春という汚い手書きで始まる詩

チェーホフの『ワーニャおじさん』のワーニャおじさんは、初登場シーンで、ぐったりしたかんじででてくる。演劇なのに、立ってどうどうとでてこないで、ぐったりしたかんじであらわれるのがおもしろい。いいとおもう。

大事な場面のときにぐったりしていることがある。なんでかはわからない。ワーニャおじさんのようにそばにあるものにもたれて、ぼんやりしている。そばにあるもの、ほどよくしたしいひとや切り株や冷たい壁。それにもたれる。なんどもそういうことがあった。特に大事な場面にそうなってしまうことがおおい。わたしがどれだけがんばろうとしても、緊迫感をだそうとしても、わたしが、わたしのからだが逃げていく。のか。おおい、とおもう。逃げてゆくわたしへのかけ声として。おおい、と。

この記事を書いた人
yagimotoyasufuku
柳本々々(やぎもと・もともと)1982年、新潟県生まれ 川柳作家
安福 望(やすふく・のぞみ)1981年、兵庫県生まれ イラストレーター