もう一度読み返したい! 名作童話の世界。
小社刊、宮川健郎編・名作童話シリーズ『新美南吉30選』に収録した、
<新美南吉童話紀行>を5回に分けて転載いたします。
編者は愛知県半田市に赴き、新美南吉の生誕地や作品の舞台を訪ねました。
作家ゆかりの地を知ることで、より深く作品を味わうことができるでしょう。

巽聖歌と東京
 「赤い鳥」は、南吉に文学的な交流をももたらす。南吉が「赤い鳥」に投稿し、最初に掲載されたのは、1931年5月号の童謡「窓」である(「窓をあければ/風がくる、風がくる。/光った風がふいてくる。」第一連)。「赤い鳥」に掲載された南吉の童話は4編だが、童謡は計23編のっている。「赤い鳥」の童謡の選者は北原白秋だけれど、1930年には、与田凖一や巽聖歌(たつみ・せいか)ら、「赤い鳥」の投稿詩人たちが雑誌「チチノキ」を創刊する。やがて、南吉もこの仲間に加わることになる。

童謡「たきび」のモチーフとなった
中野区上高田・鈴木邸前。

南吉は、東京外国語学校(現在の東京外国語大学)に入学して上京し、とりわけ巽聖歌の世話になっていく。このころ、聖歌は、中野区上高田の借家に住むようになっていたが、外語の最初の半年は、この聖歌の家に身をよせて、そこから通学していた。巽聖歌(1905~73年)は、南吉より8歳年上で、付き合いはじめのころ、南吉は、手紙では聖歌を「兄さん」と呼んでいる。第一童謡集『雪と驢馬(ろば)』(1931年)をはじめ、巽聖歌には多くの仕事があるが、もっともよく知られているのは、童謡「たきび」だろう。「かきねの、かきねの/まがりかど、/たきびだ、たきびだ、/おちばたき。/「あたろうか。」/「あたろうよ。」/きたかぜ、ぴいぷう/ふいている。」というあの歌である。
 この『名作童話 新美南吉30選』には、巻末に13編の幼年童話をおさめた。巽聖歌の『新美南吉の手紙とその生涯』(1962年)によれば、これらの幼年童話は、聖歌のすすめによって集中的に書かれたものだ。幼年童話集を刊行する話が出版社から聖歌を通じて持ちこまれたのである。東京外国語学校在学中の1935年のことだ。実際には、本は出なかったのだけれど、南吉が東京という場で、巽聖歌をはじめ童謡詩人たちとふれあい、また、出版資本とも近づいたようすが見えてくる。
 この幼年童話群には、「じつにさまざまの可能性をひめている」(浜野卓也『新美南吉の世界』1973年)という評価がある。巻末の「でんでんむしの かなしみ」に遭遇したとき、異様な衝撃をおぼえたというのは佐藤通雅である(『新美南吉童話論』1970年)。衝撃は、「幼年童話にまで人生観をもりこもうという作家の存在」に対してだった。そして、佐藤は、こう述べる。
「童話分野では不向きのはずの倫理表白の強い欲求が、じつは童話作家へとうながす原動力になっており、この二律背反を犯すことによってはじめて童話創作が可能となったのだ。私の南吉像の核心はその点にある。」
安城へ
 さて、話を新美南吉のふるさとの旅にもどす。旅の2日めの昼には、「ごん狐」の舞台となった矢勝川や中山付近から、タクシーでJR半田駅へと移動した。駅の付近には、古い町並みがのこっている。南吉もよく通ったという同盟書林は、明治からつづく老舗の本屋だが、「おじいさんのランプ」の巳之助が町に出てひらいた本屋のイメージを重ねてしまう。

JR半田駅。1910年に設置された跨線橋は、全国最古のもの。

 半田から、JR武豊線で大府(おおぶ)まで行き、そこで東海道線に乗り換えて、安城へむかう。1時間弱の道のりである。これは、南吉が安城高等女学校へ通勤した道だ。JR半田駅構内の跨線橋は当時のままだというから、南吉もここを歩いたのだなと思う。東京外国語学校卒業後の南吉は、就職がうまくいかず、いくつかの仕事を経験する。そのあいだに二度めの喀血があり、南吉は、故郷へと帰ってくる。半田中学校時代の恩師の世話で、安城高等女学校に職を得たのは、1938年の春だった。
 安城は、半田よりさらに開けた明るい町だった。私たちは、駅前で見つけたレンタサイクルで、秋のはじめの安城の町を走った。安城高女があったところは、現在は桜町小学校となっている。安城高女は、戦後、安城高校となるが、その高校は、いまは、もっと南にある。元高女の小学校にも、いまの高校にも、いくつもの南吉の文学碑が建てられている。町には、「花の木橋」などもあって、「花のき村と盗人たち」を思い出す。自転車で、高女とは線路と反対側(北側)の南吉が一時期下宿していたお宅のあたりにも行ってみた。そこは、いまでも落ち着いた静かな界隈だった。

南吉が下宿していた安城の民家。

 安城高等女学校で、南吉は、教え子たちとあたたかな交流をし、ゆたかな時間をすごしたようだ。ところが、それは、彼の早すぎる晩年でもあったのだ。南吉の結核が再発し、亡くなったのは、1943年3月、まだ29歳と7か月だった。
著書紹介
『名作童話を読む 未明・賢治・南吉』春陽堂書店
名作童話をより深く理解するための一書。児童文学作家、未明・賢治・南吉文学の研究者による鼎談。童話のふるさと写真紀行、作家・作品をさらによく知るためのブックガイドを収録しています。
『名作童話小川未明30選』春陽堂書店
一冊で一人の作家の全体像が把握できるシリーズ。「赤いろうそくと人魚」で知られる、哀感溢れる未明の世界。年譜・解説・ゆかりの地への紀行文を掲載、未明の業績を辿ることができる一冊です。
『名作童話宮沢賢治20選』春陽堂書店
初期作品から後期作品まで、名作20選と年譜、ゆかりの地を訪ねた紀行などの資料を収録、賢治の業績を辿ることができる一冊です。
『名作童話新美南吉30選』春陽堂書店
初期作品から晩年の作品まで、名作30作を収録、南吉の身辺と社会の動向を対照した年譜8頁、ゆかりの地を辿る童話紀行を収録しています。南吉の業績を辿ることができる一冊です。
宮沢賢治童話紀行「二重の風景」への旅 【2】に続く
この記事を書いた人
宮川 健郎(みやかわ・たけお)
1955年、東京都生まれ。立教大学文学部日本文学科卒。同大学院修了。現在武蔵野大学文学部教授。一般財団法人 大阪国際児童文学振興財団 理事長。『宮沢賢治、めまいの練習帳』(久山社)、『現代児童文学の語るもの』(NHKブックス)、『本をとおして子どもとつきあう』(日本標準)、『子どもの本のはるなつあきふゆ』(岩崎書店)ほか著者編著多数。『名作童話 小川未明30選』『名作童話 宮沢賢治20選』『名作童話 新美南吉30選』『名作童話を読む 未明・賢治・南吉』(春陽堂書店)編者。