あたらしいいえにきた猫のような蚊
電車に乗っていたら、わたしの頭上で、これからどうぞよろしくお願いします、いえいえわたしのほうこそこれからどうぞよろしくお願いします、とふかぶかとお辞儀しあっているひとたちがいた。
ひとり、ひとり、おじぎするたびに、わたしの顔に、頭上から、かのじょたちの顔がちかづき、離れていく。顔と顔は、ときどき、ちかづいたり、離れたりすることがある。顔ってなんだろうとぼんやりかんがえている。意識はしてなかったが、隣にすわっているひととも顔は顔にちかいはずだ。
意識しだすといろんなことがとまらなくなってくる。わたしに「どうしてお尻ってふたつに割れてるんだろ」と困った顔で話しかけてきた女の子がいて、それからしばらく、なんでお尻ってふたつにわれてるんだろうとあるいていてもきになってきになってしかたなかった。女の子の呪いかともおもった。つい、じぶんのおしりをきにしながら、あるいてしまう。おしりはふたつにわれ、そのふたつにわれたものがなぜか離れず、くっつきあおうとしている。なぜなんだ。あたまがおかしくなりそうだ。おしりのせいで。
女の子は泣きそうな顔で「きになるよね、こまってくるよね」という。わたしもわたしで「どうして俺にそんなこといったの」といってしまう。おしりが割れてることなんてこのまましらないまま生きていきたかった。
知っちゃったからもうどうしようもない。もう、あともどりできない。わたしからちかづかなくたって、むこうからくるものだってあるだろう。無数のわれたおしりが街をゆきかっている。女の子はいう。「なんでだろう、おしり」
わたしの頭上では、いえいえよろしくお願いします、たのしみです、やりがいがあります、すばらしいです、とおじぎしあっている。おしりがむこうにつきだされ顔やあたまがちかづいてくる。