冬林檎そのひととしていいからね
向田邦子『阿修羅のごとく』にはこんなシーンがある。
巻子「いつかのあの、あれねえ」
鷹男「うん?」
巻子「つきあってる女のひとのこと」
鷹男「そんなの、絶対にいないって言ったろ。あのとき、お前、判ったって」
巻子「あたし、本当は信じてないのよ」
にこやかにあいさつをする巻子。
(向田邦子『阿修羅のごとく』)
妻は夫に「いつかのあの、あれ」とアバウトに問いただしながらも、きっぱりと「本当は信じてないのよ」と告げる。そしてこころの激情とはうらはらに「にこやかに」訪れる客人にあいさつをする。阿修羅のようにたくさんの顔をつかいこなす妻。
向田邦子はこのドラマで〈セックス〉が描きたかったのだという。
向田は演出の和田勉に次のように言った。「一組の男女が、コップいっぱいの水を分け合って飲むこともセックスだし、蜘蛛が口から糸を吐き出して自分の巣を作っていく、あれもセックスなのよね」
向田はセックスをあらゆる関係として、今つくられつつある何かとして、かんがえはじめている。セックスは、きづくと、ふとしたしゅんかんに、あちこちに、なんでもない今この場所にある。そしてひとは、きづくと阿修羅の顔になっている。
巻子「どうしたらいいの。こういう時」
鷹男「一番いいのは、時が解決してくれるのを待つことだね」
巻子「時って、不公平なのよ。あとから好きになった人のこと余計に好きだもの。年とった方が捨てられること、あるもの」
『阿修羅のごとく』は、不倫、別離、病気、宗教、自殺未遂、詐欺、を通り過ぎ、登場人物みんながほほえんで終わる。