【第7回】


編集者・松井いさおのこと
 寝床で司馬遼太郎対談集『日本語と日本人』を読む。教えられること多し。講談社の編集者・松井勲について知る。正岡子規全集は戦前に、アルス、改造社から出たがいずれも不完全。正岡忠三郎、ぬやまひろしが、なんとか完全版を出したいと奔走するも、出版社から断られる。これを引き受けたのが講談社。全22巻+別巻3に結実した。担当したのが講談社の松井勲だった。監修者として名を連ねた司馬によれば「とんでもない鬼のような人」で、編集、校訂、進行にのめりこみ、やっかいな難関をクリアしていった。「どぶ掃除みたいなことをやり」肝臓がボロボロになったという。1975年から78年にかけて全集は完結をみた。しかし松井は1976年7月に死去。
『週刊現代』時代にも名物編集者であったようだが、ネット情報では、ほとんど人となりを知ることはできない。編集者は黒子に徹するからだ。じつは子規全集に差別語を巡るやっかいな事件があった。松井勲の軌跡は遺稿集『新聞「日本」の人々』(松井勲遺稿集刊行会)にまとめられた。

ひまわりが咲いた
 昨年の夏、思いがけず玄関先にひまわりが咲いた。種を植えた覚えはない。そうか、春のうち、住宅街をしきりに鳥が飛び交い、時々だが、餌としてひまわりの種を門柱の上に置いていたのだ。その中から幾つかが地面に落ち、発芽したらしい。けっこう立派に力強く成長し、花が開いた時はうれしかった。
 このことを、ある場所で喋り、「来年も咲くかな」と言ったところ、「ひまわりは一年草だから、来年は花をつけませんよ」と教えられた。そんなことも知らなかったのだ。そこで、今年は花を咲かせるために種を買ってきて、10個ほど、土に埋めた。これが花を咲かせるまでになるか自信がなかったが、ちゃんと成長し、6月に入ったあたりにまず1本、続いて3本が茎を伸ばし、花をつけた。花を育てるのは、小学校の夏休みの朝顔観察以来。こんなにうれしいものとは、思ってもみなかったのだ。

田辺聖子の健全な文学観
 小林信彦『読書中毒』(文春文庫)はくりかえし読む愛読書。今回、こんなところに目が留まった。
 原寮『私が殺した少女』(ハヤカワ文庫JA)が1989年下半期の直木賞受賞。選考委員だった田辺聖子が、1990年4月号「新潮」に「ミステリーの文学賞」というエッセイを書き、審査の舞台裏を書いている。「純粋なミステリーが直木賞を受けたのは、この作品がはじめてのような気がする」を受けて、小林が直木賞における「推理小説暗黒時代」があったことを明かす。小林によれば、長らく「推理小説では直木賞がとれないというのが常識だった」。それは「戦前に直木賞を得た推理作家が選考委員にいて、推理小説を片っぱしから落とした」からだ。また、時代小説作家も推理小説の勃興を忌避した。
 この、問題の推理作家は「いくらなんでもズレている」という理由で、選考委員を下ろされる。バトンタッチして選考委員に就任した松本清張の時代から、広義のミステリが次々と受賞するようになった、というのだ。いかにもありそうな話だ。そうなると気になるのが「ズレている」推理作家の選考委員で、これは調べるとすぐ木々きぎ高太郎たかたろうだと分かる。しかし、木々がいなくなっても、ミステリ音痴の選考委員は依然として無くならない。田辺のエッセイを引用し、小林が「もっとも笑った」と書いている個所があり、私も笑った。田辺が明かしたところによると、選考会議でこんなやりとりがあった。
 原寮の受賞作について「探偵のカンがよすぎる」という批判があった。田辺はそれについて「探偵というのはカンがいいものですよ」と反論した。田辺聖子は、非常に健全な文学観賞眼を備えていたことが、この一件で分かるのだ。それも併せて、ご冥福を祈りたい(2019年6月6日逝去)。

映画『電送人間』に見どころあり
 福田純監督『電送人間』(1960/東宝)は、怪獣の出てこない特撮映画とも言うべきプログラムピクチャーで、まあオバケ映画でもありますね。素麺を茹でて、食べている間に、まったく期待せずに見た。平田昭彦、土屋嘉男、中丸忠雄、天本英世、佐田豊、河津清三郎、村上冬樹と、日本映画黄金時代、東宝映画で量産された映画に出まくっていたメンバーが勢揃い。ヒロインは白川由美(壮絶なほど美しい)だが、相手役が鶴田浩二、というのが珍しい。 
 不審な連続殺人があり、戦時中のある出来事を隠蔽したことに端を発するとわかる。鶴田が新聞記者、土屋と平田が刑事で、手を組んで捜査に当たる。「電送人間」とは何か?特殊な装置で、物体である人間を遠隔地に「電送」する。これだけで、なんだかバカバカしい。普通は、土屋嘉男の役どころ(同じ趣向の映画『ガス人間第一号』(1960/東宝)でガス人間になる)であるが、ここでは中丸忠雄が「電送」される。
 カプセルみたいなところに入った人間が、消えて、別の場所に移動する。これを、どうやって映像処理するか。昔の忍者映画なら、ドロドロと煙が出て消える。フィルムを止めて、前とつなぐ方法が一般的。しかし、円谷英二率いる特撮チームは、人物の上に細かい線を無数に入れて、電送人間を作った。バチバチと音をたて、線がショートしたように光り、これがなかなかのもの。テレビの走査線がヒントだったという(「ウィキペディア」参照)。
 あたりまえだが、これはフィルムを撮ったあとの事後処理で、撮影中の中丸は、自分が今、どんなふうに映像化されているか知りようがなかった(怪獣映画でもそうだ)。後で完成したフィルムを見て驚いたという。友人や家族に、「今度の映画を観てくれ」とは、言いにくかっただろうな。しかし、一見の価値はあります。2度観ようとは思わないけど。


古本酒場コクテイル
 思いがけない人からメールがあり、一緒に飲むことになった。今も続くTBSの超長寿ラジオ番組「森本毅郎 スタンバイ!」に、私は2012年3月まで、7年間、隔週出演で本の紹介をしていた。同じ週のレギュラー解説者として、当時「東洋経済」編集長のYさんが出演、いつもスタジオ待合室で顔を合わせ言葉を交わしていた。同い年で、同じ誕生月ということで親近感を持っていた。
 その後に私は辞めたが、Yさんは引き続き出演。番組を離れて縁がなくなっていた。すると、ある日メールで、私を中央線車内で目撃したと伝えてきた。なんでも、私と目する人物が、とにかく一心不乱に本を読んでいた。その人はメガネをかけていなかったので不確かだったが、いまどき、電車の中で、あんなに真剣に本を読むなんて、岡崎さんしかいないだろう、と思ったという。たしかに、それは私だ。老眼なので、出先ではメガネをはずして本を読むことが多い。「私です」と返信して、じゃあ久しぶりに飲みませんかと話が転がりだした。
 同じ中央線沿線在住なので、私のテリトリーである高円寺の古本酒場「コクテイル」へお連れした。作家の得意料理や、作品から創作した文士料理を出す店で、古本も売られている。出版関係の人を案内すると喜ばれるのだ。この日は、メニューが束見本を使って仕立てられ、太宰の命日が近いということで、太宰サワー(さくらんぼ入り)が用意されていた。あれこれ、番組の思い出話(旧「キャピトル東急ホテル」で出演者とスタッフが揃って豪華な朝食を食べていたなあ)に花咲かせ、出版界の現状を憂え、大相撲の見どころなどを語った。
 2時間ほどでさっと切り上げ、「もう一軒」などとも言わず、隣り駅までガード下を一緒に歩きながら、話の続きを。「また、ぜひ」とは言ったが、「また」があるかどうか。それでもいいのだ、と思った楽しい一夜だった。


(写真とイラストは全て筆者撮影、作)

『これからはソファーに寝ころんで 』(春陽堂書店)岡崎武志・著
旅先で起こった出来事、日常のささやかな発見。人生の寄り道・迷い道で心に刻んだことを、著者自身のイラストや写真とともにエッセイでつづる。それは、思わず「自分も出かけたくなる」「追体験したくなる」小さな旅のガイドにも。
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この記事を書いた人
岡崎 武志(おかざき・たけし)
1957年、大阪生まれ。書評家・古本ライター。立命館大学卒業後、高校の国語講師を経て上京。出版社勤務の後、フリーライターとなる。書評を中心に各紙誌に執筆。「文庫王」「均一小僧」「神保町系ライター」などの異名でも知られ著書多数。