飼い猫と向かうやさしくひかる底
別にわるいわけじゃないんだけれど、どこにいってもカップルはいるなあとおもう。
参拝に行ったらカップルがお賽銭を投げていて、新幹線に乗ったらカップルがおにぎりをたべながら座っていた。いるなあ、とおもう。
コンビニにいったらカップルがふたりでアイスを選んでいた。わたしもそのよこでだいすきなアイスをえらんだ。
伊勢丹にいったらカップルが着飾っていた。わたしはみじめで、みじめな上半身に、みじめなトレーナーを着込んでいた。
新聞を読んでいたら、デモ隊の写真のとってもうしろのほうにカップルが手をつないでいた。わたしの手は新聞のはしっこをつかんでいた。宇宙船を清掃するときに宇宙空間に放り出されないようにぜんぶのちからを指にそそぎこむかんじで。
テレビをつけてももちろんカップルがいた。それは、新婚のひとたちを紹介する番組で、司会のひとはときどき後ろにゆっくり倒れる。すると椅子もいっしょに後ろに傾き、司会のひとともども、ひっくりかえってしまう。会場に拍手が起こる。手と手が打ち合わされる音が、つづく。
深海にもカップルはいるだろうか。潜水服を着込んだわたしは、潜水服を着込んだ猫を抱いて、深く青黒い海の底に降りていく。猫はときどきわたしの顔をみる。わたしもときどき猫の顔をみる。わたしたちは、ふたりだった。
「だいじょうぶだよ」とわたしが言う。猫もわたしに言う。「にゃあ」と。
とつぜん猫が何かに反応し素早く顔をむけ、わたしもそのほうをみると、無数の潜水服をきたひとたちが海底で手をつなぎあっており、すでにかれらは石となっているのだが、それは、かつて、《大カップル》と呼ばれた何かだということが、あとで、わかる。歴史的なカップルだ。猫を抱く手にちからが入った。
こうごうしかった。