「ほとんどがわすれてしまったことをわたしたちはおぼえてる」
川柳作家の樋口由紀子さんにこんな句がある。
明るいうちに隠しておいた鹿の肉 樋口由紀子(句集『容顔』)
なんにもかんがえないでプールのふかい場所で泳いでいるときに、この句をときどきおもいだす。
川柳って、わすれてしまったことで・おぼえてることなのかなあとおもうことがある。隠しておいた鹿の肉みたいに。
だから、どこか、どきっとするものだ。知らないふりをして、知ってたことだから。
わたしたちはなんとなく忘れたふりをして、よく覚えている。愛し方や愛され方だって、さいしょは知らないふりをしていても、どこかではよく覚えていて、とつぜんひとを愛したり、愛されたりもする。
わすれてたのに・わかってたことが、川柳なのかもしれないなあとよく思う。そうしてそれはひとの愛の文法、わすれてたふりをして、わすれられないことにも似ているんじゃないかなとおもう。あなたは愛を語りすぎです、と言われたこともあった。あなたは愛をしらないのに語りすぎです、と。
でも、しらないひとのほうがよくしっているかもしれない。わすれてたのに、わかってたこと。