もうよるのせかいにいきていたくない
押井守さんの『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』のオーディオ・コメンタリーをきいていたら、どんなに状況がわるく、ひどくなっていっても、そういったもろもろの状況もぜんぶふくめて表現なんです、と言っていた。
状況も表現なんです。
きれいごとばかりだけではない。なにかをしていると、つづけていると、ときどき裏方はひどいことになっている場合もある。でもそれを隠さず、そういった裏も肯定し、表現にふくみこんでいく。状況の悪化だってまたひとつの表現なのだと。
それは押井守さんのアニメもそうかもしれないし、三谷幸喜さんの舞台だってそうかもしれない。状況を隠さず、錯綜する状況を状況そのものとして押しだしていく。宮崎駿さんのアニメだってそうかもしれない。継ぎ接ぎのようなハウルの動く城はまさにそういった状況がかたちになったものなのかも。
なにがおこってもいいんじゃないかとおもう。いきてるといろんなことがおこるし、ときどき、こんなことほんとにおきんですか、というようなこともおこる。まじですか、と。でもそれらぜんぶもろもろまるごとふくめてじぶんの生の表現なんだとおもえば。
『ビューティフル・ドリーマー』では、さいごに、ラムと諸星あたるが、ながい夢からさめる。でも、今が、夢でないなんてだれにもわからない。夢はぜんぶをかかえ、つづいていく。夢はぜんぶになり、ぜんぶが夢になる。