【第2回】


連休明けの国立散歩・徂徠・逸見政孝
 連休合併号で「サンデー毎日」の連載(1ページで5本の書評)が一回飛び、今週水曜の締め切りがやってきた。えいやあっ! と気合いを入れて送稿。ふらふらと自転車で国立散歩へ。2020年完成予定の、三角屋根の旧国立駅舎の復元が進む。もう外観の骨組みはできていて、一部、屋根が見える。

「王将」で中華丼とギョウザの代わりばえのしない昼食を済ませ、「ブ」(「ブックオフ」の略)で3冊購入。「タリーズ」2階で、買ったばかりの丸谷才一エッセイ集『犬だつて散歩する』(講談社文庫)を開く。「大文字」と「漱石の句」が漱石の話。「漱石の句」は、「徂徠其角並んで住めり梅の花」を巻頭に引く。これは其角きかくの「梅が香や隣りは荻生惣右衛門」を踏まえている。つまり、江戸中期の儒者・徂徠そらいが、其角の隣りに住んでいたことに由来する。知らなかったなあ。江戸落語に「徂徠豆腐」があり、貧困時代の徂徠と豆腐屋の交流を描いたもので、それなら知っている。

 また、同文庫(1989年)に挟まっているしおりの裏側が講談社『日本語大辞典』の広告で、起用されたタレントが逸見政孝。もとフジテレビの人気アナだった逸見は、1989年からフリーに転身、人気が過熱。それでこういう仕事も舞い込んだ。しかし、人気絶頂期の1993年12月25日にガンで死去する。

銀座で拓郎愛がぶつかり合う
「サンデー毎日」の新編集長が旧知の仲で、「なにか企画あったら出してくれ」と言われ、それじゃあと、一番やりたい「吉田拓郎」を提案するとゴーサインが出た。ただし、拓郎本人に取材するのではなく、ファンの人が、いかに拓郎と一緒に人生を送ってきたか、という話にしたい。「誰か著名人を入れてくれ」というので、重松清さんにアプローチ。快諾を得て、某所でお目にかかることになる。
 都営浅草線で東銀座へ。地上へ上がったら交差点に「万年橋」とある。新橋方面へ移動。かつての築地川が首都高に変身し、釆女橋のところでカーブしている。そのロケーションを見て、かつて小野田(寛郎)さんの取材で写真撮影をした場所、と思い出す。
 1974年に、フィリピンのルバング島から帰還を果たした小野田さんは、マスコミ攻勢に疲れ、ブラジルへ移住。日本で、子どもたちにサバイバル術を学ばせる「自然塾」を開いていた。取材は、その「自然塾」の話だった(マガジンハウス「自由時間」)。重松さんへの取材もぶじ終える。かなりマニアックな拓郎愛がぶつかり合った。

『幻の光』
『万引き家族』でカンヌの栄冠を手にした是枝裕和監督のデビュー作『幻の光』(1995年)を観る。2度目か。原作は宮本輝の同題短編。尼崎の安アパートに暮らす若夫婦。3カ月の子どもがいる。仲睦まじく、ときにじゃれ合いながら今日を生きていたが、夫(浅野忠信)が、前ぶれなく鉄道自殺する。原因はまったく不明である。5年が過ぎ、取り残された妻(江角マキコ)は来年小学校へ上がる息子と、遠い能登の漁師町に後妻で入る。やはり妻をうしなった男(内藤剛志)は優しく、海辺の村で新しい人生をやり直し始めるのだが……。
 セリフを少なくし、ラジオの音、波の音などを強調して採り込み、照明は抑え、モノクロに近い色調を生み出している。前夫の自殺の原因が分からず、空虚が忍び寄る妻(いつも黒い服装は喪に服しているようだ)。ラスト近く、海辺で夫の語りかける言葉(『幻の光』)が、解決とは言わないまでも、浮いた足を着地させるのだ。最後、義父の柄本明と江角マキコが縁側で並んで座り、「ええ陽気になりましたね」「ええ陽気になった」と同語反復するシーンは小津映画へのオマージュである。
 前半、舞台設定は大阪の尼崎だが、鶴見線の「国道」ガード下、「海芝浦」駅などが映る。荒れた能登の海辺の光景も、丹念に撮影し、長く心に残るものとなった。

(写真とイラストは全て筆者撮影、作)

『これからはソファーに寝ころんで 』(春陽堂書店)岡崎武志・著
ほんとうのオトナは退屈なんて知らない!
もっと歩こう、もっとつまずこう、もっと立ち止まろう
旅先で起こった出来事、日常のささやかな発見。人生の寄り道・迷い道で心に刻んだことを、著者自身のイラストや写真とともにエッセイでつづる。それは、思わず「自分も出かけたくなる」「追体験したくなる」小さな旅のガイドにも。
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この記事を書いた人
岡崎 武志(おかざき・たけし)
1957年、大阪生まれ。書評家・古本ライター。立命館大学卒業後、高校の国語講師を経て上京。出版社勤務の後、フリーライターとなる。書評を中心に各紙誌に執筆。「文庫王」「均一小僧」「神保町系ライター」などの異名でも知られ著書多数。