作家・脚本家 柏田道夫

知ってるようで知らない時代劇あれこれ。知ってると、時代小説、映画やドラマの時代劇が、もっと楽しめる時代劇講座「時代劇でござる」。第五席は江戸時代の町民の暮らしぶりでござるよ。
第五席 長屋のおかみさん、大奮闘
 江戸町民、庶民の暮らしを支えた裏長屋。
 前回はおおよその構造、見取り図をご紹介しましたが、今回は町人の暮らしぶり、生活を再現してみましょう。
 長屋の朝は早く、明け六つ(午前5〜6時)の鐘が鳴ると、主婦であるおかみさんは起きて、顔を洗って房楊枝で歯を磨いて、朝餉(あさげ)の支度を始めました。亭主が大工さんなどの出職(でしょく:左官や庭師など、よそに出かけてする職業)ならば朝五つ(7〜8時)には仕事場に出向きますので、竈(かまど)で火を起こして飯を炊いて、味噌汁を用意しました。
 ちょうどそこの頃に、食材を両天秤で担いで売りに来るのが棒手振り(ぼてふ)りです。当時は漬け物や味噌醤油、米といった食品以外は保存がききませんので、その日に食べる分だけを、こうした商人から求めました。アサリやシジミ、ドジョウ売り、納豆売り、豆腐に油揚げ、季節の野菜を売る青物売り、煮豆売りなどです。
 酒屋や米屋、魚屋のような表店、裏店にも買いに行ったりしましたが、主に一文商いといわれるこうした物売りが安くて便利でした。
 長屋の働き者のおかみさんは、朝ご飯を亭主や子供に食べさせて、仕事や寺子屋に送り出します。
 そうそう、落語の『芝浜』は、長屋のおかみさんが、酒を呑むと仕事を休んじゃう亭主、魚屋の金さんを早朝にたたき起こして、魚の仕入れに出したはいいが、時を間違えてまだ夜中、仕方がなくて金さんが芝の浜に行くと、皮財布を拾ったことで……という噺(はなし)でしたね。

芝浜
芝の浜で財布を拾ったとはしゃぐ飲んべえ亭主。おかみさんはこれを強引に夢にしてしまった。3年後、真面目に働くようになった亭主に、あのときの財布を見せる。

 話を戻すと、亭主たちを送り出したおかみさんは、井戸端会議をしながら洗濯です。それから裁縫や内職に精を出し、お昼に子供が帰ってくると一緒に朝の残りで昼食。弁当を持たせたこともありました。
 子供が寺子屋から帰ってくるのが八つ(午後2〜3時)頃で、小腹を満たすおやつを与えました。
 亭主が仕事から帰ってくると夕餉(ゆうげ)の支度。また棒手振りが魚や野菜、惣菜を売りに現れます。
 江戸では朝に一日分のご飯を炊いて、それを夜までに食べ、上方では主に夜に炊いて、残りを翌日の朝や昼に片づけました。
 夕餉の前に亭主は子供を連れて湯屋に行き、一日の汚れを落としました。女湯はむしろ昼過ぎが、芸者や常磐津(ときわず:浄瑠璃の一派)のお師匠さん、茶屋女といった働く女たち、さらにはおかみさんたちで混んだということ。夏は行水で済ませることも多かったようです。
 夜はなるべく早くに寝ます。灯りに使う油代がもったいないから。
時代劇の夜の場面で、蝋燭(ろうそく)の灯りで本を読んだり、密談したりしますが、これはかなりのお金持ちです。庶民が使うのはもっぱら行灯(あんどん)ですが、中は蝋燭ではなく小皿に油が入っていて、灯心が浸してあって、これに火がついていました。
そこで使われる油も菜種油は高級品の方で、一番安いのはイワシなどの魚油でした。これは臭くて明るさもなく、使いづらかったようです。
 こうして長屋の灯りはひとつ消え、二つ消えて、早い朝に備えて住民たちは、眠りについていきます。
 さてさて、こうした貧乏長屋の住民たち、本当に貧しい家の子だと10歳くらいになると、女の子は子守や下女奉公、男の子は丁稚奉公や職人の弟子入りをしたり。ただそれでも、大抵の子は六、七歳から近所の寺子屋に通って、読み書き算盤を習っていました。
 女の子は特に、縁談の話の出る14、15歳まで、手習いや三味線、踊り、お花といった習い事に熱心でした。そうしたことに秀でていると、御殿奉公や商家勤めに有利で、さらにはそこから玉の輿(こし)といった道も拓けたから。
 落語だと『八五郎出世』みたいな、妹がお殿様の子を産んだことから、兄の八五郎がお屋敷に呼ばれて大騒ぎして、という噺(はなし)があるけど、そんな玉の輿はめったにない。大体は庶民同士で所帯をもって長屋暮らしでした。
 でも、武家の結婚だと、ほとんどが本人たちの意思は関係なく。家同士で決められたのだけど、町民は恋愛や結婚は結構自由。親同士が認めれば許されました

たらちね
大家さんの勧めでおかみさんをもらうことになった八っつぁん。この娘、武家奉公をしていたので、すべてが漢文調の武家言葉。

 そうはいっても、仲人を立てての見合い結婚が多く、芝居や物見遊山を口実に互いの顔を見て、めでたく婚約。結納交わして、嫁側が花嫁道具と持参金で輿入(こしい)れしました。持参金の一割を仲人役が手数料として貰っていく。町の医者の中には、こっちが本業のようになり、幇間医者(たいこいしゃ)と呼ばれたり。
 町内や長屋の縁談だとそれもなく、手鍋下げて所帯ができて、大家が人別帳に夫婦の名前を書き入れ、町役人に届ければ夫婦と認められました。
 現代人には違和感のあるお歯黒は、既婚女性の印で、黒は不変な色で〝二夫にまみえず〟の印として歯を染めました。さらに子を産むと眉を落とし、髪は丸髷(まるまげ)に結いました。「丸髷になって娘は角がとれ」という川柳も。
ただし、離縁もわりと多くて、いわゆる〝三行半(みくだりはん)〟は、亭主が女房に渡す離縁状ですが、けっして夫が女房に叩き付けて、というのではなく、女房が拒否もできました。嫁入り時に持ってきた持参金を、きちんと返却しないと離縁が認められませんでしたし、「離縁したので、再婚してもいいですよ」という許可状でもありました。江戸の女房も結構強かったのです。
この記事を書いた人
文/柏田道夫(かしわだ・みちお)
1953年、東京都生まれ。作家、脚本家。雑誌編集者を経て、95年『桃鬼城伝奇』(学習研究社)で第2回歴史群像大賞、同年『二万三千日の幽霊』で第34回オール讀物推理小説新人賞を受賞。映画『GOTH』(高橋玄監督・2008年)、『武士の家計簿』(森田芳光監督・2010年)、『武士の献立』(朝原雄二監督・2013年)などの脚本を手がけ、シナリオ・センター講師も務める。
絵/橋本金夢(はしもと・きんむ)