第一回 娯楽としてのドラマ

NHK出版 編集局チーフ・エディター 本間理絵


ラジオと春陽堂の知られざる関係とは──
1925年3月22日、日本で初めてのラジオが放送されました。
報道や語学教育などを目的とする傍ら、視聴者を楽しませるための娯楽として作られたのが、ラジオドラマです。そのラジオドラマに、春陽堂書店がどのような関わりをもっていたのか。全4回に分けて、ラジオドラマと春陽堂の知られざる関係を紹介していきます。


大正時代のラジオドラマ
日本でドラマ番組がいつから放送されたのか、ご存じだろうか。
答えは、今から九十年以上前の、大正14年(1925)から。この年の3月22日に東京放送局(日本放送協会の前身)がラジオ仮放送を開始し、同年6月14日に初めてのラジオ劇(当初ラジオドラマはそう呼ばれていた)「不如帰」(徳富蘆花原作)が、7月12日の本放送初日には「桐一葉」(坪内逍遥原作)が放送された。それ以降、ラジオドラマは急速にお茶の間に浸透したのである。

図1 昭和初期の東京放送局(愛宕山。生田誠氏提供)

大正時代といえば、もちろんテレビもなかった時代である。娯楽といえば芝居や寄席、浪曲や浪花節、活動写真(サイレント映画)くらいであった。そこにラジオが登場して、ニュースや報道番組、英語やフランス語、ドイツ語などの語学講座、料理番組などの教養番組が立ち上げられ、さらに娯楽番組としてラジオドラマが始まったのである。
今でこそ、国内にたくさんの放送局があるが、戦前は日本放送協会(今のNHK)一局のみだった。同協会は、イギリスのBBC(英国放送協会、1922年放送開始)の成功例に倣って、国内外の名作小説をラジオドラマ化しようとしたのである。
尾崎紅葉の「金色夜叉」(大正14年8月14日放送)や「夏小袖」(大正14年9月15日放送)、樋口一葉の「たけくらべ」(大正15年10月2日放送)や「十三夜」(大正15年10月19日放送)も、お茶の間で大好評を博した。
というのも、当時、ラジオドラマには多くの歌舞伎界や新劇、新派の人気俳優が声の出演をしていたからだ。歌舞伎役者の六代目尾上菊五郎や初代中村吉右衛門、新派の井上正夫や花柳章太郎、新劇の水谷八重子や友田恭介と一流揃い。「自宅にいながらにして、憧れのスターの名演技が聴ける」ことから、初の放送番組嗜好調査(大正14年8~9月に日本放送協会が調査)で、落語とともに人気第一位を獲得するほどに、国民はラジオドラマに夢中になったのである。

図2 新劇の人気女優だった水谷八重子(Wikimedia Commonsより)

ドラマ化された名作たち
ラジオドラマ人気も手伝って、仮放送開始時の大正14年3月にわずか3500だった東京放送局の聴取契約者数は、本放送開始後の同年7月末には4万5000に急増する。そこで放送局はさらなる聴取者の獲得のために、看板番組であるラジオドラマを量産しようとした。そして、夏目漱石の「三四郎」(昭和6年8月31日放送)や「坊ちゃん」(昭和11年22日放送)、泉鏡花の「滝の白糸」(昭和2年9月19日放送)や「婦系図」(昭和7年1月30日放送)、岡本綺堂の怪談「牡丹燈記」(昭和2年6月1日放送)、永井荷風の「すみだ川」(昭和3年1月30日放送)などの明治期の文豪たちの作品が続々とドラマ化されていった。

図3 夏目漱石「三四郎」のラジオドラマ脚本(文教大学越谷図書館蔵)

放送当初のラジオドラマは「ラヂオ劇」と呼ばれ、歌舞伎役者や新劇俳優たちが舞台台本を読み上げるだけのものであったが、次第に台本作家が脚本を書いて演出家が演出するようになり、放送局が企画して一から作るオリジナルの創作ドラマも増えていった。
昭和初期までは純文学系の小説のドラマ化が多かったが、昭和十年代に入ると、菊池寛の「忠直卿行状記」(昭和12年6月23日放送)や大仏次郎の「赤穂浪士」(昭和12年9月28日放送)、岡本綺堂の「半七捕物帳」シリーズから「鬼娘」(昭和15年8月7日放送)や「むらさき鯉」(同年8月8日放送)、野村胡堂の「銭形平次」シリーズから「黒木長者のはなし」(同年10月7日放送)などの娯楽色の濃い大衆小説のドラマ化作品が増えていった。
時には、海外の文豪たちの名作ドラマも放送されている。ルナールの「にんじん」(昭和6年4月3日に「赤毛」に改題して放送)やトルストイの「復活」(昭和6年7月23日放送)、ビクトル・ユーゴーの「レ・ミゼラブル」(昭和8年2日に「ジャン・バルジャン」に改題して放送)、アンデルセンの「即興詩人」(昭和15年4月23日放送)などがそうである。
こうしたラジオドラマがどの位の頻度で放送されていたのか。当時の番組確定表で調べてみると、大正14~昭和13年の13年間に実に750回ほど放送されている。放送時間帯は夜の7時のニュースが終わった直後の、いわゆるゴールデンタイムである。多くの人々が一家団欒の一環としてラジオドラマを楽しんでいたのである。

ラジオドラマ「炭鉱の中」
ところで黎明期のラジオドラマの中で、もっとも注目された作品のひとつに「炭坑の中」(大正4年8月3日放送)がある。
このドラマは、劇作家で築地小劇場の創設者としても知られる小山内薫が、イギリスで放送された同一作品(BBC放送制作)を翻訳・演出したもので、炭鉱の中に閉じ込められた男女の極限状態のもつれを、「聴覚だけの世界」で描いた異色のドラマである。

図4 小山内薫(国立国会図書館HP内「近代日本人の肖像」より)

爆発音やスコップやつるはしの音、水があふれる音や賛美歌の歌声など、スタジオ内で音響マンたちが作り上げたリアルな効果音が話題を呼んだ。
この「炭坑の中」は、現在でも「NHKアーカイブス」というネットサイトで聴く事ができる。興味のある方は、ぜひ下記の「NHKアーカイブス」にアクセスして聴いてみてほしい。大正時代の最先端のラジオドラマを堪能できるはずである。

第二回につづく)

NHK名作選 みのがしなつかし ラジオドラマ「炭坑の中」大正14年放送
http://www2.nhk.or.jp/archives/tv60bin/detail/index.cgi?das_id=D0009060004_00000


<参考文献>
竹山昭子『ラジオの時代』(世界思想社、2002年)
西澤實『ラジオドラマの黄金時代』(河出書房新社、2002年)
日本放送協会編『日本放送史(上)』(日本放送出版協会、1965年)
日本放送協会編『NHK放送劇選集①』(日本放送協会、1957年)

この記事を書いた人
文/本間理絵(ほんま・りえ)
1960年、神奈川県生まれ。出版社勤務。著筆に「近代メディアミックスの形成過程~春陽堂書店とラヂオドラマ研究会との連携を中心に」(『出版研究』48、出版ニュース社)、「ラジオテキスト『国民学校放送』にみる戦時の学校放送の近代性」(同46)、「日中戦争時のラジオテキスト『支那語講座』に関する一考察」(同42)などがある。