「舌 この不思議な小さな筋肉は」
アクセルの『バベットの晩餐会』が好きでなんどか観ているのだが、「舌はお祈りに使いましょう」というセリフがある。
舌は味わうためのものではなく、信仰のことばのためのものだと。
でもその信心ぶかいひとたちがバベットがつくる料理の旨さに負けてしまう。舌もこころも溶けてしまい、うずらのパイやウミガメのスープを味わいながら、みんなで一つになっていく。舌は、ほんとうに、お祈りになった。ことばを超えて。みんなを結びつけて。
穂村弘さんが、ねっころがっててもひとは祈りのかたちであることがある、という話をラジオでしていたことがある。祈りって、祈ってるときだけじゃない、だらしないかたちでもひとは祈ってることがある。穂村さんはそんな話をしていた。わたしは横になりながら録音したそれをきいていた。おもいだした。