春という汚い手書きで始まる詩
チェーホフの『ワーニャおじさん』のワーニャおじさんは、初登場シーンで、ぐったりしたかんじででてくる。演劇なのに、立ってどうどうとでてこないで、ぐったりしたかんじであらわれるのがおもしろい。いいとおもう。
大事な場面のときにぐったりしていることがある。なんでかはわからない。ワーニャおじさんのようにそばにあるものにもたれて、ぼんやりしている。そばにあるもの、ほどよくしたしいひとや切り株や冷たい壁。それにもたれる。なんどもそういうことがあった。特に大事な場面にそうなってしまうことがおおい。わたしがどれだけがんばろうとしても、緊迫感をだそうとしても、わたしが、わたしのからだが逃げていく。のか。おおい、とおもう。逃げてゆくわたしへのかけ声として。おおい、と。