【第6回】


江藤淳と文芸時評
 6月に入った。ホーホケキョと、うぐいすがしきりに鳴く。日中はかなり暑くなり、夏日を記録することもあるが、夕風は涼しい。
 この日は珍しく忙しい。出版文化産業振興財団(JPIC)が毎年開く「JPIC読書アドバイザー養成講座」に講師として、もうずいぶん長く登壇し、関わりが出来た。各種セミナーで拙著『読書の腕前』(光文社・知恵の森文庫)を販売してくれて、すでに500冊近く売ってくれているのではないか。サインを入れると、参加者が喜ぶというので、今度も80冊が送られてきた。すべてにサイン、落款、イラストを入れる。20~30冊はあっというまだが、さすがに80冊は疲れた。しばし、ソファーに寝ころんで放心する。午後はレギュラーの『サンデー毎日』「今週の新刊」原稿、5冊を短評で紹介する。これも集中を要する仕事で、終わるとソファーへ。ヒートダウン。
 その後スーパーへ材料を買い出しに。夕食のカレーを作り、いったん寝かせる。こちらもヒートダウン。その間に、今日はこれが最後となる、某媒体の匿名による文芸コラムを書く。このところ、平山周吉『江藤淳は甦える』(新潮社)を始め、1999年に自殺した文芸評論家・江藤淳への再評価の気運が高まっている。江藤淳と文芸時評について、なんとかまとめる。新聞の文芸時評は、かつて上下と2日続きで掲載され、読みごたえがあった。そして、完結後はたいてい書籍化されたものである。私は全2巻の江藤淳『全文芸時評』(新潮社)を所持、ときどき読み返す。
 岐阜の「有時うじ文庫」という古本屋を訪問した時、店主が岡田啓さんという文芸評論家(国文社から島尾敏雄論を出している)で、岐阜からは新聞で文芸時評をした人を3人出していると自慢されていた。平野謙、篠田一士はじめ、小島信夫だったか。それを聞いて「おお!」と反応するだけの素養が、こちらにあってよかった。

「若い定家」春日井建
 大岡信『折々のうた』シリーズは、岩波新書で全巻を揃え、風呂、トイレ、急な外出のカバンの友として、ずっと愛読している。一編が短いからありがたい。この日も、国立まで自転車さんぽに出かけるとき、カバンに入れる。気に入った詩歌に出会うと、引用された作品の頭にエンピツで丸く印をつける。春日井建「得がたくて失ひやすき時のの微笑のやうなわかものに会ふ」もそんなひとつ。春日井建は、1960年代に塚本邦雄、岡井隆、寺山修司、福島泰樹たちとともに、現代短歌に革命ともいうべき新風を吹き込んだ1人。第一歌集『未青年』の序文は三島由紀夫。「われわれは一人の若い定家を持つたのである」と絶讃されたことは、春日井を語る時、必ず触れられる枕詞だ。もちろんその頃、チビだった私は、渡辺のジュースの素を飲みながら『てなもんや三度笠』を見ていたわけで、そんなこと、なんにも知らなかった。
「何がなし通りたくなき一劃いつくわくありまはりみちする雨中散歩」(清水房雄)は、『折々のうた』掲載の次に並ぶ歌。いよいよ梅雨入りである。

住所は渋谷区、気分は新宿
 深酒してベッドに倒れ込み、深夜目覚める。いかんな、こういうことじゃ。録画しておいた映画『深夜食堂』(2015)を観る。原作はマンガ(安倍夜郎やろう)だが、私は読んでいない。次々回の「中川フォークジャンボリー」ゲストがスーマーさんに決まっており、この『深夜食堂』の挿入歌を歌っている。それでチェックしたのだ。新宿の裏通りにある街角で(映画ではセットが組まれた)深夜0時から朝まで営業する深夜食堂「めしや」が舞台。コの字カウンターの客席を一人で切り盛りするのは、マスターの小林薫。顔の左側に額から頬まで刀傷がある。顔見知りの常連たちが、ほとんど毎晩のようにここに立ち寄る。そこで起こる悲喜こもごものドラマが、丹念に撮られ、思いのほかよかった。非常に感心した。
 映画のことを語り出すと長くなるので、一点だけ。小林薫は住居を別に持ち(団地に住む)、自転車で店に通っている。仕入れのため八百屋へ行くシーンがひんぱんに映るが、途中、長い坂を上る。段丘に沿って細い坂が続き、途中で直角に曲がる。その坂の曲がり角の住居表示が「柏木町2丁目12」。これは架空のもので、実際にはない。ただし「柏木町」は、現在の新宿区北新宿あたりの旧町名として存在した。現存する「柏木小学校」などにその名が残っている。そう言えば、三遊亭円生えんしょうがこの町の住人で、「柏木の師匠」と呼ばれていた。何が言いたいかというと、小林薫が自転車でいつも上る坂に、私は見覚えがあった。ああ、あそこだと気づいたのだ。『ここが私の東京』連載で、富岡多惠子と池田満寿夫を書いた回がある。2人が若くして住んだアパートが渋谷区本町3丁目27にあり、取材のため辺りをたんねんに探索した。その際、見つけた坂だった。
じつは、この渋谷区本町3丁目だが、エリアとしては、西新宿5丁目に岬のように食い込んで突き出ている。最寄り駅は都営大江戸線「西新宿五丁目」だから、住所は渋谷だが、気分は新宿と言っていい。富岡のいた頃(1960年)は、まだ大江戸線が開通していない。新宿駅まで歩いたのだ。

TBSテレビ主催「落語研究会」へ
 うるさ型の聞き手が客となる「落語研究会」は、実力者のみ高座に上がれる会として知られる。TBSテレビで放送もされる。国立劇場で開催、今回で612回目となる。前の方のいい席は、年間会員で占められ、毎年、続けて会員になるため、空きがないのだという。私は会員ではないが、落語通の知り合いが年間通して席を確保しており、彼が仕事で行けない時、席を譲ってもらうことが何回かあった。
 今回の出演者と演目を挙げておく。二つ目の三遊亭らっこう「やかん」、以後真打ちで、蜃気楼しんきろう龍玉りゅうぎょく「もぐら泥」、立川生志しょうし紺屋高尾こうやたかお」、仲入りを挟み、鈴々舎れいれいしゃるこ「糖質制限初天神」(新作)、トリが五街道ごかいどう雲助くもすけ「もう半分」。雲助は、物まねしたくなる独特の語り口で、シブい古典のやり手。安心して聞いていられる。酒に目がない父親が、貧乏しつくして、娘が吉原へ身を売り金を作る。その額が50両。金をもってそのまま帰ればいいものを、つい安い飲み屋に立ち寄り、酒を飲む。それも五郎八ごろはち茶碗ぢゃわんに「半分ずつ」という注文の仕方をする。「もう半分」「もう半分」とお代わりをして、酔ったところで帰るが、うっかり店に50両の包みを置き忘れ……。以下、怪談ばなしめく展開だ。
 社会の底辺で、いかにも平凡に暮らす民が、50両という大金を間に挟み、劇的な変化を遂げていく。笑いが少ない噺で、凡手では話を運ぶのに精一杯。老練の雲助は、人物造型をしながら、人の心の移り変わりと、あたりの景色を語りで描いていく。いい噺を聞いたなあという後口が残る。これはいい酒を飲んだ時と同じだ。
 国立劇場の最寄り駅は半蔵門線「半蔵門」。帰りは、会の終了にあわせて、東京駅と新宿駅行きのバスが特別に用意される。途中の停車駅を少なくした快速バスで、私は新宿へ。新宿通りを四谷駅経由で西へ走る夜のバスは、なかなか快適である。


古い絵葉書
 古い絵葉書を使って便りを送ってくれる人がいて、いつも楽しみにしている。捨てずに取っておくのだ。これは、いつ届いたものか。観光絵葉書ではない。何かの記念らしい。正確な年代や、何を撮ったか分からない。どこかに手がかりはないかと探したが、なさそう。おそらく大正末から昭和初期、どこかの私立女子校の先生と生徒たちによる集合写真だ。普通は、校舎を前に、横並び雛壇で並ぶが、これは坂道を使って、奥の方までずらりと女生徒が集合している。珍しいショットだ。しかし、相当の人数である。
 窓から顔を出して参加する女生徒の顔も見えて、可愛らしい。この写真から何か気づいた人がいれば、教えて下さい。
(写真とイラストは全て筆者撮影、作)

『これからはソファーに寝ころんで 』(春陽堂書店)岡崎武志・著
旅先で起こった出来事、日常のささやかな発見。人生の寄り道・迷い道で心に刻んだことを、著者自身のイラストや写真とともにエッセイでつづる。それは、思わず「自分も出かけたくなる」「追体験したくなる」小さな旅のガイドにも。
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この記事を書いた人
岡崎 武志(おかざき・たけし)
1957年、大阪生まれ。書評家・古本ライター。立命館大学卒業後、高校の国語講師を経て上京。出版社勤務の後、フリーライターとなる。書評を中心に各紙誌に執筆。「文庫王」「均一小僧」「神保町系ライター」などの異名でも知られ著書多数。