大蔵流〈茂山千五郎家〉に生を受け、
京都1000年の魑 魅ちみ 魍魎 もうりょうをわらいで調伏する男、ここにあり。
この物語は、ややこしい京都の町で、いけずな京都人を能舞台におびきよせ、
一発の屁で調伏してしまう、不可思議な魅力をもつ茂山家の狂言の話である。
道行案内は、ぺぺこと茂山逸平と、修行中の慶和よしかずにて候。

「以呂波」では、父が、子どもに「いろはにほへとちりぬるをわか」と手習いを教えます。
父は、自分の言う通り口真似をしろと子に命じ、子は父が叱る言葉までそっくり言い返します。ついに父が怒って子を引き倒すと、子も同様に父を引き倒し立ち去ります。

茂山家では、代々祖父が孫に狂言の稽古をつけます。
慶和は、この初舞台を祖父の七五三しめと演じました。
祖父と孫との普段の稽古の様子も垣間見られる、ほのぼのと心あたたまる舞台です。
口伝で伝えられていく先代の芸が、孫に継承され、初舞台を踏む。
新世代の狂言師・茂山慶和君が誕生した瞬間です。


~狂言師の家族~

狂言師の家に生まれるのは75億人の世界人口分の5人くらいの確率。
そこに生まれた日常は、どんなものだかちょっとお話してみます。
うちの親父は普段は銀行に勤めていました。狂言師だけで家族を養っていくのは、まだ難しい時代です。僕たちは、普段は京都の伏見で一般のサラリーマン家庭と同様の暮らしをし、週末になると京都御所東の稽古場に通っていました。
稽古場は、鴨川と御所に近い京都の静かな住宅地の路地です。
1970年代は、茂山家は稽古場のあるこの御所東に親類12人の大家族で住んでいました。
僕は、3歳のころから曾祖父や祖父、父に狂言の稽古をつけてもらい、4歳で初舞台『業平餅』を踏みました。
小3のとき、映画『将軍家光の乱心激突』で、緒形拳さんと共演(笑)させていただいたことがあります。
子どものころは、公演や映画で学校を休めてラッキー、と思っていました(笑)。
僕が子どものころの80年代は、狂言はまだ世間に認知されていませんでした。
「何の理由かようわからんけど、病気でもないのに、逸平君は時々学校休むなあ。
いいなあ」と思われていたでしょうね。
学生のころには、兄・宗彦や従兄弟とともに、花形狂言少年隊を旗揚げして、狂言小劇場の公演をしました。
以来、僕たちは、狂言を海外に積極的に発信するという活動もしています。
~慶和誕生と鯖寿司~
僕の最初の子、慶和は2009年の1月に生まれました。
その頃僕は、東京渋谷のパルコで立川志の輔さんの落語のお手伝いをしていました。
「そろそろ産まれる」と義母から電話があり、帰ると連れ合いが陣痛で36時間もうなっていたんです。東京から京都に戻り、慌てて分娩室に行ったところ、連れ合いから「でていって!」と言われました(笑)。
僕が呼ばれたときは、赤ちゃんは産湯を使ったあとで、叔父あきらの夫人が用意してくれたウコン染めの黄色い肌着を着せられていました。ウコン染めは、黄疸を出にくくすると言われていてね。親父と母親は、産まれたばかりの子を見て「狂言できるわー」と、半分泣いて喜んでいました。
40時間近い陣痛で産まれてきた子と連れ合いは、ほんとうに大変だったと思います。
で、僕は何をしたか(笑)。父親も役に立たないとあかん。
僕は願懸けに好物を断つようにしています。
だから、子どもができたと聞いたときから好物の鯖寿司を断ちました。
子が無事生まれたので、早速鯖寿司を食べました(笑)
そしてまた、子どもの初舞台まで4年間、鯖寿司を断ったんです。
京都では祭りになれば鯖寿司を食べます。地元伏見の御香宮の10月の神幸祭や、東山の八坂神社の祇園祭りは、僕にとっては鯖寿司祭りみたいなもの(笑)。
祭りで人が集まると、お客さんに出すのは今でも鯖寿司です。
京都は内陸なので、海からの新鮮な魚介類が入りにくかった歴史があります。
若狭湾から京都までは70㎞ほどありますから、行商人が歩き続けて、鯖街道で京の都に塩漬けした鯖を運ぶ頃には、ちょうどよく発酵します。
この塩鯖を使って作ったのが鯖寿司です。
海が近く、新鮮な魚で握られたのが江戸前寿司。京都で寿司といえば熟れ寿司、鯖寿司が有名なのには、そんな理由があります。
京都の三大祭(葵祭、祇園祭、時代祭)には、家庭でも鯖寿司を作ったものです。
そんなふうに日常に親しんだ鯖寿司を断ったのですから、父親としては自分なりに頑張ったと思うのですが、辛かったです(笑)。
~慶和の名付けは晴明神社~
僕は子を「かず」と呼びたかったんです。和らいの「和」です。
だから、和という字を使った名づけを、陰陽師安倍晴明を祀る晴明神社にお願いしました。「慶び」に「和らい」で慶和。いい名前です(笑)。 
狂言師の家に生まれてほかの子の環境と違うところがあるとすれば、おばあちゃんに手ぬぐいで作ってもらった袴を着たり、棒縛りごっこをして遊んだというようなことかな。
慶和は本を読むのが好きです。小さいころから、絵本をよく読んであげました。
今は、ことわざ辞典や物語をよく読んでいます。日本語が好きなのかもしれません。
~慶和初舞台 以呂波~
慶和の初舞台は4歳の夏。そのために半年練習を重ねました。
「以呂波」という演目は、子どもにお父さんが「いろはにほへとちりぬるをわか」と手習いを教える。自分の言ったとおりに言うんだよ、と教えると、何でも言うことをまねる。お父さんが怒ると子どもも怒り、やがてお父さんを打ち倒してしまう、というオチです。慶和は、これを私の父の茂山七五三(しめ)と演じました。

以呂波

ⓒHalca Uesugi

初舞台の前の年、父はがんで、放射線や抗がん剤治療をし、手術もしていました。
慶和と一緒に初舞台が踏めるかどうか、様子を見ながら過ごした時期です。
父は治療で頭の毛が抜けていて、かつらをかぶっていました。
慶和は「じいじ、頭へん!」といち早く気づいて、家族で大笑いしました。
初舞台の直前には、僕の祖父の千作も亡くなりました。
千作は慶和の初舞台を見ることができなかったんです。
家族的にはとても大変な時期でしたね。でも、そんな中でも、「和らい」があるのが、茂山家です。ここで笑うやろ、という雰囲気がいつもある。
実際の初舞台では、慶和は「みんながみんな自分を見にきてはる」ということがわかって、上機嫌でした。お客さんからも家族からもご褒美をもらい、しばらくおもちゃ・お菓子天国でした。初舞台を踏んでもう少し経つと、ご褒美がもらえなくなって、お小言がもらえるようになります(笑)。
~慶和、義経の生まれ変わりなり~
僕は子どものころ、義経になりたかったんです。武士としての奇想天外な強さも魅力的です。義経は大概かっこいい感じで描かれています。
義経は小兵、弁慶は背が高かったため、義経は子どもが演じることが多いのです。
慶和に義経を好きになってもらいたくて、僕は絵本や兜グッズ・武士グッズを家に置いておきました。そうしたら、慶和はまんまと義経が好きになった。

義経(能・安宅) ⓒHalca Uesugi

写真提供:茂山逸平
手習いに源義経と書き源慶和と記名。
よろいのコスプレ。

自分は義経の生まれ変わりだ、と言うようになりました。
慶和は色々な物語を読むのですが、お釈迦様の話、法然上人の話、キリスト教の聖書などにも触れているので、「生まれ変わる」という感覚がわかるのでしょうね。
義経が登場するのは能の演目です。僕たち狂言師は、舞、謡、笛、鼓など、能楽師としての稽古を幼いうちからつけてもらいます。義経への共感が能への入り口になると考えました。
能、狂言は、舞台装置がシンプルですから、言葉と身体が勝負の舞台です。
生活の中で使われてきた言葉が伴う「体験」への想像力、登場する人物の「感情」、人々が触れあう中で生まれる日常のドラマ。
昔のおっちゃんは、どんな気持ちやったんやろ、夫に浮気された「わわしい妻」は、どんなふうに怒ったんやろ。昔の子どもは、どんなふうに大人をおちょくったんやろ。
僕たちは、狂言を演じることで、昔の人を生き直し、現代に再現します。
狂言の台本に、いのちを吹き込むのは、狂言方の「言葉」と「声」と「身体」です。
だから、慶和が興味を持って読む本も、すべて狂言方の背筋や「間」、言葉と身体になることでしょう。
●茂山 逸平(しげやま・いっぺい) 大蔵流狂言師(クラブsoja 狂言茂山千五郎家)。
1979年、京都府生まれ。曾祖父故三世茂山千作、祖父四世茂山千作、父二世茂山七五三に師事。甥と姪が生まれたときに、パパ、ママのほか、逸平さんをペペと呼ばせたので、茂山家では以降ぺぺと呼ばれるようになった。
●茂山 慶和(しげやま・よしかず) 逸平の息子。2009年生まれ。4歳のときに「以呂波」で初舞台。小学校1年生から謡曲を習い、義経の生まれ変わりだというほどに、義経好き。稽古のあとの楽しみは、大黒ラーメン。
狂言公演スケジュール
http://kyotokyogen.com/schedule/
『茂山逸平 風姿和伝 ぺぺの狂言はじめの一歩 』(春陽堂書店)中村 純・著
狂言こそ、同時代のエンターティメント!
大蔵流<茂山千五郎家>に生を受け、京都の魑魅魍魎を笑いで調伏する狂言師・茂山逸平が、「日本で一番古い、笑いのお芝居」を現代で楽しむための、ルールを解説。
当代狂言師たちが語る「狂言のこれから」と、逸平・慶和親子の関係性から伝統芸能の継承に触れる。
構成・文/中村 純(なかむら・じゅん)
詩人、ライター、編集者。東京都生まれ。三省堂出版局を経て、京都転居にともない独立。著書に『女たちへ──Dear Women』(土曜美術社出版販売)、『いのちの源流──愛し続ける者たちへ』(コールサック社)など。

写真/上杉 遥(うえすぎ・はるか) 能楽写真家。今様白拍子研究所で幻の芸能白拍子の魅力を伝えるべく日々修行中。