【第1回】その2


5月4日(土)
 おかしな天気で、午後、黒雲湧いて、カミナリが鳴ったかと思うと突然の雨、というかヒョウが降る。窓ガラスに当たる音が硬い。午前中に自転車で近所のスーパーへ買い物に行った。これがいい気晴らしになる。家族3人揃った昼は、冷やしうどんと決めて、稲庭ふう細うどんの生麺と、切らしているしょうが、単品の天ぷらなどを買う。これぐらいの季節になったら、もう昼は麺類と決めてしまってかまわない。
 5月6日に文京区民センターで、ドキュメンタリー作家の稲塚秀孝監督作品『書くことの重さ 作家佐藤泰志』上映会があり、上映後、招かれて私が少し喋ることになっている。『書くことの重さ』の上映会では、過去に2度、同様に喋っている。1990年に41歳で自殺した作家・佐藤泰志については、その再評価について、いろいろ関わりができて、方々のイベントに参加した。堀江敏幸さんと対談、というようなことも、佐藤泰志あってのことだった。そして佐藤の故郷、函館にも呼ばれたのだった。
 一人出版社クレインが2007年に『佐藤泰志作品集』を出したのが、佐藤泰志リバイバルのきっかけで、2008年の「西荻ブックマーク」というイベントで、クレインの文弘樹さんを中心に「そこのみて光輝く 佐藤泰志の小説世界」を開催した際、私が聞き手になった。このイベントの主催者である、西荻の古本屋「音羽館」店主の廣瀬洋一さんも参加して、思い出深い回になった。会場に佐藤の娘さん(長女)がいらしていて、少し話を聞いたりもしたのだ。以後、佐藤の作品が続々と文庫化され、『海炭市叙景』ほか全4作が映画化されるとは、まるで想像していなかったのである。
 佐藤については、取材も受け、文章も書いて(『移動動物園』(小学館文庫)の解説を含む)、ずいぶん出しゃばったが、しばらく間が空いていた。何もなしで、いきなり佐藤について、また語ることはできない。久しぶりに、佐藤について少し調べ、5月6日の準備をする。

 連休中、いちばん遠くへ出かけたのが、4月28日の谷中・根津・千駄木の「一箱古本市」。あと、電車に乗ったのは国分寺と西荻ぐらいか。ほとんど家と、自転車で行ける周辺にとどまった。ずいぶん本も読んだし、テレビで映画も観た。安上がりの連休であった。
 ロバート・B・パーカーが創出した私立探偵スペンサーのシリーズも、全作、何度か読み返しているが、今日、ハヤカワ・ミステリ文庫『ペイパー・ドール』(菊池光訳)を一気に読む。3度目ぐらいか。常連で相棒のホークが顔出しはするが、捜査にからまないこと、ドンパチの荒っぽいシーンがないことなど、シリーズ中の異色作である。例によって、スペンサーがへらず口を叩いて相手を怒らすところが大いにおかしい。また、本作では、2人の登場人物が飼う犬が、物語に直接影響を及ぼさないが、非常に重要な存在として描かれている。犬がいい味を出しているのだ。
 なんでもない描写が非常にうまく、詩情にあふれているのも魅力だ。
 こんな感じ。
「微風が高い花をなでて家の前を通り抜け、花が静かに揺れた。ハチも一緒に揺れていたが、微風など気にせず、花の蜜に神経を集中していた」
 何かを象徴しているわけでもない。意味付けはないのだ。スペンサーは行動する男だが、その合間に挟まる、こうした情景描写が、ときとして血なまぐさく、殺伐とした人間関係において、いいアクセントになっている。文章によるBGMといったところか。
 私はミステリーにおける犯人探しや、密室のトリックなどにさほど関心がなく、追いつめられた人間の心理や、なにげないディテールを好む。だから、犯人がわかってしまっていても、何度でも、同じ作品を読むことができるし、むしろ楽しい。
 私はこのシリーズ、文句なく大好きなのだが、日本のハードボイルド作家・稲見一良いつらがエッセイで、ボロクソにくさしていた。チャンドラーの後継者、と評されるのが気に入らないらしい。そうかなあ、そんなにひどいだろうか。好き嫌いはもちろんあって、そのことを書いてはならぬわけではない。ただ、嫌悪には多く偏見も混じり、あまりストレートに書くと品位を失う。けなすのには芸が必要ではないだろうか。

5月5日(日)はれ

 午後1時より、「古本屋ツアー・イン・ジャパン」小山力也さんと、国分寺「七七舎しちしちしゃ」で一日店番をする。数年前オープンした際にも、すぐ近くの2号店で同様のイベントをした。我ら古本者コンビが、古本屋で店番をする、というのがイベントなのである。その2号店を「早春書店」が引き継ぎ、かわりに1号店が隣りにあった和菓子店(閉業)を改装、壁を一部ぶちぬいて結合させて(言ってることわかるかな)倍以上の広さになった。そのリニューアルオープンを記念して、ふたたび店番をすることになったのだ。

 午後6時まで、小山さんはもっぱらレジ打ちをし、私は本のクリーニングと、指定された値付けをして、100円均一に補充する係を受け持った。こまめに、20回は店頭の均一棚に補充したのではないか。驚いたことに、連休中にもかかわらず、大勢の客が店を訪れ、本を買っていった。本って、こんなに売れるものかと驚いたのだ。とにかく、店番している間、ほとんど客足が途切れることはなかった。店主の北村誠さんも、一日中店にいて(買い取りや値付け等で忙しく、そういうことは珍しいそうだ)、常連さんと楽し気に話をしていた。本を買って帰ると、奥さんに叱られるので、見つからないように玄関を入るんだと告白していた御老人もいた。
 この日、均一棚を補充しながら、私が「これは!」と買ったのが、カバーなしで小口に汚れあり、ではあるが逸品の『フォーク・ゲリラとは何者か』(自由国民社/1970年)。1969年反安保運動の高揚のさなか、新宿西口広場に若者たちが大挙して集まり、ギターでフォークや反戦歌を合唱するようになった。それが「フォーク・ゲリラ」である。その中心人物としてべ平連(ベトナムに平和を!市民連合)活動をしていた吉岡忍、山口文憲(のちに両者ともノンフィクション作家となる)がいた。この本は、吉岡忍編著となっているが、背には同じ級数の文字で「小田実 推薦」とある。「推薦」というだけで、これほど大きな扱いを受けるのは、つまり小田実がスターだったからである。吉岡は当時早稲田大学在学中の無名の若者に過ぎなかった。
 フォーク・ゲリラは、機動隊により解散させられ、吉岡は責任者として逮捕される。その経過が、多数の写真とともにつづられている。巻末には「フォーク・ゲリラ編 プロテストソング選集」として、岡林信康ほかの歌、当時歌われた替え歌などを収録。フォーク文献を集めている私には、ハイカロリーな買い物となった。相当な希少本で、「日本の古本屋」検索ではヒットせず、「アマゾン」で3点。最低価格が4451円+送料257円と想像以上の高値であった。

5月6日(月)くもり
 10連休の最終日。稲塚秀孝監督『書くことの重さ 作家佐藤泰志』上映会のあと、佐藤について喋るよう依頼を受け、会場の文京区民センターへ向かう。最寄り駅は都営三田線・大江戸線「春日」。国立からだと、飯田橋で大江戸線に乗り換えて約1時間、片道運賃が730円。これが順当なコースだが、ギャラが交通費程度、と聞いていたので安く行きたい。それに大江戸線は、地下深くもぐる路線で、乗り換えがやっかいだ。地図を見て、中央線・総武線で水道橋駅下車、春日町交差点まで600メートルほど歩けばいいと決める。これなら運賃550円で済む。せちがらい話だが、無駄にお金を使う必要もない。貧しき都市生活者の知恵だろう。
 JR水道橋駅の東口を出て、白山通りを北上する。空は曇っていて、風がひんやりしている。歩くにはもってこいの日和だ。東京ドームおよび遊園地(東京ドームシティアトラクションズ)のある側を避け、白山通りの東側を歩く。ドーム側の舗道はびっしり観光客で埋めつくされている。目の前に大観車がゆっくり回り、くねくねと宙をめぐるジェットコースターから、悲鳴と嬌声が聞える。恐怖とスリルが快感になり、それに代価を払うことが信じられない、と考えるのは、あきらかに歳である。
 区民センターの一室、広いホールの壇上にスクリーンが張られ、床に50ばかりの椅子が並んでいる。この日の参加者は10名ぐらいだろうか。稲塚監督と挨拶を交わし、久しぶりに『書くことの重さ』を参加者と一緒に観る。受付で買った映画のプログラムを開くと、私がコメントを寄せている。そうだったか。このドキュメント映画の公開が2013年で、6年の月日の中で、佐藤泰志からすっかり離れてしまっていた。上映後に登壇し、45分という持ち時間の中で、自分と佐藤作品との関わり、芥川賞選考会の話、函館を訪れたことなどを喋る。1990年に41歳で自死した佐藤が、もし生きていれば、今年で70歳になっていたのだと気づく。
 帰りは、本郷三丁目駅まで歩いて、丸ノ内線一本で荻窪駅へ行き、「ささま書店」を覗いて……と思っていたが、ぐったり疲れて、おとなしく帰途につく。ロバート・B・パーカー『誘拐』を再読。角川文庫版『中原中也詩集』の中から、いくつかの詩編を読む。

5月7日(水)
 早朝、朝刊を取りに玄関を出たら、うぐいすが啼いていた。高原の朝のようである。涼しいというより、寒い。連休中、ほとんど本を読むか、映画を観るか、遊びほうけていた。原稿締め切りや取材など、これから、また始まる。

 オリヴィエ・ナカシュ、エリック・トレダノ監督『最強のふたり』(2011年フランス)は、年間パスポート会員(1万円+税で、1年間観放題となる)時代に飯田橋「ギンレイホール」で観ている。テレビでまた観る。雰囲気は覚えているが、細部は忘れていて、ありがたいことに新鮮だった。それに面白い。パリが舞台。初老の富豪、フィリップは事故により頸髄を損傷し車椅子生活を送る。宮殿のような豪邸に住み、堅物、がんこ、わがままで介護人が1週間ともたず辞めていく。新たに募集、面接をして、スラム出身の若者ドリスが、失業手当をもらうために必要な不採用通知証明書が目当てで応募したのに選ばれる。介護経験がなく、乱暴なドリスだが、フィリップに同情せず、ときに障害があることをからかったりもする。いつも腫れ物に触るように応接されてきたフィリップにとって、それは新鮮な体験で、しかめっ面に笑みが浮かぶようになる。そして、離れがたい存在に。
 実話に基づく、とあるが、脚本がよく練られ、役者のアンサンブルもよく、楽しめる映画になっている。首から下を動かせない、顔だけの演技となるフィリップ役にフランソワ・クリュゼ。しかめっ面をしているときは気づかなかったが、鎖(とざ)した心が打ち解け、まぶしいように笑う顔で、あれ、これはどこかで見た俳優だぞと思う。調べたら、ベルトラン・ダヴェルニエ監督『ラウンド・ミッドナイト』(1986)であった。薬物中毒の名ジャズプレイヤー・ディル・ターナー(バド・パウエルがモデル)に、ジャズミュージシャンのデクスター・ゴードンが扮し、彼に憧れ、次第に寄り添うようになるデザイナーの青年・フランシスを演じたのがクリュゼであった。健気なクリュゼ。
 パリの「ブルーノート」に、ディル・ターナーが出演する。しかし貧しいフランシスは、店内に入れず、外の壁に懸命にへばりつき、漏れ出る音を聴こうとする。この気持ち、よくわかる。親しくなったターナーと、フランシスの娘も仲良くなる。フランシス、娘、ターナーが海岸を散歩するシーンがある。長身のターナーとちびっ子の娘が寄り添う。モノクロ映画の『フランケンシュタイン』を想起させる。
『ラウンド・ミッドナイト』は、わが洋画ベスト10とまではいかないが、ベスト100には選びたい作品で、ビデオテープも持っているし、のちDVDも買った。こうなると、また観たくなりますね。
 ロバート・B・パーカー『スターダスト』(ハヤカワ・ミステリ文庫)再読。ここでも重要な役目で犬が登場。破滅型の愚かなテレビスター・ジルの警護を、我慢強くスペンサーが務める。最後、ボロボロに打ちひしがれたジルをかくまい、保護するが、彼女を慰安、再生させるのが3匹の犬だ。ハリウッドの映画業界にくわしい演出家の鴨下信一の解説がすばらしい。
「スペンサーものの例にたがわず、ラストには心温まる自己回復の場が与えられている。これを〈甘い〉といってしまっては、このシリーズを読む資格がない」
 そうですとも、鴨下さん。
(写真とイラストは全て筆者撮影、作)
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『これからはソファーに寝ころんで 』(春陽堂書店)岡崎武志・著
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この記事を書いた人
岡崎 武志(おかざき・たけし)
1957年、大阪生まれ。書評家・古本ライター。立命館大学卒業後、高校の国語講師を経て上京。出版社勤務の後、フリーライターとなる。書評を中心に各紙誌に執筆。「文庫王」「均一小僧」「神保町系ライター」などの異名でも知られ著書多数。