大蔵流〈茂山千五郎家〉に生を受け、
京都1000年の魑 魅ちみ 魍魎 もうりょうをわらいで調伏する男、ここにあり。
この物語は、ややこしい京都の町で、いけずな京都人を能舞台におびきよせ、
一発の屁で調伏してしまう、不可思議な魅力をもつ茂山家の狂言の話である。
道行案内は、ぺぺこと茂山逸平と、修行中の慶和よしかずにて候。


「花子」茂山逸平、茂山童司(三世千之丞)、茂山千五郎
2018年6月9日 MUGEN∞能 於:京都観世会館
狂言に登場する女たちには、ひとつの型があります。
「わわしい女」──気が強く、口さがないうるさい女たちです。
今回は、狂言に登場する女たちを手がかりに狂言の世界観をお話しいただきました。

~『花子はなご』~
花子・解説
ある男が、妻の目を盗んで美濃の国の遊女・花子に逢瀬をするために、持仏堂で一晩座禅をすると嘘をつき、座禅衾ざぜんぶすまをかぶせた太郎冠者を身代わりにして花子のところへ出かけます。窮屈そうな姿に同情した妻が座禅衾を脱がすと、出てきたのは太郎冠者!
ことの真相を知った妻は激怒し、自分が座禅衾をかぶり浮気夫を待ち構えます。
花子との逢瀬から夢見心地で帰ってきた男は、座禅衾をかぶっているのは太郎冠者だと思い、花子との夜ののろけ話を歌い踊りながら語ります。
ところが、座禅衾を取ると出てきたのは、怒り心頭の妻!
『花子』は、能の『班女はんじょ』をもとにした作品です。
狂言師の中でも特殊な位置づけにある作品で、茂山千五郎家では「極重習ごくおもならい」に位置付けられています。
「猿にはじまり、狐に終わる」という狂言の修業過程のあとにくるものです。
猿から狐の修業過程では、役者として色々な我慢を覚えます。
演じる我慢、体力的な我慢、肉体的な我慢、表現者としての我慢。
そうした修業を経て、狂言師として何を工夫してきたのかを見せるのが『花子』という作品です。
能楽師狂言方として、「おかしみ、わらい」の方向性も問われるわけです。
浮気者の男、間の抜けた男を表現しながら、技術的にはうたいの力量も問われます。
『釣狐』からのちの10年を試される大きな位置づけにあるのが、『花子』です。
浮気をするために太郎冠者を使って策略をしたものの、浮気から帰ってきてのろけ話をしている相手が、実は奥さんだった。
『花子』に登場する奥さんは、夫が大好きで大好きで仕方ない。
でも、花子に逢うために、何とかしてその奥さんのもとを離れたい夫。
しかも奥さんは浮気話を延々と聞かされるわけです。
浮気を謡と舞で表すくだらなさ。
とてもくだらないものを全力でする。これが狂言です。
── 女性が「わわしい女」として登場する時代背景にはどんなものがあったのでしょう。

江戸時代は、女性が一段下に見られていた時代。
女性の側は三行半みくだりはんを渡されたら、回避権もなく離縁されてしまう。
弱者をいじめたところで面白くないので、男中心の社会で弱者と思われがちな女性を強くする、というのが狂言の典型的な作り方です。
「権力を笑う」という構造に狂言のおかしみがあります。

『花子』©Halca Uesugi

『花子』©Halca Uesugi

狂言の描き方は、わらいとおかしみなので、ただ強いだけでなく、怖いし、口うるさい。
でも、狂言に登場する奥さんたちは、ずっと怖いわけではないんです。
怖い場面を作り出しているのは、だめな亭主です。
芯の強い女性が至極いちずに旦那さんを想っているというデフォルメが、狂言の中での「わわしい」女たちになる。だから、追い込んでくるくらいに旦那さんのお尻を叩く。
自分のためではなくて、家のためにもしっかりしなさいよ、という「しっかり者」の女性なんです。
「かかあ天下」という概念は江戸時代にもあって、こういう作り方がおもしろいと思われていたのだと思います。

『花子』©Halca Uesugi

わわしい─口うるさいだけではなく、旦那さんのことが好きで大事。
その愛情の表現があまりにも強くでてくるので、うるさい。愛しすぎた人ですね。
─重たくなって逃げてしまう夫がでてくるけれど、最後は夫の側は別れたくないわけです。そんな狂言を少し紹介しましょう。
~『石神いしがみ』~
石神・解説
稼がない、家に帰ってこないグータラな亭主に、とうとう我慢がならなくなった女房が、仲人に離婚を告げます。
仲人は、出雲路の夜叉神に行って、石神に訊くように女房に言います。
実はこの石神、女房と別れたくない亭主が化けたもの。
女房に、懸命に離婚を諦めさせようとします。
最後に正体が見破られるのは、狂言のいつものオチです。
『石神』に出てくる奥さんも、夫のことがとても好き。でも夫にもう我慢ができない。
この作品では、珍しいくらいに奥さんが怖くなくて、最後の一瞬だけ「わわしい」女になります。『石神』はずっといい奥さん。離婚をする理由は全部旦那さんが悪い。
出雲路の夜叉神は、現在も京都御所の鬼門(北東)にある、道祖神を祀る出雲路幸神社さいのかみのやしろです。今後の道行きを占うという意味で、登場したのでしょう。

『石神』©Halca Uesugi

~『鎌腹かまばら』~
夫の尻を叩く女の代表作品です(笑)。
舞台に転がり出る太郎冠者と、鎌をもって追いかけてくる妻という特殊な始まり方をします。普通の狂言は、まずは名乗りから始まります。
この太郎が一番ダメなんじゃないのかな。何もしていないわけですね。
当時も稼がない、家に帰らない、という夫はいた。
飲みに行っているのか、浮気をしているのか、とにかく帰ってこない。
『鎌腹』の妻が、女の中では一番勢いがあります。
「あの男は何の役にも立たないので、この鎌でうちころいてわらわも死んでのきましょう」─グータラの亭主と一緒に死んだら、もう怒らなくていいだろう、これ以上怒りたくないから一緒に死のうというほど、亭主のことが好きなんです。
愛しすぎた女を美しくすると心中になるのですが、狂言だからこんなふうになる。

『鎌腹』©Halca Uesugi

~『すすがわ』~
フランスの古典喜劇(ファルス)の『洗濯桶』の翻案です。
文学座の公演のために、飯沢ただす先生が書きおろした作品なんです。
嫁と姑に虐げられている婿養子の夫が、レジスタンス(抵抗)をするお話です。
川で洗濯をしていた夫に、嫁と姑が次々に家事を命じるので、夫は仕事をすべて紙に書きだしてもらう約束をします。
夫は女房の小袖を川に捨てて、小袖を取ろうとした女房が川にはまって助けを求めても、「書いていない仕事」なのでしないというのです。
フランスのお話を狂言にあてはめたので、女の人の立ち位置がほかとは違います。
それだけに作り方が特殊です。
コント的な創り方をした新作の狂言で、初演は1952(昭和27)年です。
学校狂言でもします。
女子校で演じて、「こういう女性にはならないように」とオチをつけます。
狂言の中の愛すべき魅力的な女性たちを見に、是非舞台にいらしてください。
●茂山 逸平(しげやま・いっぺい) 大蔵流狂言師(クラブsoja 狂言茂山千五郎家)。
1979年、京都府生まれ。曾祖父故三世茂山千作、祖父四世茂山千作、父二世茂山七五三に師事。甥と姪が生まれたときに、パパ、ママのほか、逸平さんをペペと呼ばせたので、茂山家では以降ぺぺと呼ばれるようになった。
●茂山 慶和(しげやま・よしかず) 逸平の息子。2009年生まれ。4歳のときに「以呂波」で初舞台。小学校1年生から謡曲を習い、義経の生まれ変わりだというほどに、義経好き。稽古のあとの楽しみは、大黒ラーメン。
狂言公演スケジュール
http://kyotokyogen.com/schedule/
『茂山逸平 風姿和伝 ぺぺの狂言はじめの一歩 』(春陽堂書店)中村 純・著
狂言こそ、同時代のエンターティメント!
大蔵流<茂山千五郎家>に生を受け、京都の魑魅魍魎を笑いで調伏する狂言師・茂山逸平が、「日本で一番古い、笑いのお芝居」を現代で楽しむための、ルールを解説。
当代狂言師たちが語る「狂言のこれから」と、逸平・慶和親子の関係性から伝統芸能の継承に触れる。

この記事を書いた人
構成・文/中村 純(なかむら・じゅん)
詩人、ライター、編集者。今年は、『風姿和伝』をしっかり編集します!

写真/上杉 遥(うえすぎ・はるか)
能楽写真家。今様白拍子研究所で幻の芸能白拍子の魅力を伝えるべく日々修行中。