純粋な、きょうはなんにする? のかたち
ときどき、バスや電車で、じいっと赤ん坊からみつめられることがある。
おまえは邪悪だよな、というかんじで。赤ん坊たちは、そのうまれたての目で、わたしの邪悪の度合いをはかっているのだろうか。よこしまのレベルを、量を。
たしかに邪悪かもしれんよなあ、とおもうこともある。善人とはいえない。わたしは赤ん坊をみつめる。赤ん坊は、すこし気さくそうにわらって、わたしを見返す。わたしがじんせいでできなかったこと(気さくさ、微笑返し)をもう数ヶ月で手に入れてしまっているんだなあとおもう。
歩かずとも胸のなかでたどりついてしまっている赤ん坊と、ほうほうのていで歩いてきたのにたどりつけなかったわたし。
わたしたちはその空間でみつめあっていた。