作家・脚本家 柏田道夫

知ってるようで知らない時代劇あれこれ。知ってると、時代小説、映画やドラマの時代劇が、もっと楽しめる時代劇講座「時代劇でござる」。第四席は江戸時代の庶民の住まい「長屋」でござるよ。
第四席 切絵図持って江戸散歩
 江戸ものの小説を読みながら、側に置いて「おっ、本所の相生町(あいおいちょう)か、この町に住んでるんだ。両国橋まですぐじゃないか!」みたいに使いたいのが切絵図ですね。
 本物の江戸好きならば必携ですし、もっと好きな人、達人になると切絵図を片手に、実際に東京のあちこちを歩いて江戸の名残を探してみたり。
 徳川家康が江戸を政治経済の本拠地と決めてから、箱根の先のど田舎の平野はアッという間に開発され、18世紀には人口80万を越える世界有数の大都市になりました。
 大火事にたびたび見舞われ、そのつど町の姿も大きく変わるのですが、この町を地図にしたものが江戸図と呼ばれるものです。初期のころの地図はかなり大ざっぱなものでしたが、後期になると、色刷りの折り畳み式、コンパクトで携帯できる切絵図も盛んに出版されるようになりました。
 本屋さんに行くと、当時の切絵図をより見やすくした江戸図が出されています。現在の町と対応したものや、歌川広重の『名所江戸百景』と合わせたものなど、眺めているだけでも楽しめます。
 ただし初心者には、この切絵図を使いこなすには、多少の経験(慣れ)が必要かもしれません。なにせ、今の地図みたいに北が上になっておらずに、江戸城を中心に時計回りに並べられていて、「ええっと、下谷絵図のこっちと小石川谷中本郷がこう繋がっているのか」みたいに。私のような方向音痴にはなかなか掴めずに、パズルを解いているような気がしました。
 あらためて基礎知識ですが、これらの色刷りの切絵図は、名前の入っている白い敷地のところと、グレーの町名だけのところに大別されます。赤は寺社地です。
 幕府は地方大名に参勤交代を命じ、大名の妻子の江戸在住を義務づけました。このために江戸城を取り囲むように大名の上、中、下屋敷、さらに直参旗本たちが住む屋敷が建てられました。
 江戸図の主な用途は、江戸土産と、こうした屋敷への訪問や売り込み、付け届けといったことだったといわれていて、それで各家の名前が記されています。それ以外の江戸庶民が住んでいた町人地が、グレーな地域です。ここに小さな家や長屋がびっしりと軒(のき)を連ねていました。
 江戸の人口は時代で違いますし、出入りが激しかったので分かりにくいのですが、参勤交代で来た地方のお侍から旗本、御家人、家臣、中間小者といわれる人たちの数と、町人たちが同程度だったといわれています。ですが、その半数の町人が住む土地は、江戸の16パーセント程度だったといいますから、町人地は超過密でした。
 ところで江戸時代の話は、お侍を主人公とする「武家もの」と、町人たちの世界を描く「市井(しせい)もの」とに大きく分けられます。
 市井もので欠かせないのが、町人である主人公たちが住む長屋です。もちろん町人のすべてが長屋住まいではなく、金持ちならば庭付きのお屋敷や一戸建て、粋人ならば根岸あたりの別荘的な侘(わ)び住まいという人もいたでしょう。
 けれども多くの庶民、江戸の町人はわずかな土地に押し込められるように暮らしていましたので、いわゆる長屋住まいでした。落語や時代劇ではおなじみの江戸庶民の集合住宅ですね。
 長屋には表店(おもてたな)と裏店がありました。店(たな)といった場合は家をさします。
 表店は文字通り表通りに面した長屋で、ほとんどが店舗を兼ねていました。八百屋、魚屋、髪結床、豆腐屋、飲み屋といった商店だったり、表具屋、染め物屋といった職人の仕事場兼店舗で、この表店は入るための権利料に加えて家賃も高く、そうした店を構えられることは出世の証でした。
 落語でおなじみなのは裏店と呼ばれる裏長屋ですね。一番多かったのは、間口九尺(約2.7メートル)に奥行き二間(約3.6メートル)のいわゆる九尺二間で、今でいうとほぼ六畳間くらいの広さです。基本は平屋ですが二階建てもありました。
 
 棟割長屋は、九尺二間を背中合わせにくっつけた一番の安普請。隣の音なんて筒抜けです。
 六畳空間といっても、入口の腰高障子を開けると、一畳半分の土間で、そこに竈(かまど)と流しがあって、水瓶や桶などが置かれていました。ここで草履や下駄を脱いで、住民が過ごす空間は残りの四畳半一間。押入があるのはいい方で、多くは蒲団や着物などを部屋の隅に積むか、棚の上などに乗っけていました。他は照明用具の行燈(あんどん)、日々使う食器類、それぞれの商売道具、神棚に仏壇といった程度で、実に質素な暮らしでした。
 もちろん便所(関西では〝雪隠(せっちん)〟、関東では〝後架(こうか)〟)や井戸は共同。実際に時代劇で描かれるように、まさに井戸端でおかみさんたちが、たらいを出して洗濯しながらよもやま話に花を咲かせました。
 

竃(へっつい)幽霊
総後架(共同便所)でうっかり紙を下に落としてしまった熊さんは、通りかかった若旦那に紙をもらいます。このあと、二人でいわくつきのへっつい(かまど)を運んで……。

 この長屋を管理したのが〝大家といえば親も同然〟の大家さん。ただこの大家はほとんどが、地主ではなく、借家人の管理を地主から請け負って行う管理人的な人でした。
 店賃を集めた手数料の他、大きな収入となったのが、借家人たちの屎尿(しにょう)です。これを下肥として近郊の農家に売りました。住民一人あたり一年で米一斗ほどの値になったといいますからバカにできません。
 江戸の裏長屋の住民は貧しいながらも、無駄なく日々の暮らしを送ったんですね。
この記事を書いた人
文/柏田道夫(かしわだ・みちお)
1953年、東京都生まれ。作家、脚本家。雑誌編集者を経て、95年『桃鬼城伝奇』(学習研究社)で第2回歴史群像大賞、同年『二万三千日の幽霊』で第34回オール讀物推理小説新人賞を受賞。映画『GOTH』(高橋玄監督・2008年)、『武士の家計簿』(森田芳光監督・2010年)、『武士の献立』(朝原雄二監督・2013年)などの脚本を手がけ、シナリオ・センター講師も務める。
絵/橋本金夢(はしもと・きんむ)