第2回 近代木版口絵の盛衰(1)

立命館大学大学院文学研究科/日本学術振興会特別研究員(DC) 常木佳奈

 小説の在り方の変化、そして、職人らの仕事確保と木版再興の動きによって近代木版口絵が誕生したことについては前回も触れましたが、今回からは近代木版口絵の誕生から衰退までを追っていきます。

江戸時代と明治時代の口絵
 江戸時代の草双紙(くさぞうし)以来、小説には口絵や挿絵がつきものとなりました(*1)。春陽堂が木版口絵付単行本の出版に力を入れたのは明治20年代後半頃からですが、それらは江戸時代の口絵とは体裁と描かれ方の特徴が異なるものです。まずは、その違いからみてみましょう。
 一般的に、江戸時代の口絵には、2名から3名の登場人物の全身像と名前が白黒で描かれます。色摺りが出版取締令によって制限されていた当時の江戸では、様々な墨色や摺刷技法を駆使して印象的な画像を描いていました(*2)。また、江戸時代の口絵は独立した1枚の紙にではなく、本文頁と同じ体裁の見開きで摺られています。

『白縫譚(しらぬいものがたり)』21編上(安政3)
立命館大学アート・リサーチセンター所蔵/hayBK03-0636-21

 一方で、明治になって登場した近代木版口絵は、江戸時代の口絵とは形態と描かれ方が異なります。作中の印象的な一場面を描いたもの、作中には直接的な表現はないが主人公の風姿を伝えるようなもの、画面構成を工夫して1枚の絵の中に違う時空間を描いたものなど、その描かれ方も多様になってきます。さらに、これらの口絵は1枚の独立した紙に摺られ、書物の巻頭に差し込まれるようになりました。大部分の口絵は、間判(あいばん)とよばれる33.3cm×22.7cmの大きさの紙に摺られ、菊判(きくばん)いう今のA5判よりも少し大きめの本に入れられています。この紙は本の判型に合わせるために多少断ち切りがされますが、「すでに確立された浮世絵版画出版システムに合致して制作された」(*3)ためと考えられています。

尾崎紅葉『浮木丸』口絵:武内桂舟(明治29, 春陽堂)
立命館大学アート・リサーチセンター提供/54100327-01 朝日智雄氏所蔵

 春陽堂で『新小説』の編集を務め、小説家でもあった後藤宙外(ごとう・ちゅうがい)は、このような口絵を1枚制作するには、作家へ支払う小説の原稿料、紙代、製本代、印刷代の総計とほぼ同じだけの費用がかかっていたと語っています(*4)。きめ出しや布目摺など空摺(からずり)の技術が多分に盛り込まれており、画師・画家への画料だけでなく、制作自体にも費用がかかった様子が口絵そのものからも想像できます。

黎明期の近代木版口絵
 江戸以来の口絵から近代木版口絵に変化する前段階として、明治20年代前半頃の、本文頁の間に見開き二つ折りの形で差し込まれた挿絵があげられます(*5)。その直後から近代木版口絵の特徴をもったものが登場することから、見開き二つ折り挿絵のアイデアが近代木版口絵の形成に生かされたのかもしれません。
 明治20年代前半に一枚物の挿絵が登場した後、明治24(1891)年頃になると各出版社から近代木版口絵の特徴をもった口絵付単行本が次々と出版されるようになります。春陽堂からも、ほぼ同時期に近代木版口絵付の単行本が出版されました。

石橋忍月(いしばし・にんげつ)『露子姫』(春陽堂, 明治22)
立命館大学アート・リサーチセンター提供/89800050-01 朝日智雄氏所蔵

 明治23(1890)年までは近代木版口絵付単行本の総数はごくわずかだったのに対し、明治24年(1891)を境に各社から数々の美麗な近代木版口絵付単行本が出版された様子をみると、同時代の人びとから高評価を得たことが窺えるのではないでしょうか。
 さて、このように近代木版口絵誕生からその出版に携わっていた春陽堂ですが、その黎明期において、これらとは違った形態の口絵をもつ単行本も出版していました。それらは「新作十二番」とよばれる、新作小説を一冊ずつ出版したシリーズでしたが、実際には予定していた12作品すべての発行はできなかったようで、8番目までの作品の発行が確認できています。このシリーズは表紙絵や口絵はもちろん、本文頁に至るまですべて木版を用いて摺刷されており、一見、江戸の版本であるかのようにみえます。特に、1作品目の『勝鬨(かちどき)』は表紙絵や口絵の特徴から、草双紙の体裁をかなり意識していたように見受けられます。

(左)饗庭篁村(あえば・こうそん)『勝鬨』表紙
(右)口絵:月岡芳年(つきおか・よしとし)(春陽堂, 明治23) 筆者蔵

 一方で、3作目の『嫁入り支度に教師三昧』の口絵の絵柄は、随分と近代木版口絵に近い印象があります。画師・画家によって口絵の雰囲気もだいぶ変わることもあるでしょうが、近代木版口絵の人気が高まりをみせるなかで、多少の方針転換があったのかもしれません。

(左)山田美妙(やまだ・びみょう)『嫁入り支度に教師三昧』
(右)口絵:渡辺省亭(わたなべ・せいてい)(春陽堂, 明治23) 筆者蔵

「第1回 春陽堂の明治期木版出版物」でも紹介したように、同時代の春陽堂は木版出版に精力的に取り組んでいたので、「新作十二番」シリーズもその一環であったのではないでしょうか。ちなみに、ここで紹介した「新作十二番」シリーズには、『美術世界』の制作に携わった吉田市松や五島徳次郎といった木版職人らが参加しています。彼らの名前は、近代木版口絵の盛衰のなかでしばしば見かけることになるので、ぜひ、木版職人の名前にも注目してみてください。
 今回は、江戸と明治の口絵の違い、近代木版口絵の黎明期についてご紹介しました。次回は、その全盛期から衰退までを追っていきます。
【註】
*1 日本書籍出版協会京都支部(編)『出版文化史展‘96京都:百万塔陀羅尼からマルチメディアへ』(日本書籍出版協会, 1996)
*2 川戸道昭・榊原貴教『図説 絵本・挿絵大事典』第1巻(大空社, 2008)
*3 岩切信一郎「近代口絵論:明治期木版口絵の成立」(東京文化短期大学紀要(20), pp.13-23, 2003)
*4 後藤宙外「小説の口絵に就きて」(『新小説』明治32年4月号)
*5 註3に同じ。
この記事を書いた人
常木 佳奈(つねき・かな)
1990年、静岡県生まれ。立命館大学大学院文学研究科博士課程後期課程、日本学術振興会特別研究員(DC)。原著論文に「近代木版口絵の制作過程とその体制:朝日コレクションのデジタル化プロジェクトを通して」(『アート・リサーチ』(19), pp.3-14, 2019)など。