第4回 近代木版口絵の制作(1)

立命館大学大学院文学研究科/日本学術振興会特別研究員(DC) 常木佳奈

 前回は、近代木版口絵の全盛期から衰退までを追っていきました。今回と次回は、近代木版口絵がどのように制作されのか、その工程を2回に分けてご紹介します。

錦絵を参考に近代木版口絵の制作について考える
 近代木版口絵の制作については研究がほとんど進んでおらず、詳しい実態はわかっていません。ただし、多色摺の木版画であることから、制作の工程としては江戸時代に発展した錦絵とほぼ同じ工程であったと推察されます。そこで、今回は錦絵の制作工程を辿りつつ、残された資料をもとに、明治期の木版口絵制作の現場について考えてみましょう。

木版多色摺の錦絵。江戸時代に発展した錦絵の摺刷に携わった熟練した職人や彼らに学んだ職人らが口絵の制作に腕を振るった。
歌川広重〈2〉「諸国名所百景 京都祇園祭礼」(安政6(1859))
立命館大学アート・リサーチセンター所蔵/arcUP2016


【1】出版の企画から下絵の制作まで
 錦絵の制作には、企画から販売までプロデュースする版元(はんもと)、下絵を描く絵師、木版によって錦絵を完成させる彫師・摺師のほか、検閲を行う名主(なぬし)などが携わっていました。

木版画制作の様子を錦絵化した作品。
歌川豊国〈3〉「今様見立士農工商 職人」(安政4(1857))
メトロポリタン美術館所蔵/JP3495a-c

 まず、錦絵制作を取りまとめる版元が企画を立て、絵師へ下絵の制作を依頼します。明治期の木版口絵の場合も、出版社によって口絵付書物の企画が出されていたのでしょう。春陽堂で泉鏡花(いずみ・きょうか)の単行本の口絵を多く手がけた鏑木清方(かぶらき・きよかた)は、随筆『こしかたの記』のなかで次のように語っています。
 今度の会合があつたので、三十五年一月の「三枚続」に鏡花作、清方画、の段取りになつたものと、今までさう思ひ込んで何かにも書いたことがあるが、手控へや日記などに散見するのを綜合して、春陽堂から「三枚続」の口絵と装幀を頼まれたのは、三十四年の五月六日で、松廼舎邸の初対面より三月余の前になる。十八日の会合より数日を過ぎた二十三日には「三枚続」の色差を春陽堂へ届けてゐることが分つた。
初対面にも拘らず全く一見旧知のやうで、日記には「鏡花子曰く、春陽堂で画の話の出る時は、予は必らず君を推す。爾来刎頸の友たらむ」ともある。(*1)
 今日よく知られるような鏡花と清方のコンビは明治35(1902)年に出版された『三枚続』からはじまったようですが、そのコンビとしてのイメージを定着させたのは、清方へ「口絵と装幀を頼」んだ春陽堂なのかもしれません。また、引用文の末にあるように、小説作家と絵師の結びつきが強くなれば、作家の方が出版社へ「この絵師に担当してほしい」といった要望を出すこともあったのでしょう。こうした取りまとめを行うことも出版社の役割だったと考えられるので、現代の本づくりと似ている部分でもあります。

【2】企画の再確認
 錦絵の場合、絵師が企画に応じた下絵を描いたあと、その下絵は版元を通じて名主へ渡ります。ここで名主は提出された下絵を出版してもよいか取り調べを行い、問題がなければ改印(あらためいん)を押します。この際には当番名主の名前が押されたり、年月印が押されたりしており、現在は錦絵の制作年代を特定する鍵にもなっています。
 この工程は、近代木版口絵にはみられないものです。出版を規制検閲のようなものは存在しなかったのでしょうが、もしかしたら、絵師から出版社、さらには小説作者へ下絵が渡り、その図面が吟味されたのかもしれません。しかし、錦絵とは異なり、口絵の場合は画面上に出版の情報が描きこまれることはなく、その実態を知るには出版社の記録や小説の作者の日記などを丁寧に探していくしか術はなく、研究は進んでいない状態です。

【3】主板の制作から校合摺まで
 無事、改印が押されたら、いよいよ職人らが制作に取り掛かります。下絵は彫師の手に渡り、裏返しにして板木(はんぎ)へ貼り付けられ、主板(おもはん)が彫られます。主版は輪郭線を描く墨摺りのためのもので、木材として、色板(いろいた)と比べてより丈夫な桜のが用いられました。毛割(けわり)と呼ばれるような、髪の一本一本を彫り上げるような高度な技術もあり、場合によってはその部分だけ木材を切り取り、熟練の職人が担当することもあったようです。

髭や頭髪一本一本が板木に彫り込まれた。
村上浪六(むらかみ・なみろく)『深見笠』(春陽堂, 明治27)口絵:武内桂舟
立命館大学アート・リサーチセンター提供/54100278-01 朝日智雄氏所蔵

主板ができあがると、校合摺(きょうごうずり)がつくられます。校合摺とは、主板を用いて黒線だけを摺ったもので、色板用の板下となります。これらは摺師の手によって通常20枚程度摺られ、次回解説する「色ざし」をするために、一度、画師の手に渡ります。

校合摺では、見当(けんとう)とよばれる版のズレが起きないようにする目印も摺られる。
三宅青軒(みやけ・せいけん)『うらおもて』(誠進堂, 明治35)口絵:山中古洞 校合摺
立命館大学アート・リサーチセンター提供/85700062-01 朝日智雄氏所蔵

 このように、近代木版口絵も錦絵とほぼ同じ工程が取られており、細やかな部分も緻密に摺刷されていたことから、とても贅沢なコンテンツであった様子が窺われるでしょう。
 今回は、錦絵の制作工程を辿りながら、近代木版口絵の制作について校合摺までを紹介しました。次回は、「さしあげ」と呼ばれる、近代木版口絵が誕生した頃から新たに取り入れられた工程や主版の検討を通じてその制作体制を考えていきます。
【註】
*1 鏑木清方『こしかたの記』(中央公論美術出版, 1961) 傍線は、筆者によるもの。
この記事を書いた人
常木 佳奈(つねき・かな)
1990年、静岡県生まれ。立命館大学大学院文学研究科博士課程後期課程、日本学術振興会特別研究員(DC)。原著論文に「近代木版口絵の制作過程とその体制:朝日コレクションのデジタル化プロジェクトを通して」(『アート・リサーチ』(19), pp.3-14, 2019)など。