竹久夢二美術館 学芸員 石川桂子

ブックデザイナー・夢二
 画家の仕事と並行し、夢二はブックデザイナーとして、自身の著書を含め300冊以上に及ぶ本の装幀を残しています。表紙・函(はこ)・見返し・扉……夢二は本の様々な部分の意匠を美しく彩りました。著者と出版社、そしてブックデザイナーである夢二の連携のもと、多くの美しい本が大正期を中心に創り出されました。
 夢二が装幀した本の数々は、和紙あるいは絹地に木版多色刷りによって彩られたものが多く、彫師(ほりし)・摺師(すりし)と呼ばれる版画職人の技術が、夢二画の魅力を一層引き立て、味わい深いものにしています。
 そしてデザイン性が高い夢二装幀の本は、文章を読む愉しみに加えて、書物そのものの美しさも堪能できます。
 夢二の装幀で、春陽堂から初めて出版された本は長田幹彦・著『港の唄』で、大正6(1917)年7月に刊行されました。それより約3カ月前に夢二は同社の雑誌『中央文学』創刊号の表紙絵を担当しましたが、これが春陽堂と組んだ最初の仕事でした。『中央文学』のやりとりを通じて双方が信頼関係を結び、自然な流れで夢二は書籍装幀に関わるようになったと推測されます。
 春陽堂は、創業者・和田篤太郎(わだ・とくたろう)が木版画を熱愛し、書籍の充実を図るために、自社に専属の摺師を置いて力を注ぎました。同社の刊行物は、絹地に木版を施した豪華な表紙や函が人気を呼んでおり、夢二の装幀も美しい木版で彩られました。
長田幹彦と夢二装幀本
 夢二が最も多くの書籍装幀を手掛けたのは、「祇園小唄」の作詞者としても知られる小説家の長田幹彦(ながた・みきひこ 明治20年―昭和39年/1887―1964)【図①】で、春陽堂からも多数の本が出版されました。

① 長田幹彦

 長田は、谷崎潤一郎と並ぶ耽美派作家と当初呼ばれていましたが、『祇園夜話』等により情話文学を興隆させ、さらに通俗物を書き、流行作家となりました。京都・祇園を舞台にした文学作品を長田は次々と創作し、加えて夢二が施す装幀によって人気を博しました。

 今回は春陽堂から出版された長田幹彦の夢二装幀本を3作品紹介したいと思います。

1.『港の唄』 初版:大正6(1917)年7月23日 発行
 表紙と裏表紙【図②(左)】には波をイメージするような図案が配され、函【図②(右)】には女性が描かれています。和服姿の女性が、顔を手で覆って泣く立姿はとても寂しげで、港の向こうには海と山が広がり、部分的に施された青色の効果で、画面は哀調に満ちています。

②(左)『港の唄』(表紙・裏表紙)※写真は52版 (右)『港の唄』(函)※写真は52版

 『港の唄』は読売新聞紙上で、大正5(1916)年12月24日から同6(1917)年6月2日にかけて、152回にわたり連載されました。開始前の告知では「北国の或る港にある運送店の娘の半生を描(うつ)したるもの。(中略)女主人公の数奇なる運命を浮世の浪に漂わすところ、一篇の痛ましき小説にして、また興味深き物語なり」(読売新聞より 1916年12月23日)と紹介されています。
 連載終了後に単行本出版の運びとなりましたが、夢二による装幀は「浮世の浪」を表紙・裏表紙で表しながら、函では登場人物の一人である妹・治子が、流浪の末に故郷の港で死を迎える場面が表現されています。
 ところでこの時の装幀にまつわるエピソードを紹介します。夢二は「港の唄のさいそくが著者から来たので、長い間ほかしてしたものを仕上げよう」と大正6(1917)年6月13日の日記に書き残していて、締切よりも遅く完成したことが窺えます。
 『港の唄』は大変な人気を誇り、当館の所蔵本は52版(昭和2(1927)年4月12日発行)を数えます。
2.『祇園夜話』 初版:(上巻)大正14(1925)年8月18日 発行 (下巻)大正14(1925)年9月15日 発行
 『祇園夜話』は、大正4(1915)年に千章館から、小村雪岱(こむら・せったい)の装幀で世に送り出されました。その出版から約10年ぶりに、本書は夢二の装幀で春陽堂から刊行されました。【図③】作家・正岡容(まさおか・いるる)は夢二装の『祇園夜話』について「絢爛婉麗で、しかも詩趣哀感溢れ漲るその装幀を見よ」(「直木三十五・竹久夢二追憶」より、『荷風前後』収録 1948年)という一文を残していますが、上下巻とも美しい舞妓の姿が表紙に描かれ、見返しや扉も祇園を彷彿させるデザインで出版されました。

③(左)『祇園夜話』上巻・下巻(表紙) (右)『祇園夜話』見返し

③(左)『祇園夜話』上巻(扉) (右)『祇園夜話』下巻(扉)

 だらりの帯に花かんざし、艶やかな着物に身を包んだ舞妓の姿を、夢二は好んで描き表しました。大正5(1916)年末から約2年夢二は京都に移住し、祗園の近くに居を構えていたので、舞妓を日常から多く眼にしていました。また自身も宴席に通い、舞妓と直に接する機会を持ちました。
 本書をはじめ、長田幹彦による祇園を題材に執筆した小説の表紙や函に、夢二は艶やかな舞妓の姿を描き、京情趣に満ちた美しい装幀を手掛けました。
3.『白鳥の歌』 初版:大正14(1925)年9月16日 発行
 貴族と女優と博士との三角関係を軸にした恋愛小説『白鳥の歌』は、大正8(1919)年8月15日から大正9(1920)年3月13日にかけて、東京日日新聞と大阪毎日新聞に208回連載されました。書籍化に当たっては、玄文社が大正9(1920)年3月25日に出版を手掛け、舞台や映画化に伴い評判を呼んで、版を重ねていました。
 それから約5年を経て、『白鳥の歌』は春陽堂から、夢二装幀で新たに出版されました【図④】。前に紹介した2作品とは画風が異なり、表紙と裏表紙には、独特の衣装に身を包んだ男女が描かれ、モダンな趣に満ちていますが、これは1909~29年にセレゲイ・ディアギレフによって主宰された「バレエ・リュス」がモチーフになっています。「バレエ・リュス」は、舞踊や舞台デザインの世界に革命をもたらしたバレエ団で「ロシア・バレエ団」とも呼ばれます。夢二はこのバレエ団に非常に高い関心を寄せ、舞踏を意識した衣装やポーズをデザインに採り入れました。男性が装着しているダイヤ柄のレオタードが眼を引きますが、このアルルカン(道化師)の装いを夢二は気に入り、雑誌表紙等でも繰り返し描きました。

④(左)『白鳥の歌』(表紙・裏表紙)   (右)『白鳥の歌』(見返し)

④『白鳥の歌』(扉)

 春陽堂をはじめ、千章館、玄文社、新潮社からも長田幹彦の著書は多数出版され、夢二は装幀を担当しました。
 長田幹彦は夢二の死後、「竹久君が僕の作品の装幀をしてくれたことは、何よりも僕にとって幸福なことであった。その時代の若い読者を獲得するうえに、非常な魅力であったからである。君の装幀ゆえに本を買ってくれたうら若い女性を僕は数多く知っている」(「竹久君」より『書窓』収録 1936年)と、装幀をめぐる思い出を書き残しました。
 本稿で紹介した長田幹彦の書籍を中心に、春陽堂から刊行された夢二の装幀本を竹久夢二美術館で現在展示しています(計16点)。ぜひ会場で実物をご覧ください。
竹久夢二美術館1階会場にて開催「明治~大正のマルチアーティスト・竹久夢二」の〈ブックデザイナー・夢二〉コーナーにて展示中!(2018年12月24日まで)
夢二と春陽堂 第7回へ続く
この記事を書いた人
石川 桂子(いしかわ・けいこ)
1967年、東京都生まれ。竹久夢二美術館学芸員。編書に『大正ロマン手帖──ノスタルジック&モダンの世界』『竹久夢二♡かわいい手帖──大正ロマンの乙女ワールド』(共に河出書房新社)、『竹久夢二《デザイン》──モダンガールの宝箱』(講談社)、岩波文庫『竹久夢二詩画集』(岩波書店)など。