きみのめのだんだん面になってゆく

蛭子能収さんがかつて「眠る映画はいい映画なのです」と書いていたことがあり、ほんとそうかもしれないなとおもったことがある。

映画館にいくとわかるが、暗闇にゆっくりスクリーンがあらわれる背景は、夢、にちかい。

わたしたちは映画を観に映画館にいくんではなく、夢を観に映画館にいくのかもしれない。ひとをつれて、ひとにつれられて、てをつないで、てをつながれて。

だから、眠る映画というのは映画そのものなのだ。映画を観ながらねむっていい。映画だけができる体験なのだから。幼い頃、祖母の話をききながらねむったように、そうしていい。そして、ぱっとめがさめると、まだその映画はやっている。

あなたが起きたところで夢はつづいているのだ。

そういうことが、あって、いい。

この記事を書いた人
yagimotoyasufuku
柳本々々(やぎもと・もともと)1982年、新潟県生まれ 川柳作家
安福 望(やすふく・のぞみ)1981年、兵庫県生まれ イラストレーター