ぬぼーっとしてるロボットだなあ

リンデンのソフビをずっと見ているうちに、やきものとソフビって実はそんなに変わらないんじゃないのかなあと思ったりする。

どちらもシンプルな造型で、だまってそこにいる。わたしたちは眼や手を張り巡らしてその造型物と向き合う。でも、やつぎばやの眼や手にもかれらは動じない。ただ、ずっと、そこにある。

わたしたちの眼や手はざせつする。こどものころのおもちゃというのも実はそういうものだったのではないかとおもう。

おもちゃもソフビもやきものも年をとらない。でもわたしたちの眼や手はどんどん年老いていく。ずっとそこにあるもの。眼や手をどんどん先送りしてしまうもの。ソフビをみても、やきものをみても、眩暈がする。わたしたちのえいえん。手塚治虫の火の鳥のひとみ。ピノコにはじめて書いたてがみ。ロビタにはじめてであったやぎもともともと。

この記事を書いた人
yagimotoyasufuku
柳本々々(やぎもと・もともと)1982年、新潟県生まれ 川柳作家
安福 望(やすふく・のぞみ)1981年、兵庫県生まれ イラストレーター