蝶の大群「機械のような魚の群れが」

エッシャーは不思議な画家だ。エッシャー展の図録をずっと読んでいたのだが、エッシャーの絵では滝が流れつづけ、ひとが階段をのぼりつづけ、鳥が魚に変化しつづけ、いつまで見ていても〈終点〉がない。

エッシャーは空間のひとだったみたいだ。息子が潜水して取った写真からもふしぎなくうかんのインスピレーションをうけたらしい。

  分け入つても分け入つても青い山  種田山頭火

わけいってわけいって奥にすすんでも手前に巨大な山がある。エッシャーみたいだ。俳句は空間のミキシングのようなところがあるが、エッシャーも空間のミキサーだったかもしれない。

エッシャーは絵の終点をつくらなかった。ずっとぐるぐるするような絵ばかり描いた。山頭火にも終点はなかったのかもしれない。

  まつすぐな道でさみしい  種田山頭火

山頭火にはエッシャーみたいなぐるぐるした終わらない道があってたかもしれない。

ぐるぐるしたみちがたのしい。

この記事を書いた人
yagimotoyasufuku
柳本々々(やぎもと・もともと)1982年、新潟県生まれ 川柳作家
安福 望(やすふく・のぞみ)1981年、兵庫県生まれ イラストレーター