傘は、相変わらず役に立ちません

日比谷線に乗っていたら、むこうのほうから「おれはよう、くずなじんせいあゆんできたからよう」とおおきな声がして、乗っているひとたちが申し合わせたようにいっせいにそちらのほうをみた。くずなじんせいをあゆんできたひとの顔を確認したかったのか。

でもたとえくずだったとしてもちゃんと日比谷線に乗れているんだったらいいのではないかというきがする。わたしもじぶんがやくたたずだなあ、むのうだなあ、つかいものにならないなあ、とおもうことがおおいが(ときどきそれを吐露しているが)、それでもバスのいちばん前の席に手すりにちゃんとつかまりながら姿勢よく乗っていたりすると、無能のわたしがどうしていちばん前の席にこんなちゃんと座って、とおもったりする。そうおもってるあいだもわたしはわりと高速でときにゆったりとカーブし移動しつづけている。

日比谷線のくずのひとだって、じぶんで、くずです、といいながら、わりと高速で都市を移動しつづけていた。うねうねしながら、都市の地下を。

乗り物に乗れたんならとりあえずえらいのではないか。乗り物にのってるひとはどこかで誇らしくつり革をにぎったり、てすりに「おつかまり」したり、「みだりに」ならないで車窓を眺めたりしていればいいのではないか。ひとを傷つけないで。じぶんも傷つけないで。

この記事を書いた人
yagimotoyasufuku
柳本々々(やぎもと・もともと)1982年、新潟県生まれ 川柳作家
安福 望(やすふく・のぞみ)1981年、兵庫県生まれ イラストレーター