蝶の大群「機械のような魚の群れが」
エッシャーは不思議な画家だ。エッシャー展の図録をずっと読んでいたのだが、エッシャーの絵では滝が流れつづけ、ひとが階段をのぼりつづけ、鳥が魚に変化しつづけ、いつまで見ていても〈終点〉がない。
エッシャーは空間のひとだったみたいだ。息子が潜水して取った写真からもふしぎなくうかんのインスピレーションをうけたらしい。
分け入つても分け入つても青い山 種田山頭火
わけいってわけいって奥にすすんでも手前に巨大な山がある。エッシャーみたいだ。俳句は空間のミキシングのようなところがあるが、エッシャーも空間のミキサーだったかもしれない。
エッシャーは絵の終点をつくらなかった。ずっとぐるぐるするような絵ばかり描いた。山頭火にも終点はなかったのかもしれない。
まつすぐな道でさみしい 種田山頭火
山頭火にはエッシャーみたいなぐるぐるした終わらない道があってたかもしれない。
ぐるぐるしたみちがたのしい。