秋の工場 猫町なんて無いのです
福田若之さんの句集『自生地』をさいきんもちあるいて読んでいる。
顔が浮かぶのがつらくて自転車を、夏、野に倒す 福田若之
句が、自生するように、のびのびしている。書く、というより、そう書いてしまった、書くことが書き出しはじめてしまった、そんな句なのだ。
帯文には、俳句、ではなくて、句と文、と書かれている。福田さんにとってもんだいなのは、俳句とはなにか、というよりも、むしろ、句と文はどんな関係にあるのか、そこに書くことがどうかかわるのか、なのかもしれない。
書けばそこになにかがうまれる。それはわすれられなくなる。書くこと以上のなにかがうまれる。でもこの世界にうそはある。ほんとうのうそもある。書くことはそのほんとうのうそにかかわってゆく。書くことってなんだろう。