【第3回】


内向的でハキハキしない子供
 5月2日付「朝日新聞」天声人語より。
 50年前に同紙人生相談に、母親が訴えるところによれば「十八になる私の子供は内向的でハキハキしません。ギターのプロになるのだと申します。どうしたらよいでしょう」と言う。その回答を天声人語は掲載しない。当時「十八になる」、母親が将来を案じた子供は、のち忌野清志郎になったからだ。母親は高校の教師にも同様のことを相談していた。東京都立日野高校で担任だった美術教師の小林晴雄は「何年か好きなことをやらせてみましょう」と説得した。このとき、凡庸で強圧的な担任だったら「くだらないたわ言は止めて、現実を見るんだ」と戒め、一つの才能が闇に葬られただろう。小林先生は違った。忌野の曲「ぼくの好きな先生」のモデルとなった人だ。この人に巡り会わなかったら、今の自分は……。そんな運命的出会いの連鎖で、人が前へ前へ進んで行く。

うめ子におまかせ
『ザ・カセットテープ・ミュージック』は、ほとんどが通販番組というBS12(トゥエルビ)というチャンネルで、毎週日曜夜に放送されている(再放送あり)音楽バラエティ。これが低予算ながらじつに秀逸。楽しみに見ている。お笑い芸人でミュージシャンのマキタスポーツと音楽評論家のスージー鈴木がMCを務め、テーマごとに70~80年代歌謡曲を瞠目どうもくすべき博識ぶりで、熱く、軽快に、ふんだんに語る。これに毎回、女性アシスタントがつくが、まったくの窓辺の花で、2人の濃い知識合戦にはほとんどついていけない。ときどき話題を振られても、じつに、なあんにも知らないのだ。その「無知」ぶりが加点になる、という不思議な役割。 

 わりあいひんぱんに登場する河村唯(あだ名は「うめ子」)はアラサーの歌手らしいが、そういう意味での高いポイントゲッター。「ビートルズ(に影響を受けた音楽)特集」の回では、「ビートルズ」は知っているが、メンバーの名を誰一人挙げられない。「名前、言ってみな」と言われ「ジェファーソン(たとえば、の話)」みたいなことを言って、マキタがのけぞっていた。その後「ジョン・レノン」の名がマキタから出たとき、「え、ジョン・レノンってビートルズなの?」と発言したときは驚愕した。衝撃で少し床が揺れた。「異端児特集」のときも、「いたんじ」の意味が分からず、「そんな言葉あるの?」と快調ぶりを示す。無知の暴走機関車である。「知らない」ということが芸になっている。大して恥じていないのも天晴れだ。えらい時代になりました。これはホメているんです。うめ子から目が離せません。

垣根の曲がり角を曲がり「石丸澄子ポスター展」へ
 爽やかな5月の風吹く週末、「石丸澄子ポスター展」初日へ行くため、中野区上高田かみたかだ「土日画廊」へ。同画廊は実験画廊として、古民家の2階を改装し1995年に開廊。私は今回の訪問が2度目か。最寄り駅の西武新宿線「新井薬師前」は、いまだ地上駅。線路際は地下化の工事中。
 駅南側の路地にへばりつく飲食街を抜けると、すぐ閑静な住宅街となる。こんなところでアパートの一室を借りて、隠れ家にしたいなどと考える。信号を折れると、前方に大きなけやき、宏大な敷地を囲む竹垣が見え、これが童謡「たきび」の発祥となった「垣根」と、江戸時代から続く、もと名主の屋敷である。「垣根の垣根の曲がり角」を左に曲がるとすぐ「土日画廊」が見える。まさに普通の民家だ。休廊が月~水(かつては土日のみ開廊)。看板がなければ通り過ぎてしまうところだ。
 石丸澄子さんは、かつて西荻「なずなや」の古書店主で、シルクスクリーン作家として、私の著作の装幀をいちばん多く手がけてくれた。その他あれこれ、長いつき合いになる。「土日画廊」ホームページに掲載された本人の弁を引用しておこう。
「古書即売会『本の散歩展』のポスターを刷っていました。シルクスクリーンの手刷りです。1996~2015年(春秋年2回)。今回は、その後半、2009年以降のモノを展示します。会場は、昭和46年に建った民家の2階を使ったちいさな画廊です。昭和の犬のようにクンクン嗅いでお越しいただければウレシイです。(石丸)」
 狭く急な階段を上がり、靴を脱いで部屋へ入ると、奥で澄子さん、友人で漫画家の久住卓也さん、オーナーの女性が酒宴を開いていた。すでに見慣れたポスター作品をざっと見て、酒宴に加わる。お三人とも「美學校」の出身者。「美學校」の説明は長くなるから省略。おにぎりの形の話に始まり、スマホの習熟と料金、行きつけの飲み屋、美學校の卒業生と飲めや話せやの2時間強となった。

 印象に残ったのは、澄子さんが手刷りのポスター製作を自宅でやっている話。手刷りで120枚(「本の散歩展」ポスター)は、同じくシルク作者でもある久住さんに言わせれば「とんでもないこと」(激務の意)。大きな音が出るから夏場でも窓を閉めきり、扇風機も止めて作業をする。刷りに使う溶剤にはシンナーが混ざっていて、長時間、籠っていると酔っ払うそうだ。「それだけ手間をかけて作っても、(古本屋さんたちは)テープで壁に留めて、終わるとくしゃくしゃにして捨ててしまうんだよね。また、それが、(ポスターのあり方として)気持ちいいって、澄子さんは言うんだよね」と、久住さんが代弁する。
 なるほどなあ、澄ちゃんらしいやと思った次第である。

黒川芽以
 2017年の手帳に、テレビで聞いた、こんな言葉が書きとめてあった。同年1月26日放送のNHK BS2『にっぽんトレッキング100』で、秋の奥日光へタレントの黒川芽以が訪れる。私は、この若い女性が誰だか知らなかった。しかし、彼女が紅葉した山道を歩きながら、ふと、こんな言葉を呟いたのに強く魅かれた。
「いい意味で、淋しい気持ちになりますね」

『動く標的』のペーパーフィルター
 某日午後、買い物を済ませて帰宅。録画しておいた『動く標的』(1966年)をところどころメモを取りながら観る。監督のジャック・スマイトは、『刑事コロンボ』などテレビ映画などの演出も手がけたようだが、映画でもじつにきびきびとした描写で魅せる。原作はロス・マクドナルドの同タイトル。ロス・マクは村上春樹も愛読者。私立探偵リュウ・アーチャーもので知られ、本作もそうだ。映画ではリュウ・ハーパーと少し変えてある。
 大富豪サンプソンが行方不明になり、私立探偵ハーパー(P・ニューマン)が雇われる。入口の門扉から長々とアプローチのある富豪の自邸(プール付き)を訪ねると、出迎えたのは事故で車椅子生活を送る妻だった。これがローレン・バコール。言うまでもなく、『キー・ラーゴ』『三つ数えろ』などでハンフリー・ボガートの相手役。ミス・ハードボイルド。実生活でも妻であった。ハンプソン夫妻は愛情は失せた名ばかりのカップル。映画公開年に42歳になっていたバコールは、臈長ろうたけた花の風情で酷薄だが美しい。やがて50万ドルの身代金要求がある。暴れ蜂のように遅滞なく動き回るハーパーは、やがて驚くべき核心に迫る。何度か敵手にのされもする。
『動く標的』について書かれるとき、ほとんど必ず触れられるのが、冒頭のシーン。ハーパーが朝目覚め、コーヒーを飲むため湯を沸かすが、粉が切れていることに気づく。すると、ややためらいつつもゴミ箱に捨てた出がらしをペーパーごと拾い、それでコーヒーを飲む(思わず顔をしかめる)。女房(『サイコ』のジャネット・リー)にも去られ、わびしい生活ぶりがうかがえる。また、それがハードボイルドの味にもなっているわけだ。ペーパーフィルターは、現在市販されているような、あらかじめ扇型に折られ加工された製品ではなく、丸い紙で、それを器用に3分の1ぐらいに折って成形して使うのだ。不便だが、所作が粋でもある。そういうこと、いっぱいあるな。

(写真とイラストは全て筆者撮影、作)

『これからはソファーに寝ころんで 』(春陽堂書店)岡崎武志・著
ほんとうのオトナは退屈なんて知らない!
もっと歩こう、もっとつまずこう、もっと立ち止まろう
旅先で起こった出来事、日常のささやかな発見。人生の寄り道・迷い道で心に刻んだことを、著者自身のイラストや写真とともにエッセイでつづる。それは、思わず「自分も出かけたくなる」「追体験したくなる」小さな旅のガイドにも。
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この記事を書いた人
岡崎 武志(おかざき・たけし)
1957年、大阪生まれ。書評家・古本ライター。立命館大学卒業後、高校の国語講師を経て上京。出版社勤務の後、フリーライターとなる。書評を中心に各紙誌に執筆。「文庫王」「均一小僧」「神保町系ライター」などの異名でも知られ著書多数。