小川未明童話紀行「ふるさとの風光、ことばのふるさと」【5】 宮川健郎

もう一度読み返したい! 名作童話の世界。
小社刊、宮川健郎編・名作童話シリーズ『小川未明30選』に収録した、
<小川未明童話紀行>を6回に分けて転載いたします。
編者自ら作者ゆかりの地に赴き、生誕地や作品の舞台を訪ねる旅もいよいよ終盤。
今回は、未明の大きな転機となった童話作家宣言についておおくりします。

転機
 小川未明は、その出発期から、小説も童話も書いたが、大正末には、童話に専念することを決意する。その決意を述べたのが、いわゆる童話作家宣言、1926年5月13日に「東京日日新聞」に掲載された「今後を童話作家に」という文章である。未明の作家生活の大きな転機を示すばかりではなく、未明の童話観がよくあらわれている文章なので、ここに全文を引いてみる。
 自由と、純真な人間性と、そして、空想的正義の世界にあこがれていた自分は、いつしか、その芸術の上でも童話の方へ惹かれて行くようになってしまいました。
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 私の童話は、ただ子供に面白い感じを与えればいいというのでない。また、一編の寓話で足れりとする訳でない。もっと広い世界にありとあらゆるものに美を求めたいという心と、また、それ等がいかなる調和に置かれた時にのみ、正しい存在であるかということを詩としたい願いからでありました。
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 この意味において、私の書いて来た童話は、即(すなわ)ち従来の童話や、世俗のいう童話とは多少異なった立場にいるといえます。むしろ、大人に読んでもらった方が、却(かえ)って、意の存するところが分ると思いますが、飽くまで、童心の上に立ち、即ち大人の見る世界ならざる、空想の世界に生長すべき芸術なるがゆえに、いわゆる小説ではなく、やはり、童話といわるべきものでありましょう。
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 多年私は、小説と童話を書いたが、いま、頭の中で二つを書き分ける苦しさを感じて来ました。「未明選集」六巻の配布も、去る四月にて完了したのを好機として、爾余(じよ)の(そのほかの──宮川注)半生を専心わが特異な詩形のために尽したいと考えています。
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 たとい、いかなる形式であっても芸術は、次の時代のためのものでなければならない。そして、その意味からいっても、童話の地位は、今後もっと高所に置かれなければならないであろう。童話文学の使命については、いずれ異日に譲る。過去の体験と、半生の作家生活において、那辺(なへん:どのあたり──宮川注)に多少の天分の存するかを知った私は、更生の喜びと勇気の中に、今後、童話作家として、邁進をつづけようと思っている。ここに敢えて声明するゆえんのものは、ただ友人諸君の平素の眷顧(へいそのけんこ:いつも目をかけてもらっていること──宮川注)にそむからざらんことと諒解をこいねがうためとであります。―五月九日―
 
 この宣言が発表された当時、人々は未明の決意に姿勢を正すような思いで読んだだろう。未明が、あえてえらんだ「童話」は、社会的な地位の低いものでもあったと思う。
 

新潟の夏の海。未明はこの海を眺めながら作品の着想を得ていたのかもしれない。

 ところが、この童話作家宣言は、太平洋戦争後の1960年前後には、大きな批判にさらされることになる。1960年に刊行された、石井桃子らの『子どもと文学』は、日本の子どもの文学のそれまでのあり方を見直し、今後を見通そうとした本だ。このなかでは、小川未明をはじめとする六人の童話作家の作品や文学観、子ども観が検討されている。小川未明の章を書いたのは、いぬいとみこだが、未明の童話作家宣言によって、「生きた子どもそのものより、作家と子どもの『童心』に基礎をおいた『童話=詩』という形の文学が、日本近代童話の主流であることが、このときから決定的になった」と批判している。子どもの文学は、作家の自己表現か子どものための表現か、これは、しばしば問われることがらである。未明は、彼が「わが特異な詩形」と呼ぶ「童話」を明らかに自己表現の器としてえらんでいる。それに対して、戦後の児童文学者たちは、子どもに語る表現をさがしていたのである。
※この記事は、宮川健郎 編『名作童話小川未明30選』(春陽堂書店、2009年)に掲載した「ふるさとの風光、ことばのふるさと」を、ウェブ版として筆者である宮川健郎および編集部が加筆修正いたしました。
小川未明童話紀行「ふるさとの風光、ことばのふるさと」【6】へ続く
著書紹介
『名作童話を読む 未明・賢治・南吉』春陽堂書店
名作童話をより深く理解するための一書。児童文学作家、未明・賢治・南吉文学の研究者による鼎談。童話のふるさと写真紀行、作家・作品をさらによく知るためのブックガイドを収録しています。
『名作童話小川未明30選』春陽堂書店
一冊で一人の作家の全体像が把握できるシリーズ。「赤いろうそくと人魚」で知られる、哀感溢れる未明の世界。年譜・解説・ゆかりの地への紀行文を掲載、未明の業績を辿ることができる一冊です。
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この記事を書いた人
宮川 健郎(みやかわ・たけお)
1955年、東京都生まれ。立教大学文学部日本文学科卒。同大学院修了。現在武蔵野大学文学部教授。一般財団法人 大阪国際児童文学振興財団 理事長。『宮沢賢治、めまいの練習帳』(久山社)、『現代児童文学の語るもの』(NHKブックス)、『本をとおして子どもとつきあう』(日本標準)、『子どもの本のはるなつあきふゆ』(岩崎書店)ほか著者編著多数。『名作童話 小川未明30選』『名作童話 宮沢賢治20選』『名作童話 新美南吉30選』『名作童話を読む 未明・賢治・南吉』(春陽堂書店)編者。