小川未明童話紀行「ふるさとの風光、ことばのふるさと」【1】 宮川健郎

もう一度読み返したい! 名作童話の世界。
小社刊、宮川健郎編・名作童話シリーズ『小川未明30選』に収録した、
<小川未明童話紀行>を6回に分けて転載いたします。
編者自ら作者ゆかりの地に赴き、生誕地や作品の舞台を訪ねる旅もいよいよ終盤。
未明と未明童話のふるさとである高田(新潟県上越市)を訪ねました。
雁木の街
 8月のはじめに、高田へ行った。現在は新潟県上越市となっている、そこは、小川未明と未明童話のふるさとである。
 まだ午前中にJR高田駅に着き、まず、駅の近くを少し歩いてみる。駅正面から青田川に向かってまっすぐに行く道路から1本裏手の道へ入り込むと、そこは、雁木(がんぎ)の街だった。通りに面した家々の軒から、雪除けのひさしが長くのび、その下が通路になっている。小さなアーケードのようだ。家のひさしには、屋根へあがる梯子も備えられている。あとで土地の人に聞いたら、昔ほど雪は降らないとのことだったけれど、冬の雪下ろしはたいへんだろう。それでも、原爆忌のころの高田の空は青く高く、気温も30度ほどもあるのだった。

夏の新潟の海。

 最初に、小川未明文学館をたずねた。未明文学館は、高田城跡にも近い市立高田図書館の一階のスペースを使ったこぢんまりした文学館だ。2005年10月の開館だという。学芸員の安田杏子さんがむかえてくださり、ひととおり見学したあと、地図を見ながら、市内と周辺の未明ゆかりの地を確認した。
 今回の一行は4人。写真家の坂口綱男さんと、その助手をつとめてくださったIさん、春陽堂編集部のNさん、そして私である。Iさんの運転する車でうごく。まず、市内幸町の未明生誕の地と、未明がかよった岡島小学校、現在の大手町小学校をたずねる。生誕の碑も、小学校の未明童話「野薔薇」の文学碑も、真昼の高田の日常のなかに建っている。未明、いや、小川健作がこの地に生まれた1882(明治15)年からは、すでに120年がすぎているのだった。

新潟県立高田高等学校(新潟県上越市)。

 つづいて、県立高田高校へ。未明が学んだ旧制中学の後身である。未明が入学した1年後には、糸魚川出身の相馬昌治が入ってくる。のちの詩人、評論家、そして良寛研究家の相馬御風(そうま・ぎょふう)である。早稲田大学の校歌「都の西北」の作詞者というのが、いちばんわかりやすいだろうか。御風も、未明と同様、早稲田に進んだ。未明も御風も中学の文芸部に所属して活躍した。未明は、漢文教師、北沢乾堂から漢詩を学ぶ。乾堂は、佐久間象山の高弟だった。御風は、国語教師、下村千別のすすめで歌を詠むようになる。下村は、上越地方ではよく知られた歌人だった。のちに、相馬御風は、「小川未明論」(『早稲田文学』1912年1月)を書くことになるが、その書き出しは、こうだ。
「私達の郷国の越後から出て来て、東京の文壇に立っている創作家は、小川未明君の外にない。小川君と私とは中学校このかたの同窓の友達である。陰湿な空気に包まれた、ただ広い城跡の、真菰(まこも)の生い茂った濠端に建てられた、何一つ装飾らしいもののない、質素な木造の校舎へ通っていた頃から、小川君と私とは識り合っている。したがって未明君の芸術に対しては、私は他の人よりは特別な親しみを感じている。この点で未明君の芸術に対しては、私は厳正な意味での批判者たり得ないかも知れない。……」

春日山神社(新潟県上越市)。

 途中で昼食をとって、春日山神社へ上がる。上がるというのは、城跡の山だからだ。上杉謙信の居城だった春日山城である。上越市は、もとの高田市と直江津市が合併してできた市だけれど、春日山は、高田の町と直江津の町の中間にある。未明の父で、旧高田藩士である小川澄晴は、上杉謙信を尊敬し、資金をあつめて、この地に、謙信をまつる春日山神社を建てた。未明が中学生の時代に、一家は春日山にうつり、未明は、冬のあいだは、高田に下宿して通学したという。大きな木々のなかの神社の境内には、創立者である未明の父母の霊碑が建っている。霊碑には、未明の文字で、「故山長へに父母を埋めて/我が詩魂日本海の波とならん」。境内には、未明の詩碑もある。──「雲の如く高く/くものごとくかがやき/雲のごとくとらはれず 未明」。

人魚伝説公園(新潟県上越市大潟区雁子浜)。

 さらに、人魚伝説公園へも足をのばした。JR北陸本線の駅でいうと、潟町(かたまち)のあたりの海岸にある。人魚伝説は、土地の若者と佐渡島の娘の悲恋を語る。夜な夜な海をわたってやってくる娘は、人魚だった。上笙一郎(かみ・しょういちろう)『未明童話の本質──「赤い蠟燭と人魚」の研究』(1966年)は、この人魚伝説が未明童話「赤い蠟燭と人魚」のモチーフの一つになったとする。上は、小川未明が主宰し、1912年に創刊された「北方文学」第2号の「北方の伝説民謡」の欄に、「人魚塚」と題する投稿がのっていて、潟町のこの人魚伝説が紹介されていることも書いている。人魚伝説はかなしく、私は、「赤い蠟燭と人魚」に描かれた北方の青い海と、ものすごい波を思ったが、目の当たりにしている真夏の午後の海は、あくまでも明るかった。
※この記事は、宮川健郎 編『名作童話小川未明30選』(春陽堂書店、2009年)に掲載した「ふるさとの風光、ことばのふるさと」を、ウェブ版として筆者である宮川健郎および編集部が加筆修正いたしました。
小川未明童話紀行「ふるさとの風光、ことばのふるさと」【2】へ続く
著書紹介
『名作童話を読む 未明・賢治・南吉』春陽堂書店
名作童話をより深く理解するための一書。児童文学作家、未明・賢治・南吉文学の研究者による鼎談。童話のふるさと写真紀行、作家・作品をさらによく知るためのブックガイドを収録しています。
『名作童話小川未明30選』春陽堂書店
一冊で一人の作家の全体像が把握できるシリーズ。「赤いろうそくと人魚」で知られる、哀感溢れる未明の世界。年譜・解説・ゆかりの地への紀行文を掲載、未明の業績を辿ることができる一冊です。
『名作童話宮沢賢治20選』春陽堂書店
初期作品から後期作品まで、名作20選と年譜、ゆかりの地を訪ねた紀行などの資料を収録、賢治の業績を辿ることができる一冊です。
『名作童話新美南吉30選』春陽堂書店
初期作品から晩年の作品まで、名作30作を収録、南吉の身辺と社会の動向を対照した年譜8頁、ゆかりの地を辿る童話紀行を収録しています。南吉の業績を辿ることができる一冊です。
この記事を書いた人
宮川 健郎(みやかわ・たけお)
1955年、東京都生まれ。立教大学文学部日本文学科卒。同大学院修了。現在武蔵野大学文学部教授。一般財団法人 大阪国際児童文学振興財団 理事長。『宮沢賢治、めまいの練習帳』(久山社)、『現代児童文学の語るもの』(NHKブックス)、『本をとおして子どもとつきあう』(日本標準)、『子どもの本のはるなつあきふゆ』(岩崎書店)ほか著者編著多数。『名作童話 小川未明30選』『名作童話 宮沢賢治20選』『名作童話 新美南吉30選』『名作童話を読む 未明・賢治・南吉』(春陽堂書店)編者。