霧の中霧のお馬が駈けてゆく
わたしが川柳をはじめたのは川柳作家の小池正博さんの
たてがみを失ってからまた逢おう 小池正博
という句にであってからだった。
なんだかこの句が象徴的なように、わたしは人生で、なんどもなんどもたてがみをうしなって、しっぱいしながら、うろうろしながら、ここまできたようなきがする。そのしっぱいごとに、そのしっぱいの度合いにおうじて、そのたびごとのだれかにであってきたようなきがする。しっぱいすると、だれかにであえる。それがいいことなのかわるいことなのかちょっとわからない。
しっぱいには、いいしっぱいとわるいしっぱいがあるだろう。けれど、ふしぎなしっぱいもあるだろう。
ふしぎなしっぱいをしたい。