きみのめのだんだん面になってゆく
蛭子能収さんがかつて「眠る映画はいい映画なのです」と書いていたことがあり、ほんとそうかもしれないなとおもったことがある。
映画館にいくとわかるが、暗闇にゆっくりスクリーンがあらわれる背景は、夢、にちかい。
わたしたちは映画を観に映画館にいくんではなく、夢を観に映画館にいくのかもしれない。ひとをつれて、ひとにつれられて、てをつないで、てをつながれて。
だから、眠る映画というのは映画そのものなのだ。映画を観ながらねむっていい。映画だけができる体験なのだから。幼い頃、祖母の話をききながらねむったように、そうしていい。そして、ぱっとめがさめると、まだその映画はやっている。
あなたが起きたところで夢はつづいているのだ。
そういうことが、あって、いい。