【第4回】


青く透き通った焼酎の瓶
 『これからはソファーに寝ころんで』に何度か登場する、画家の牧野伊三夫いさおさん宅で開かれる酒宴の話。日本酒から焼酎、ウィスキーと多種でさまざまな珍しい銘柄の酒が用意される。
ある時、「たちばな」(宮崎県の蔵元は明治18(1885)年創業)という芋焼酎が空いて、青く透き通った瓶が残された。光を受けてとてもきれい。栓を金具で留めるタイプの瓶で、欲しくなった。所望し、譲り受けて家に持ち帰り、「たちばな」より安い麦焼酎をここに移しかえて飲んでいる。中身は安物だが、なんとなく、この青い瓶(栓をぬくときひと手間あり)で飲むと、美味く感じられるのだった。

吉田拓郎ファンはギブソンJ-45
 『サンデー毎日』に出した企画「吉田拓郎がぼくたちに与えた多大なる影響」の取材で、まず重松清さんに会い、そのあと久米川でフォーク酒場「すなふきん」を経営する樹よう子さん、バンド「スクーターズ」メンバーである高橋秀幸さんに会う。あとは原稿を書くだけだ。
 「すなふきん」では、ちょうど客としていた拓郎ファンだという男性をつかまえ、急きょ話を聞いた。郵便局を勤め上げ、定年祝いに奥さんからフォークギターの名器ギブソンJ-45をプレゼントされた。いい話である。気づけば、よう子さんも高橋さんもギブソンJ-45を持っている。吉田拓郎は、もちろんギターをたくさん所持しているが、ファンからすれば「これ!」なのである。持っていない私は悔しい。

画像のギターは〝カワセ マスター〟。


八重洲から京橋へそぞろ歩く 吉田謙吉と12坪の家展
 5月某日、天気予報は夕方から雨。ときどきパラパラと小雨が、遠慮深く落ちて来る。風はひんやりとして、非常に快適だ。東京駅八重洲口からすぐの春陽堂書店本社(現在、銀座3丁目へ移転)で『これからはソファーに寝転んで』60冊にサイン、落款、イラストを入れる。イラストは、動物、昆虫、鳥と3種類用意して、なるべく同じものが重ならないようにした。
 京橋のLIXILギャラリーで「吉田謙吉と12坪の家」展が開催中と分かっていた。サインを終え、そちらに向かうことに。春陽堂のNさん、担当編集者のOさんを誘うと「行きます」というので3人で京橋を目指す。銀座線の上を走る京橋通りをそぞろ歩く。「千疋屋」「明治屋」など老舗のビルが並ぶ通りだ。これら京橋通りのビル群は、時間と資本が投下されているが、人の頭を押し付けるのではなく、どこか優雅である。道の両側をゆっくり眺めながら歩くのが大変楽しい。緑も少なく、鳥の声もしないのに、珍しいことだ。
 吉田謙吉について説明し出すと長くなるな。くわしく知りたかったら、「考現学」という言葉と一緒に検索してみて下さい。展覧会については、ホームページから要約すると、
「戦後、吉田謙吉が52歳(1949年)のとき、東京・港区飯倉(現・麻布台)に自ら設計して建てた自邸」は12坪の狭小住宅だった。単に狭い、というだけでなく、舞台美術家であった経験を生かした、すこぶるオリジナリティに富んだ「劇的空間」だった。その空間づくりのアイデアを模型などを使って解き明かし、同時に彼の多面的な仕事を振り返る展示になっている。
 展示は終了したが、毎回作られるブークレットは入手可能(2019年6月現在)。LIXILギャラリーでの展覧会は見逃せないぞ。

善行堂から電話
 5月も終盤。急激に気温が上がってきた。東京では30度を越える日が出てきて、いきなり夏モードである。それでもまだ、夕風は心地よい。京都左京区の古書店「古書善行堂」は、『これからはソファーに寝ころんで』のサイン本をいち早く10冊注文してくれた。店に置いて、売ってくれるのだ。それがすぐ売り切れて、追加注文をしてくれた。そのため、もう一度新たにサインを入れ、春陽堂へ送った。しかし土日を挟んでいるため、すぐには春陽堂も対応できないだろう。「まだかなあ」と善行堂店主・山本善行が電話してきてくれて、事情を説明し、ついでに少し近況ほかを喋る。
 山本は『関西赤貧古本道』(新潮新書)ほかの著書を持つが、私の高校時代の同級生でもある。そのことは、本にも何度も書いたし、お互いのことを喋るとき「じつは、同級生で」と繰り返し言ってきた。しかし、山本によれば、わりあい周辺にいる人でも、そのことに「ええ、本当ですか!」と驚くという。「もう、何回も喋ってきたし、今さらと思うけど、言ってみたら驚いてくれて、かえって新鮮や」と笑っていた。私も善行堂のことが話題に出たら、必ず言うことにしよう。「高校時代、同級生で……」。

夕焼け雲や5月の若葉の中に
 妻と大戸屋で夕食。私は迷わず、卓抜なネーミングの「チキンかあさん煮定食」を五穀米で。チキンカツと野菜がたくさん入った汁が土鍋で熱々に煮られ、たっぷり大根おろしがかかって出てくる。味噌汁と漬物つき。味覚が幼稚な私が、「まちがいなくこれは美味い」と思うもののひとつ。
 料理が出てくる間、少しの時間でも私は本を読む。昔からの習慣だ。このときは、北森嘉蔵『聖書の読み方』(講談社現代新書)を開いていた。「聖書」に関する知識が、あまりになさすぎるのが気になっていた。「すべての底にあるキリストの福音」という見出しの文章を読んでいたら、「夕焼け雲や五月の青葉の中に、私たちは神のわざと栄光とを見て、それを心から讃美する」という一文に目が止まった。そこで「チキンかあさん煮定食」が届いて、食べ終わり、外へ出たら、素晴らしい夕焼けのショーが広がっていた。奇しくも時は5月。豪奢な天からの恵みに、神はいるかもしれないと思ったのだから、私は単純だ。

ヴィム・ヴェンダース『アメリカの友人』(1977)
 うかつにも見逃していた『アメリカの友人』を、BSで見る。アメリカで贋作の絵を作らせ、ヨーロッパで売りさばくのがデニス・ホッパー。名はトム・リプリー。そう、『太陽がいっぱい』で、アラン・ドロンが扮した殺人者の名だ。原作は同じパトリシア・ハイスミス。ドイツの港町ハンブルグで額縁屋を細々と営む職人がブルーノ・ガンツ(ヨナハン)。白血病に罹り余命いくばくもない。トムとヨナハンが知り合い、その伝手つてで、パリ在住のジェラール・ブラン(ミノー)が、ヨナハンに殺人を依頼する。残された妻と子のため、大金を残せというのだ。しかしヨナハンはまったくの素人。ためらいつつ、しかし金のため、パリへ飛ぶ。
 2つの殺人が行われる。その意味では犯罪映画ではあり、サスペンスの要素はあるが、ヨナハンの殺人シーンはひどく杜撰で、自分で頭をぶつけて額を切って血を流すなど、滑稽である。2度目の殺人も、トムに助けられて、電車から放り出す。計画性がなく、荒っぽい。ヒッチコックが見たら、どう言うだろう。
 むしろ、観る者の心に残るのは、外国向けの貨物船が碇泊ていはくし、カモメ飛ぶ港町ハンブルグの風景(美しい)。そしてトムとヨナハンの間に生まれた奇妙な友情だ。トムが「ビートルズを(もう一度)ハンブルグへ呼ぶんだ」と叫ぶシーンがあるが、なるほど、世界的に有名になる4人組は、下積み時代、この港町で演奏していた。
 贋作作家にニコラス・レイ(途中から片目に眼帯)、マフィアのボスにサミュエル・フラー、ヨナハンに命を奪われる殺し屋にダニエル・シュミットと、世界的な映画監督が重要な役で俳優として出演する。だからどうした、という話で、これは映画マニアのヴェンダースによるご愛嬌か。悪党のミノーに扮したジェラール・ブランは、クロード・シャブロル『美しきセルジュ』『いとこ同志』に主演。あの甘い二枚目が、かわうそみたいになっちゃった。言わなければ分からなかったよ。時代は男の顔に影と憂愁と老いを容赦なく刻み付ける。
(写真とイラストは全て筆者撮影、作)

『これからはソファーに寝ころんで 』(春陽堂書店)岡崎武志・著
ほんとうのオトナは退屈なんて知らない!
もっと歩こう、もっとつまずこう、もっと立ち止まろう
旅先で起こった出来事、日常のささやかな発見。人生の寄り道・迷い道で心に刻んだことを、著者自身のイラストや写真とともにエッセイでつづる。それは、思わず「自分も出かけたくなる」「追体験したくなる」小さな旅のガイドにも。
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この記事を書いた人
岡崎 武志(おかざき・たけし)
1957年、大阪生まれ。書評家・古本ライター。立命館大学卒業後、高校の国語講師を経て上京。出版社勤務の後、フリーライターとなる。書評を中心に各紙誌に執筆。「文庫王」「均一小僧」「神保町系ライター」などの異名でも知られ著書多数。