「ほとんどがわすれてしまったことをわたしたちはおぼえてる」

川柳作家の樋口由紀子さんにこんな句がある。

  明るいうちに隠しておいた鹿の肉  樋口由紀子(句集『容顔』)

なんにもかんがえないでプールのふかい場所で泳いでいるときに、この句をときどきおもいだす。

川柳って、わすれてしまったことで・おぼえてることなのかなあとおもうことがある。隠しておいた鹿の肉みたいに。

だから、どこか、どきっとするものだ。知らないふりをして、知ってたことだから。

わたしたちはなんとなく忘れたふりをして、よく覚えている。愛し方や愛され方だって、さいしょは知らないふりをしていても、どこかではよく覚えていて、とつぜんひとを愛したり、愛されたりもする。

わすれてたのに・わかってたことが、川柳なのかもしれないなあとよく思う。そうしてそれはひとの愛の文法、わすれてたふりをして、わすれられないことにも似ているんじゃないかなとおもう。あなたは愛を語りすぎです、と言われたこともあった。あなたは愛をしらないのに語りすぎです、と。

でも、しらないひとのほうがよくしっているかもしれない。わすれてたのに、わかってたこと。

この記事を書いた人
yagimotoyasufuku
柳本々々(やぎもと・もともと)1982年、新潟県生まれ 川柳作家
安福 望(やすふく・のぞみ)1981年、兵庫県生まれ イラストレーター