純粋な、きょうはなんにする? のかたち

ときどき、バスや電車で、じいっと赤ん坊からみつめられることがある。

おまえは邪悪だよな、というかんじで。赤ん坊たちは、そのうまれたての目で、わたしの邪悪の度合いをはかっているのだろうか。よこしまのレベルを、量を。

たしかに邪悪かもしれんよなあ、とおもうこともある。善人とはいえない。わたしは赤ん坊をみつめる。赤ん坊は、すこし気さくそうにわらって、わたしを見返す。わたしがじんせいでできなかったこと(気さくさ、微笑返し)をもう数ヶ月で手に入れてしまっているんだなあとおもう。

歩かずとも胸のなかでたどりついてしまっている赤ん坊と、ほうほうのていで歩いてきたのにたどりつけなかったわたし。

わたしたちはその空間でみつめあっていた。

この記事を書いた人
yagimotoyasufuku
柳本々々(やぎもと・もともと)1982年、新潟県生まれ 川柳作家
安福 望(やすふく・のぞみ)1981年、兵庫県生まれ イラストレーター