「はてなダイアリー」というブログサイトで、10年以上、ほぼ毎日のように日記をつづってきたが、2018年末にシステムが変更となり、移行手続きが必要となった。私はネット音痴で、複雑な(手慣れた若者にとっては歯を磨くような簡単な)操作がひどくおっくうだ。いちおう試みてみたが、途中で挫折。ほかのサイトに乗り換える手もあったが、ここいらでひとくぎり。休むことにした。以後、会ったいろんな人から「ブログ辞めちゃったんですか。淋しいです」と言われ、多くの人が読んで下さっていることがわかったのは収穫であった。ここにこうして、春陽堂さんのウェブサイトで、4カ月ぶりのブログ再開となる。読まれることを意識して、読む、歩く、聴く、人と会う日常を記していこうと思う。
岡崎 武志
【第1回】その1
5月1日(水)曇りから雨
新天皇誕生と、元号が「平成」から「令和」に改まり、マスコミ報道はその話題一色で染め上げられている。新元号が、大売り出しのごとく大量に広がり、あっというまに定着した感じだ。世はゴールデンウィークの真っ最中。10連休という大型連休となったが、フリーの当方はさほど影響なし。町なかを行き交う車の数が、いつもより少ないか。
それよりも、春陽堂から5月下旬に発売される私の新刊『これからはソファーに寝ころんで』の再校ゲラを、担当のOさんに手渡す大詰めがこの日。初校で、あれこれチェックしたつもりが、まだまだ漏れや、勘違い、不確かな情報、単純なミスが散見され、ゲラを赤字で大幅に汚してしまう。校正者とOさんに、入念なチェックをしてもらい助かった。毎度ながら、本が一冊、世に出るために、どれほどの手間がかかるのかと、天を仰ぐような気持ちだ。
『これからは~』の「あとがき」にも書いたが、担当のOさんが同じ市内の住人で、ともに利用している駅近くの喫茶店で、ゲラの受け渡しができる。「これから家を出ますよ」「じゃあ、私も」と、タイムロスなく落ち合うことができて、これは便利だった。ゲラを前に、いくつか再度の相互確認をして、ようやく私の手からは離れた。1時間ほど、途切れなく神経を使い集中すると、もう脳みそが床に落とした豆腐のような状態になる。ヒートアップして、ぼおーっとしている。
熱冷ましに、2つ隣りの駅で開催されている古本市を覗きに行く。国分寺駅に隣接して昨年4月にオープンした商業施設「ミーツ国分寺」内特設会場で、「国分寺大古書市」が開かれていることをポスターで知った。これが2回目の開催。東京を中心に、一部埼玉、静岡と他県の古書店14軒が集結している。見慣れぬ店名もあり、おそらくふだんはネット販売をしている業者かと思われる。1カ月以上の長期開催で、夜は9時と遅くまで開いているのが特徴か。
古本の背を追っていると、足湯に浸かったように気持ちがほぐれていく。小1時間ほど回遊し、3冊を購う。石森章太郎・原作/辻真先・文『小説 佐武と市捕物控』(朝日ソノラマ/1969年)200円。岡崎武志『古本めぐりはやめられない』(東京書籍/1998年)300円。高橋哲雄『アイルランド歴史紀行』(ちくま学芸文庫)250円。
『古本めぐり~』は、私の古本に関する最初の著作。自分の本を自分で買うなんて、と不思議がられるが、もう版元が絶版にし在庫がないようなものは、手持ち用の予備として、けっこう買うことがあるのだ。いま、改めて中を開くと、書影の図版や、自分で描いたイラストが多数使われている。20年前の自分は、張り切っていたのだなあ、と感慨があるのだ。
5月2日(木)曇りのち快晴
再校ゲラ、Oさんから、まだ不明な点など質問があり、着地できていない。「二〇〇二年の手帳」という文章を書いて、手帳の扉に書きとめた北園克衛の詩「花」の一節が、原典が見つからず、引用が確かめられない。さあ、どうするか。ギリギリのところで、今日、まず「国分寺市立図書館」の蔵書検索で、「光図書館」に現代詩文庫の『北園克衛詩集』(思潮社)があることを知り、自転車で行って借り出す。椅子に座って、当該の作品を探すが見当たらなかった。さて、困った。
そのまま電車に乗り、中央線を東へ。西荻「盛林堂書房」と「音羽館」の詩歌の棚を見るが、『北園克衛全詩集』(沖積舎)が、おいそれと置いてあるわけではない。三鷹へ移動。詩集、句集、歌集に強い「水中書店」へ行ってみたが、ここでも空振り。「音羽館」「水中書店」では、また古本を買ってしまい、何をしていることやら。和田まさ子詩集『軸足をずらす』(思潮社)800円は、いい買い物だ。
いったん、家に戻って、パソコンで再検索。そうだ、中央公論社の『日本の詩歌』シリーズに、何人かと抱き合わせで北園が収録されているはずだ。私が見たのはそれかもしれない。少し離れた「恋ケ窪図書館」に、『日本の詩歌』全巻が揃っていると分かり、再び自転車のサドルにまたがる。午前中、空を覆っていた黒い雲が去って、真っ青な天空が広がっている。Tシャツ姿の人がいる。こぶしの白い花が咲いている。こぶしを見ると、自然に「北国の春」が口から飛び出す。カラオケではぜったい歌わない歌だが。
自転車で15分ぐらいの「恋ケ窪図書館」へ。ここは岩波文庫が壁一面に揃っている。ハヤカワのポケミスも借り出すのはここだ。都立多摩図書館を除き、市内に図書館は6館あり、もちろん基本図書など重なるものもあるが、うまく分散して、それぞれ特色を出している。
『日本の詩歌 25 北川冬彦 安西冬衛 北園克衛 春山行夫 竹中郁』は、すぐ見つかった。北園のページを繰ると「あった!」。やっぱり、これを見て、手帳に書き付けたのだった。だから、自分の部屋の蔵書のどこかにあるはずなんだが、図書館で探す方が早い、というのが情けない。
借り出して、電話でOさんに報告。正確な原文を伝える。「ありがとうございます!」と礼を言われたが、本当は、もっと早くに自分でチェックすべきだったのだ。本に引用したのは2連のみ。せっかくだから「花」の全行をここで引用しておこう。2行で1連、全7連の短い作品。いい詩なんだ、これが。
北園克衛「花」
雨の音とともに
黄梅が匂つてきた
風さへつのり
夜がふけていつた
ひとり
詩集をひらき
友の詩を
すこし読み
菫さく野をおもひ
遠い山河をおもつた
そして疲れ
おもひも尽きた
暗い部屋にゆき
風のやうに眠つた
何冊かは持っている『日本の詩歌』を全巻揃えたくなってきた。全30巻+別巻。のち中公文庫に収録されたが、函入りハードカバーの元本で欲しいですね(装幀は中林洋子)。ゲラの手直しも、今日でおしまい。今夜は「風のやうに眠」ろう。
5月3日(金)はれ
『これからはソファーに寝ころんで』の「まえがき」にあたる文章で、和田誠『お楽しみはこれからだ PART2』(文藝春秋)から引用している。和田誠が観た映画の中から、気に入ったセリフを取り上げ、それについて文章とイラストを書くという趣向。じつに洒落ている。『キネマ旬報』連載が順次、文藝春秋から単行本化され『PART7』まで出た。私は、音楽を聴きながらお酒を飲むときなど、このシリーズを何度でも読み返す。相当、影響を受けていると思う。
私が関西在住時代、参加した同人誌に連載したのが「映画以外の名セリフ こんなお楽しみもあるのだ」というエッセイだった。イラストも和田誠そっくりに真似て描いたものである。以来、自分でも映画を観ながら、気に入ったセリフが出てくるとメモをするようにもなった。
『オーシャンと十一人の仲間』(1960年制作のアメリカ映画)を、先日初めてテレビで観た。これも『お楽しみはこれからだ PART3』に登場している。ルイス・マイルストーン監督。シナトラ始め、ディーン・マーティン、サミイ・デイビス・ジュニアなど、いわゆる「シナトラ一家」が勢揃い、なんてことはこの本で知った。2001年『オーシャンズ11』に始まり、『12』、『13』とリメイクされたことでも知られるだろう。
もと同じ空挺部隊の仲間だった連中が、チームを組んで、ラスベガスのカジノ5つの売上げをかっさらう。そのうちの1つ「サンズ」を担当するのはシナトラだが、「楽屋落ちを言えば、この映画が作られた頃、シナトラは『サンズ』の経営者の一人」だったと、和田誠が該博な知識を披瀝している。なんでもよく知っているんだ、和田誠は。
ジミー役のピーター・ローフォードもシナトラ一家の一員だが、映画では富豪の母を持つボンボン。したがって金に困っているわけではない(お小遣いはいつでももらえる)が、仲間ということで現金強奪に参加する。母親は恋多き女で過去に5回も結婚している。そして今、新しい恋人が。ジミーは義父となるべきその男が気に入らない(そのことはのちの伏線になる)。和田誠を真似して、1つ、名セリフを引いてみる。
母親とジミーの別れ際の会話。
「結婚式には出てね」
「ぼくが出なかったことがあるかい」
「最初のは、ね」
つまり、最初の結婚で生まれた子どもがジミーだから、結婚式に出られるわけはないのだ。こういうウィットに富んだ会話を、もし日本映画でやると、違和感があるでしょう。土壌が違う気がするのだ。
『お楽しみはこれからだ』シリーズは、現在、版元品切中。過去に文庫化もされていない。いくつか古書検索サイトを見ると、定価以上の値がついている場合もある。そう言えば、さいきん、このシリーズを古本屋でまったく、と言っていいほど見かけなくなった。つい先日、国分寺にできた「早春書店」で、『PART2』と『3』を各300円で見つけ、探せば家の中にあるのに買ってしまった。いま、読みたいと思ったからである。まだ読んだことがない、という人がいて、どこかで見つけたら、だまされたと思って買ってみて下さい。
ちなみにこの連載のタイトルイラスト(和田誠に似せて描いた)には、横組み英文で小さく「SOMEBODY UP THERE LIKES ME」と副題をつけておいたが、じつはこれも『お楽しみはこれからだ』(第1巻は「PART1」がついていない)からの引用である。ポール・ニューマン主演『傷だらけの栄光』の原題で、和田誠は「誰か上の方で俺を好きなんだ」と訳している。「誰か上の方」とは、つまり「神様」のことだ。
(写真とイラストは全て筆者撮影、作)
『これからはソファーに寝ころんで 』(春陽堂書店)岡崎武志・著
ほんとうのオトナは退屈なんて知らない!
もっと歩こう、もっとつまずこう、もっと立ち止まろう
旅先で起こった出来事、日常のささやかな発見。人生の寄り道・迷い道で心に刻んだことを、著者自身のイラストや写真とともにエッセイでつづる。それは、思わず「自分も出かけたくなる」「追体験したくなる」小さな旅のガイドにも。
さらにユニークな書評、映画評も盛り込んだ、まるごと1冊岡崎ワールド!
┃この記事を書いた人
岡崎 武志(おかざき・たけし)
1957年、大阪生まれ。書評家・古本ライター。立命館大学卒業後、高校の国語講師を経て上京。出版社勤務の後、フリーライターとなる。書評を中心に各紙誌に執筆。「文庫王」「均一小僧」「神保町系ライター」などの異名でも知られ著書多数。
北園克衛「花」
雨の音とともに
黄梅が匂つてきた
風さへつのり
夜がふけていつた
ひとり
詩集をひらき
友の詩を
すこし読み
菫さく野をおもひ
遠い山河をおもつた
そして疲れ
おもひも尽きた
暗い部屋にゆき
風のやうに眠つた
雨の音とともに
黄梅が匂つてきた
風さへつのり
夜がふけていつた
ひとり
詩集をひらき
友の詩を
すこし読み
菫さく野をおもひ
遠い山河をおもつた
そして疲れ
おもひも尽きた
暗い部屋にゆき
風のやうに眠つた
『これからはソファーに寝ころんで 』(春陽堂書店)岡崎武志・著
ほんとうのオトナは退屈なんて知らない!
もっと歩こう、もっとつまずこう、もっと立ち止まろう
旅先で起こった出来事、日常のささやかな発見。人生の寄り道・迷い道で心に刻んだことを、著者自身のイラストや写真とともにエッセイでつづる。それは、思わず「自分も出かけたくなる」「追体験したくなる」小さな旅のガイドにも。
さらにユニークな書評、映画評も盛り込んだ、まるごと1冊岡崎ワールド!
ほんとうのオトナは退屈なんて知らない!
もっと歩こう、もっとつまずこう、もっと立ち止まろう
旅先で起こった出来事、日常のささやかな発見。人生の寄り道・迷い道で心に刻んだことを、著者自身のイラストや写真とともにエッセイでつづる。それは、思わず「自分も出かけたくなる」「追体験したくなる」小さな旅のガイドにも。
さらにユニークな書評、映画評も盛り込んだ、まるごと1冊岡崎ワールド!
岡崎 武志(おかざき・たけし)
1957年、大阪生まれ。書評家・古本ライター。立命館大学卒業後、高校の国語講師を経て上京。出版社勤務の後、フリーライターとなる。書評を中心に各紙誌に執筆。「文庫王」「均一小僧」「神保町系ライター」などの異名でも知られ著書多数。