大蔵流〈茂山千五郎家〉に生を受け、
京都1000年の魑 魅ちみ 魍魎 もうりょうをわらいで調伏する男、ここにあり。
この物語は、ややこしい京都の町で、いけずな京都人を能舞台におびきよせ、
一発の屁で調伏してしまう、不可思議な魅力をもつ茂山家の狂言の話である。
道行案内は、ぺぺこと茂山逸平と、修行中の慶和よしかずにて候。


靭猿・解説
太郎冠者を連れて狩りに出た大名が、さるきの男に出くわす。
大名は猿曳きの連れているまだ幼い猿を見て、自分の弓矢を入れたうつぼに、その猿の皮を張りたいから、猿をよこせ、と横暴な要求をして猿曳きを弓矢で脅す。
猿曳きが猿をつえで殺そうとすると、猿はそのむちづえを取って舟のをこぐ芸をはじめる。
猿曳きは、猿の可愛らしさといじらしさに、「えーん、えーん」と泣きだした。 
大名も心を改め、猿の命を助けることにした。
猿曳きは、お礼に猿を舞わせて芸を見せる。大名も猿と共に舞い踊り、めでたしめでたし。
~猿の面は痛くてかゆい~
狂言は「猿に始まり、狐に終わる」が修業の道。
「靭猿」の猿の役をし、狂言を学び、「釣狐」まで演じることができるようになれば、一人前の狂言師です。
慶和が「靭猿」を演じたのは、初舞台「以呂波」から一年後の5歳の時でした。
猿のしぐさや舞の可愛さが、演目の良し悪しを決めてしまう大切な役です。
猿の面は木でできているので、顔にはめていると窮屈で痛くなる。
ずっと面をしていると蒸れてかゆくなる。
着ぐるみは、すべて縫い付けてあって空気の通るところがない。
演目自体が40分以上と長めで、猿が舞い踊る見せ場の時間が大変長い(笑)。
子どもにとってはちょっとした試練です。
舞の後半になると、猿の足元が揺らいだり、疲れてきている様子が伝わってきます。
能楽師としての足腰、身体をきたえ、安定した舞ができるようになるのも、これからの訓練です。
悪人として登場する大名は父の七五三、猿は慶和が演じました。
僕は猿曳き、大名の家臣は宗彦です。親兄弟三代で演じているわけですから、互いの息遣い、感情、しんどさは、以心伝心で伝わってきます。
~靭猿の見どころ~
大名の横暴で無理な要求に対して、身分の低い猿曳きは、幼き頃より教え育てた猿への愛情と、猿曳きとしての矜持きょうじで、大名に対して引かず、怒り、抵抗します。
特別な学問を持たなかった庶民が筋を通そうとする姿には、思わず声援を送りたくなります。大名も、自分の思い通りにならない「猿曳きごとき」に腹を立て、猿もろとも矢で射殺そうとします。
猿曳きは、猿が苦しまないように鞭杖で自ら殺すことを決心し、猿を抱くようにして語りかけます。
「汝、畜生なれど、今御供の言うことを、よー聞けよ。そちは子猿のうちより飼い育て、色々と芸能を教え、今は汝がかげで、妻子ともども楽々と身命しんみょうを育むところ、それがしの運こそ尽きたれ。今日という今日、今という今、あれ、あれにござるお大名にて遭うたればな、そちが皮を貸せ、靭にかけたいとのことじゃ。だんだんとおわい口をもってお詫びを申し上げたれど、きき入れぬにおいては、某もろとも射てとらせられようとのことじゃ。恥ずかしながら背に腹はかえられいで、今汝を討つほどにな。必ず必ず、草場の陰からも、某を恨み飛ばして思うてくれるな。ましよ! 今が最期じゃ。今討つぞ! えい!」
いざ猿曳きが猿を討とうとしたときに、猿はその鞭杖を取って、舟の櫓を押すまねをはじめるのです。
猿曳きは、感極まって泣きだしてしまいます。
この緊張感、緩急、一番の見せどころです。
なぜ泣くのかと大名に問われた猿曳きは、大名の家臣に答えます。
「あの猿は、子猿のうちより飼い育て、今では舟の櫓を押すまねを教えてござれば、畜生のかなしさは、今、己の命を討つる杖とも知らず、討つ杖を取って、舟漕ぐ真似をせよと心得、舟漕ぐまねを致しまする。あの体を見ては、たとえ猿曳きもろとも射てとらせられようとあっても、猿において討つことはならぬと仰せられ、ならぬと仰せられー、えーん、えーん」
畜生=けだものの猿は、自分の命を主人に取られるとはわからず、いつも芸を教えられている鞭杖をむけられたので、舟の櫓を押す芸をするのだと思い、可愛らしく舟の櫓を漕ぎ始めたというのです。
このことを承知した大名も、「さてもさても、哀れなことじゃ」「猿の命を助けねばならない」となり、猿の命を助けることになります。
悪者として登場した大名は、猿に哀れを感じる心を持ち、猿の命を助け、もともと自分が猿の皮を欲した行為が引き起こした事件だったことを忘れて、「ええことしたな」と、猿と共に舞い踊ります。猿も、踊りながら、時々大名をひっかくような仕草をします。
全く愚かな大名ですが、大名の人間像には、全くの悪人も善人もいない人の姿の真実が、猿曳きの機転や抵抗には、手立てなく権力と向き合ってきた庶民の姿が表れています。
狂言は人間讃歌です。
人間味あふれるあたたかく愚かな人間そのものを全力で肯定していきたい。
僕はそんな風に思います。
~泣くことと笑うこと~
「靭猿」で大名役をした父・七五三しめは、その頃、喉頭癌の治療中でした。
大名を演じながら、父は演技のタイミング的には2.3分早く泣きだしました。
演技ではなく、舞い踊る子猿の慶和を見て、本気で泣き出してしまったんです(笑)。
お客さんは、父が癌の治療中ということも知っていたので、感動されている様子が伝わってきました。父の気持ちを察してくださったのでしょう。
お客さんには、僕たち茂山家を応援するような気持ちで来てくださっている方たちもあり、本当にありがたいと思っています。
ところが、家族はあとで大爆笑(笑)。
「そこで泣くか!」「はや!」と、家族が大爆笑するくらい父は涙もろい。
お猿役の慶和も公演中にじいじが泣いていることに気づいていました。
感情の発露としては、泣くことと笑うことは実は近いのではないかなと思います。
狂言を見に来てくださるお客さんも、ときにじんと涙ぐんでいただいたり、愉快にほっこりと笑ってもらえたらと思っています。
~稽古とご褒美~
慶和の普段の生活は妻が世話をし、僕と父が慶和に稽古をつけるという役割分担をしています。
僕は公演中でもフランスにいても、スカイプや電話で慶和の稽古をします。
それに引きかえ、父のお稽古と接し方は甘い!(笑)。
慶和は父の稽古の時は泣かないけれど、僕の時は泣いていないふりをして泣きます。
父があまりに慶和に甘いので、連れ合いが「もう少し厳しくしてほしい」と頼んだんです。
そうしたら返ってきた答えが「厳しくしたらカズがお泊りしない言うねん」──。
「なぜびびるのか」と思いました。
お稽古の週末は慶和は父の家に泊まるんですが、父はそれを楽しみにしているのです。
この連載も、僕と慶和の物語だと伝えたら、「おじいちゃんは抜き?」とさみしそうにするので、ちょっと登場してもらいました。
稽古が終わると、京都伏見の大黒ラーメンが慶和のご褒美です。最近は慶和も狂言師としては体重がオーバーしてきたので、ラーメンは週2回までということにしています(笑)。
狂言師は動けないといけないので体重管理も大切な仕事です。
ラーメンがご褒美という庶民的な茂山家を、これからも応援していただければうれしく思います。
●茂山 逸平(しげやま・いっぺい) 大蔵流狂言師(クラブsoja 狂言茂山千五郎家)。
1979年、京都府生まれ。曾祖父故三世茂山千作、祖父四世茂山千作、父二世茂山七五三に師事。甥と姪が生まれたときに、パパ、ママのほか、逸平さんをペペと呼ばせたので、茂山家では以降ぺぺと呼ばれるようになった。
●茂山 慶和(しげやま・よしかず) 逸平の息子。2009年生まれ。4歳のときに「以呂波」で初舞台。小学校1年生から謡曲を習い、義経の生まれ変わりだというほどに、義経好き。稽古のあとの楽しみは、大黒ラーメン。
狂言公演スケジュール
http://kyotokyogen.com/schedule/
『茂山逸平 風姿和伝 ぺぺの狂言はじめの一歩 』(春陽堂書店)中村 純・著
狂言こそ、同時代のエンターティメント!
大蔵流<茂山千五郎家>に生を受け、京都の魑魅魍魎を笑いで調伏する狂言師・茂山逸平が、「日本で一番古い、笑いのお芝居」を現代で楽しむための、ルールを解説。
当代狂言師たちが語る「狂言のこれから」と、逸平・慶和親子の関係性から伝統芸能の継承に触れる。
構成・文/中村 純(なかむら・じゅん)
詩人、ライター、編集者。東京都生まれ。三省堂出版局を経て、京都転居にともない独立。著書に『女たちへ──Dear Women』(土曜美術社出版販売)、『いのちの源流──愛し続ける者たちへ』(コールサック社)など。