バームクーヘンでわたしは眠った

内田百閒に「餓鬼道肴蔬目録」という食べ物の名前を並べただけのエッセイがある。戦争で食べられないならせめてじぶんが思いつく限りのおいしいものを並べていこうとする文章だ(かつて「ゼロ・アワー」というおしゃれな文学朗読ラジオ番組で江守徹さんが朗読したことがあった。ちなみにこの番組では宮沢賢治を出川哲朗さんが朗読した)。

もうねむりそうになってうつらうつらしていたときに前に座っていたひとから好きなたべものをずっときいていたことがある。よく「好きな食べ物は?」というたぶん誰も知りたくもない聞きたくもないだろう質問があるが、でもそのときはそんな質問さえしなかった。かってに好きな食べ物を羅列しはじめたのだ。

わかめ、ふ、なめこのお味噌汁、なすの油味噌炒め、肉じゃが、厚焼き玉子、鳥釜飯、牛肉のしぐれ煮。

わたしはほとんど反応していなかったんじゃないかと、おもう。ほんとうにねむくてねむくてしかたなかった。川の向こう岸で花をつんでいるわたし自身をみた。ねむくてねむくてきをうしないそうだった。でもかの女はつづける。

豚の角煮、オムレツ、ポークビッツのソース炒め、竜田揚げ。

人生でいちばんねむりこんだのはいつだったか。わたしはぜんぜんそのとき起きなかった。肩をゆさぶられた。ぱちっと眼をあけたら困った顔のひとがみえた。そのときがいちばんねむった日だ。かの女はもうねむりそうなわたしに話しかけつづける。

ハヤシライス、シチュー、鳥そぼろ、たらこのおにぎり。

失恋して一週間ねむりこんだときがあった。あのとき勉強机の薄い灯りがつけっぱなしだった。部屋のなかを覚えかけの数式がおおきな魚のように行ったりきたりしていた。ラジオからは合唱コンクールが中継されていた。もう秋だった。わたしはまたまくらにふかく沈み込んだ。

レーズンと食べるカマンベールチーズ、ひき肉カレー、バームクーヘン。

この記事を書いた人
yagimotoyasufuku
柳本々々(やぎもと・もともと)1982年、新潟県生まれ 川柳作家
安福 望(やすふく・のぞみ)1981年、兵庫県生まれ イラストレーター