元気をときどき放流してあげる

幻想文学にはよくあることなのだけれど、帰ることはできないのだが、 進みきってしまうこともできない 、という場所がある。おそろしい場所だ。

カフカの『変身』のザムザがそうかもしれない。すべてがおわって家族は陽のひかりのもとピクニックにゆくが、ザムザは息絶えそこにとどまる。帰ることも進みきってしまうこともできない。そういう場所。カフカ『城』の測量士のK.がいたような場所。

「げんきがなくなってきたんだけど」と言われたら、「ときどき、元気も放流してあげるのはいいことだとおもうんですよ」と言うことにしている。「また元気はかえってくる」

その場所だってけっきょくはひとつの帰ることもできないが進みきってしまうこともできない場所かもしれない。イーグルスの「ホテル・カリフォルニア」の不思議なホテルのような。元気は回遊している。

「もともとさん、さいきん、元気なんですか?」と言われたら、「げんきはないけれど、いきてます」と言うことにしている。げんきです、と言ったことはない。

この記事を書いた人
yagimotoyasufuku
柳本々々(やぎもと・もともと)1982年、新潟県生まれ 川柳作家
安福 望(やすふく・のぞみ)1981年、兵庫県生まれ イラストレーター