい大島紬も張りがあって、しゃりっとして素敵なんですけれど。
お祖母さまが着たものをお仕立て直ししてお母さまへ、さらに娘さんへと三代にわたって、受け継がれる思いと共に風合いも楽しんでいただける着物だと思います。

大島紬の魅力の一つ「絣模様」、繊細な美しさが秀逸だ。


2 大島紬の歴史は技術革新の連続
  ~着る人のために、技術を磨き続けた職人たち
── 大島紬には紬糸ではなく生糸が使われていますが、かつては手紡ぎ糸で織っていたそうですね。
昔は節のある手紡ぎの紬糸を地機(じばた)で織っていました。地面すれすれに座るタイプの織機です。経糸を腰に固定し、体全体を使って織ります。ですから、数多く織れません。高機は椅子のように腰かけて織るので、体への負担が地機に比べて少なくなります。

清田さんが機を織る「銀座もとじ 大島紬専門店」。機織りの実演という珍しい光景に足を止める人も少なくない。

── 本格的に大島紬が織られるようになったのは江戸時代ぐらいとか。
江戸時代には、島では大島紬を黒砂糖とともに薩摩藩に納めて、薩摩藩から江戸に送り出していました。その頃から草木や泥で染めていました。明治維新後は、作った人が自分たちの裁量で売って生活の糧にできるようになり、島の人は自由にものづくりをするようになっていったのです。
── 「泥染め」とはどのような染め方ですか?
泥染めの独特の黒は、「カラスの濡羽色(ぬればいろ)」とも表現されます。奄美では、「テーチ木」と呼んでいる車輪梅という木のチップで染めています。それが下地の色になっているので、とても深く味わいのある黒になります。大島を愛してくださっている方たちは、黒と言わずに「茶泥の色」とも呼んでいます。
奄美の泥はそのまま泥田に浸けて揉んでも、絹糸を傷めないぐらい粒子が細いのが特徴で、絹糸に粒子が入り込んでふわふわと柔らかい糸になります。その染めの作業は約120回近く繰り返し行われ、独特の黒に染め上げられます。

店内に展示されている、本場大島紬泥染工程の資料。

── 明治時代以降は大島紬の需要が増え、1970年代にかけて全盛期を迎えたのですね。
注文が増えてくると、効率を上げようということになりました。また内地の人が求める素敵な細かい柄にするには、紬糸ではなくて生糸がいいだろうと。生糸にすれば、高機で織ることができ、もっとたくさんのお着物を作ってお客さまの要望に応えることができる。こうして生糸と高機が使われるようになりました。明治38年には最も細かい絣糸を作るために糸を防染する「締機(しめばた)」ができ、これを機に、大島紬の生産反数が飛躍的に伸びました。まさに今の大島紬の発展にいたる技術の幕開けでした。
大島紬は、着る人の要望があって、それに応えたい職人の気持ちがあって、どんどん技術が革新している。そういう織物です。

店内には、世界初のオスだけの純国産蚕品種「プラチナボーイ」の絹糸で織られた、
銀座もとじオリジナル「銀座の色絣」も並ぶ。


ニッポンの職人探訪 大島紬#1 銀座もとじ/清田寛子──後編へ続く

この記事を書いた人
     春陽堂書店編集部
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