ネット通販の普及と活字離れの影響で、昔ながらの街の本屋さんが次々と姿を消しています。本を取り巻く環境が大きく変わりつつある今、注目されているのが新たな流れ“サードウェーブ”ともいえる「独立系書店」です。独自の視点や感性で、個性ある選書をする“新たな街の本屋さん”は、何を目指し、どのような店づくりをしているのでしょうか。


【連載17】
「大事な言葉」「大切なこと」は、本のなかにある
忘日舎(東京・西荻窪)伊藤 幸太さん


「日を忘れる」くらい、本をゆっくり楽しめるように
JR・地下鉄東西線「西荻窪」駅北口から徒歩4分、西友の裏手にひっそりとたたずむ「忘日舎」(ぼうじつしゃ)。木を基調とした温かみのある空間には、文学や人文系を中心とした古書や新刊が整然と並べられています。2015年9月に、念願だった「本と言葉のある場所」をオープンさせた店主の伊藤幸太さん。書店の多い西荻窪の地に店を構えることになったいきさつや、本屋として日々感じることなどをお聞きしました。
── 本屋をはじめようと思ったきっかけは、何ですか?

きっかけとなったのは3・11、2011年の東日本大震災です。当時は業界新聞の記者をしていたのですが、「これからどう生きていくか」について、深く考えさせられました。悩みや苦しみがあるとき、人は本を開き、言葉を求めます。言葉から、知恵や気づき、そして勇気を得られることもある。長い時間をかけて育まれてきた本には、大事な言葉がたくさん残されています。大切なことは本にある。「本と言葉」を介して、人とつながれる場所をつくりたい。その思いが強くなり、会社を辞めることを決意しました。
── 会社を辞めてから店をオープンするまで約4年。その間は何をしていましたか?
書店でアルバイトをしながら、フリーで書籍や雑誌の編集・校正の仕事をしていました。ダブルワークで土日も関係なく働いていたから、会社にいた頃より忙しかったかもしれません。本をつくったり売ったりする現場を経験したことは、本屋をするうえで、とても役に立ちました。良い本を伝えるには作り手と売り手の連携が必要ですし、どうすれば相手の心に響くかを考えなければなりません。限られたスペースの店だからこそ、1冊1冊の意味をきちんと理解してからお客さんに届けることを心がけています。

── 「忘日舎」という店名の由来を教えてください。
堀江敏幸さんの小説『河岸忘日抄』(新潮文庫)を読んだとき、日を忘れる──「忘日」という言葉が素敵だなと思い、ずっと頭の片隅に残っていました。それからしばらくして、開店準備をしていた頃は、世の中に他人を傷つける言葉があふれていて……。悪意ある言葉を平気で使ってしまうのは、心に余裕のない暮らしをしているからではないか。人生にはボーッと過ごす時間が必要なんじゃないか。そのための空間を自分がつくるんだ、そう思いを新たにしたときに、「忘日」という言葉を思い出し、店名にしました。
祖父母ゆかりの地でもあった西荻窪
── なぜ西荻窪に店を構えようと思ったのですか?

ふたつ理由があります。ひとつは本屋、なかでも古書店がたくさんあるので、本を好きな人が多いだろうと思ったこと。もうひとつは、祖父母が東京に来て、初めて住んだ街が西荻窪だったから。西荻窪は、よそから来た人に寛容なところがあるように感じます。若かりし頃の祖父母が東京での出発の地に選んだ街。不思議な縁も感じて、この街に決めました。ここは本が好きな人が散策がてら立ち寄ってくれることもありますし、古書店同士のつながりもある。この街にしてよかった、とつくづく思います。
── 開店当初は古書だけだったのでしょうか?
いいえ、最初から1割くらいは新刊も扱っていました。それがだんだん増えてきて、いま新刊は3割くらいでしょうか。日々迷いながらですが、もう少し増やして古書と新刊の割合を6対4くらいにできればと考えています。当初は文学や人文系のやや硬めの路線でスタートしましたが、最近は持ち込まれる古書の影響もあり、写真集や映画、装幀に関する本など美術系が増えました。新刊については、読書会を主催している方が月に一度、ここで韓国文学の読書会を開いているので、自然と韓国文学が増えています。

果てしなく奥が深い、本の魅力
── 実際に店をはじめて、気づいたことは何でしょう。
本とはこんなに多様なものかと日々感じます。「本が好き」という人のなかには、読む楽しみだけでなく、装幀や綴じなど“モノとしての本”が好きな人がいるということを、本屋をはじめてあらためて気づかされました。それに、ミステリー作品の本当の面白さを知ったのも、店をオープンしてから。イタリアの記号学者で作家のウンベルト・エーコが書いた『薔薇の名前』(東京創元社)は、人間はいかに言葉によって翻弄される存在なのかが描かれていて、興味深い。本は果てしなく奥が深い、ということを実感する毎日です。
── これからやりたいことは何ですか?

まずはこの店を、そして読書会などのイベントを続けていくことです。本屋の仕事はルーティンが多く、マンネリになりがちですが、時代に合うものや、いま求められているものをつねに提供できるようにしていきたいですね。本屋には、気づきや救いを求める人が集まるからかもしれませんが、最近は悩みを抱えているお客さんが、以前より増えたように感じます。このことは「本屋ってなんだろう」「本屋には、まだまだ伸びしろがあるんじゃないか」という、ふたつの問いを私に投げかけてくれます。
言葉を届ける媒体としての本。「大事な言葉、大切なことは本のなかにある」そう考える伊藤さんは、本の匂いや手触りも大切にしています。たとえば、変色したパラフィン紙のカバー。はがすと本体はきれいな状態が保たれているので、古書としてはこのままにしておいたほうがいいのではないか、と悩むそうですが、不快に思う人もいるので、丁寧にクリーニングしてからビニールでカバーして並べているのだとか。1冊ずつひと手間かけるその思いが、本を手にとる人の心にも伝わりますように。

忘日舎 伊藤さんのおすすめ本

『回復する人間』ハン・ガン著、斎藤真理子訳(白水社)
現代韓国文学を代表する女性作家のひとり、ハン・ガンの7篇を収録した日本では初の短篇集。大切な人の死や病、不和など、絶望の淵にいる人間が光を見出し、ふたたび静かに歩みだす姿が描かれています。どの作品も、とにかく言葉が素晴らしい。胸にしみる深い言葉をじっくり味わってみてください。
『名著復刻 漱石文学館「草合」春陽堂版』夏目漱石著(日本近代文学館・編)
昭和57年に日本近代文学館が刊行した復刻版。本文の表記は明治時代当時のままで、「明治41年発行、夏目金之助著(春陽堂)」という奥付も。本を保護するために厚紙を芯にして、表に布を貼ってつくられた「帙(ちつ)」と呼ばれるひも付きのカバーまで再現。丁寧な仕事でつくられた装幀は必見です。

忘日舎
住所:167-0042 東京都杉並区西荻北3-4-2
TEL:03-3396-8673
営業時間:火・木・日・祝 13:00 – 19:00、
金・土 13:00 – 20:00
定休日:毎週月・水曜(火曜は隔週営業)
https://www.vojitsusha.com


プロフィール
伊藤 幸太(いとう・こうた)
1973年、東京都生まれ。大学卒業後は某業界新聞社に就職。東日本大震災後をきっかけに書店を開こうと新聞社を退社。その後、書店でアルバイトをしながら、書籍や雑誌の編集・校正にも携わりつつ開店準備を行い、2015年9月に「忘日舎」をオープン。


写真 / 千羽聡史
取材・文 / 山本千尋

この記事を書いた人
春陽堂書店編集部
「もっと知的に もっと自由に」をコンセプトに、
春陽堂書店ならではの視点で情報を発信してまいります。