家にむかってくるこわい流れ星

もちろん逃げなかったこともある。逃げるためのでんしゃを逃げないでんしゃに変えた。たえて。あまりの緊張で、でんしゃがどろどろにみえた。あしがしずんでゆく。わたしの横では手をつないだ男女が動物園でアメリカバイソンをみたことについて話し合っている。「臭ったね、建物みたいだったね、顔が」と。わたしは緊張で吐きそうになっていて、あたまがゆれ、いまにもまえにうしろに倒れそうになっている。でも、電車のなかで倒れたら、たどりつけないからな、とわたしはおもう。電車のなかで倒れるってことはたどりつけないってことだよな、と。からだはたどりつくかもしれない。でもわたしがたどりつかない。このわたしが。みあげると電車に張り巡らされた広告ポスターの波瑠がわたしをみている。「そうだよ、お茶、おいしいよ」と。そうかも。またあのわたしなのかも。でもこんどはちがうわたしなのかも。

わたしはしかたないにんげんだとおもう。またいつか逃げることがあるだろうか。それとも逃げても逃げなくてもどっちでもいい場所にたどりつくだろうか。しかたない旅をしているとおもう。

この記事を書いた人
yagimotoyasufuku
柳本々々(やぎもと・もともと)1982年、新潟県生まれ 川柳作家
安福 望(やすふく・のぞみ)1981年、兵庫県生まれ イラストレーター