秋の工場 猫町なんて無いのです

福田若之さんの句集『自生地』をさいきんもちあるいて読んでいる。

  顔が浮かぶのがつらくて自転車を、夏、野に倒す  福田若之

句が、自生するように、のびのびしている。書く、というより、そう書いてしまった、書くことが書き出しはじめてしまった、そんな句なのだ。

帯文には、俳句、ではなくて、句と文、と書かれている。福田さんにとってもんだいなのは、俳句とはなにか、というよりも、むしろ、句と文はどんな関係にあるのか、そこに書くことがどうかかわるのか、なのかもしれない。

書けばそこになにかがうまれる。それはわすれられなくなる。書くこと以上のなにかがうまれる。でもこの世界にうそはある。ほんとうのうそもある。書くことはそのほんとうのうそにかかわってゆく。書くことってなんだろう。

この記事を書いた人
yagimotoyasufuku
柳本々々(やぎもと・もともと)1982年、新潟県生まれ 川柳作家
安福 望(やすふく・のぞみ)1981年、兵庫県生まれ イラストレーター