【第8回】


「新潮講座」漱石からハルキへ
 これでもう何度目になるか。新潮社主催の文化講座「新潮講座」の文学散歩「オカタケ散歩/新潮文庫を歩く」を、梅雨の際中さなかに挙行。午後2時に神楽坂にある教室に集合。30分ほど、参加者を前に本日のコースと、テーマである漱石からハルキ(村上春樹)について少し話す。神楽坂下交差点の南、地蔵坂は『それから』で三千代が代助の家を訪ねて登った。体の弱い三千代は喉が乾き、代助の家にあったスズランを生けた花瓶の水を飲む。エロチィックなシーンだ。だから代助の家は、地蔵坂の奥、かつて「藁店わらだな」と呼ばれたエリアにあった。関川夏央が神楽坂を歩いていると、リービ英雄とばったり会う。「あなた、このあたりに住んでるの」と聞くと、そうだという。漱石『それから』の代助の家があったところと関川が教えると、非常にそれを喜んだ。そんなエピソードを生徒さんたちに教える。この日の参加は、当日キャンセルもあり17名。町なかをぞろぞろ歩くには、20名を超えると、やや大変になる。
 神楽坂を出発、ずっと下りとなる早稲田通りを西へ。弁天町交差点を南へ。またすぐ西の路地を入ったところに「漱石山房記念館」がある。ここを見学し、よくぞ残された1928年築のモダン建築、復興小学校「早稲田小学校」を愛で、夏目坂へ。坂を下りたところに生誕地の婢がある。いま、「やよい軒」というチェーンの定食屋の入口の前だ。かつて漱石が生誕した屋敷がここにあったと、ごはんお代わり無料の定食屋でモリモリ食べる、どれだけの若者がそのことを知るだろうか。
すぐ隣り、早稲田駅前交差点角に「小倉屋酒店」。なんと漱石生誕の頃より、ずっと前からこの地にある。講談、浪曲でおなじみ「高田馬場の仇討ち」で、中山安兵衛(のち堀部)が、仇討ちの助っ人に駆けつける途中、この酒店に立ち寄り、一升酒を飲んだ。その桝が家宝として残されている、という由緒ある酒店だ。長くなるので以下省略するが、早稲田大学構内を突っ切って北門脇にある「古書ソオダ水」、神田川の駒塚橋を渡り胸突坂へ。その上に早稲田に入学して半年間、村上春樹が寄宿した「和敬塾」という寮がある。丹下健三設計の聖マリア大聖堂の尖塔を眺め、目白通り沿いにある古本屋「青聲社」へ。ここが締め。
 昼過ぎまで、あるいは夕方まで降った雨が、われわれが歩く間、ちょうど止んでくれた。風が涼しく、晴れの6月より、よほど快適に過ごせたのだ。

新潮講座予定
「新潮講座」では、手書きでコース地図を作成し、また準備のための勉強も相当する。事前に下見もするから、時間と労力を換算すると、とうていギャラには見合わない。しかし、どうもこういうことが私は好きらしいのだ。地図を書いたり、作家と土地の関係について勉強したりすることを。次回(9月)は鷗外と乱歩を訪ねて谷中へ。そのあとも、続々と企画を立てて準備中だ。
 テキストが新潮文庫に現存という縛りはあるが、大岡昇平『武蔵野夫人』と国分寺・武蔵小金井、堀江敏幸『いつか王子駅で』と都電荒川線、梶井基次郎『檸檬』と本郷・飯倉、伊藤左千夫『野菊の墓』と寅さんをからめて柴又から矢切の渡し、山田太一『異人たちとの夏』(これは浅草だ)、吉行淳之介『原色の街・驟雨しゅうう』と東向島(鳩の町)などを予定している。あと、やりたいのが志賀直哉『小僧の神様』。神田の秤店の小僧・仙吉が、おつかいで東京駅八重洲口南にある鍛冶橋まで路面電車に乗り、帰りは電車代を浮かすため歩いた。浮いたお金で寿司を食べようとしたのだ。この帰りのコース(鍛冶橋~神田)を歩きたい。現在の外濠通りを、市電(のち都電)が走っていた。外濠線は、漱石の作品ほか日本文学によく登場する。参加希望者は「新潮講座」までお問い合わせ下さい。

口をついて出た思い出の歌
 おかしなもんだなあ、だしぬけに、急に「飛べよ鳩よ 飛べよ 翼はばたきて」という歌詞が、口をついて出てきた。中学3年の音楽の授業で、意欲的な教師だったのだろう、聞いたこともにない曲の譜面を生徒(つまり、私たち)に配り、合唱を練習させた。混声の男女各2部に分けての、本格的なものだった。ほとんど1学期間を費やして、授業ではこればかり歌わされたので覚えてしまったのである。しかも、けっこう感動しながら歌っていた。戦後の原水爆禁止大会でも歌われた平和を希求する歌、という説明が教師からあったと思う。
 今ではすべての詩を覚えているわけではない。休火山が噴火したように「あれ、何ていう曲だったんだろう」と、歌詞の一部が口をついて出て、気になったのである。ネットはこういう時便利なもので、覚えている一部の歌詞で検索したら出てきた。ちょっと感動しました。
 歌詞が分かってみると、それに合わせて曲も記憶から甦り、すべて歌うことができた。学校校舎の中庭からの光が、ガラス窓から挿し込む音楽室の風景まで、一緒に甦るような気分であった。

48年ぶりに喉に刺さった小骨が取れた
 昔、テレビで観た映画で、強烈なラストシーンだけ記憶にあり、ずっと長年、あれは何の映画だったか、気になっていた作品があった。私が中2(14歳)の頃であったか、深夜、ぐうぜん視聴した邦画の話だ。覚えているのはほんのわずか。私の記憶からすると、戦争映画でモノクロ。中国に残留した日本人たちが、ソ連の侵攻に遭い逃げ出す。トラックの荷台に女性の先生と女性徒。目の前に迫るソ連軍を阻止するため、医者の男が橋を爆破する。男はトラックを追いかけるが、銃弾を受け倒れる。まだ息があり、トラックの荷台の女教師(男と惚れ合っている)は車を停め、なんとか助けたいがトラックは走り去る。道に倒れたままの男。迫るソ連兵でエンド。男が撃たれたシーンでは、思わず「あっ!」と声が出た。それほど緊迫していたのだ。
 と、まあそんな印象だった。記憶では、男も女教師も知らない俳優で、のちネットが普及してから、気になって検索したが判明しなかった。日本映画の本もずいぶん読んでいたが、それと分かる作品には行き当たらない。喉に刺さった魚の小骨のように、ずっと心に掛かっていたのだった。いくつか、キーワードでネット検索したが、それでも分からなかったのである。
 それが、日本映画専門チャンネルで、タイトルからひょっとしたらと観たらビンゴ! という事態になった。谷口千吉監督『最後の脱走』(1957)であった。これでほっとした。ちゃんと見ると記憶で合っているのはほんの一部。まず映画はカラー。敗戦後の中国に残留した日本人たち、は合っているが、逃げた彼らを追うのは中国八路はちろ軍。橋を爆破する男の医師は、なんと鶴田浩二で、女教師は原節子であった。笠智衆も出ている。うーむ、そうだったのか。
 思えば、14歳頃の私はテレビっ子で、まだ日本映画をそれほど見ておらず、小津も知らない。鶴田浩二も原節子も笠智衆も、まだ名前も存在も知らなかった。知っていたら、そこからの記憶でもっと早く『最後の脱走』にたどりつけただろう。今回、偶然に突き当てたことが奇跡のように思えた。
 長く生きると、その時間のアドバンテージで、いろんなことが分かるようになる。分かることは、つねにうれしい。


亀有
 7月某日、落語好きの仲間3人と、亀有駅前「かめありリリオホール」へ文珍・喬太郎共演による「特撰東西競演落語会」を聞きに行く。亀有の地名は、なんといっても秋本治『こちら葛飾区亀有公園前派出所』(通称「こち亀」)が全国区にした。「リリオホール」が入る「イトーヨーカドー」近くにも「こち亀」像がある。さっそく記念撮影。
 亀有駅は常磐線で、地下鉄千代田線が乗り入れている。これは便利なのだが普通電車しか止まらない。私は千代田線で北綾瀬行きに乗ってしまい、北千住で乗り換えたのだが、各停と快速はホームも違い、階も違う。それでちょっとまごついた。慣れてしまえば、非常に便利な路線だろうが、初心者はリサーチしておく必要がある。
 ところで、常磐線で各駅名を確かめながら、ああそうだと思い出したのが宮部みゆき『火車』である。新潮文庫に収録。「カード社会の犠牲者ともいうべき自己破産者の凄惨な人生」(文庫カバー解説)を取り上げた長編だ。時代は1992年。冒頭で休職中の刑事・本間俊介が乗車しているのが常磐線。綾瀬、亀有、金町と駅名が登場する。空いていた電車に、亀有駅で「数人の乗客が乗りこんできた」。亀有駅を離れ、「中川を渡るとき、左手にそびえる三菱製紙の工場の紅白に塗り分けられた煙突から、真っ白な煙があがっているのが見えた」と描かれている。
 この「三菱製紙工場」は今はなく、跡地は「三菱ガス化学東京テクノパーク」という、何がなんだか分からない施設に変身。亀有育ちの秋本治による『両さんと歩く下町』(集英社新書)を読むと、高度成長期には、日立製作所、日本紙業などの大工場が中川の川べりにあったという。工場労働者の町だったのだ。
 本間が住む公団住宅は金町駅で下車し、雨の日ならタクシーを使う距離にある。水元公園の南側。妻を亡くし、養子にとって育てた一人息子と2人で暮らしている。妻の従兄の息子という微妙な関係の若者が訪ねてきて、失踪した婚約者の行方を調べて欲しいと依頼したことから物語が動く。さすがは宮部みゆき。読みごたえ充分の小説であります。
 ちなみに、亀有駅前に公園はありますが、公園前に派出所はなく、両さんはいませんから。念のため。

『スノーピアサー』とヒトラー専用列車
 役に立ち面白い最強の鉄道ネタ本が原武史『鉄道ひとつばなし』(講談社現代新書)。もう何度も読み返している。情報がいっぱい詰まっていて、適当に忘れていくので再読可能なのだ。
「ヒトラーと鉄道」という章を読んでいて、むむむと思ったことを書く。万死に値する世界史の汚点、アドルフ・ヒトラーに功績があるとしたら、たとえばのべ3000キロの高速道路網を作ったこと(大量の雇用も創出した)。現在にいたるアウトバーンの先駆けとなったのである。また、鉄道敷設にも熱心で、自身で盛んに利用もしていた。
「三四年に彼が総統になると、日本の『御召列車』のように『総統特別専用列車』が製造された。この列車には、シャワーと浴槽の付いた車両や食堂車などが連結されており、移動手段のほかに、宿泊施設や重要な会談の場としても使われるようになる」と原は書く。
 ここにビビビと来たのである。ちょうど先日、例によって深夜、お酒を飲みながら録りだめた映画の一つ、ボン・ジュノ監督『スノーピアサー』(2013)を観た。近未来、地球温暖化阻止のため用いた作戦が行き過ぎて、全地球が凍り付き、生物は死に絶えた。一部生き残った人間は、世界を運行する「スノーピアサー」という特別列車に乗って生き続ける。前方車両に富有層が住み、最後尾に貧困層が押し込められ劣悪な環境下に置かれている。その不満がついに爆発、貧困グループが反乱を起こし、前方車両へ向って突き進む。そこは高級ラウンジ、ディスコ、教室、食料用の植物園など完備され、先頭車には、支配者(エド・ハリス)が贅沢三昧をしていた。
 ちょっと乱暴な要約だが、つまりこれはヒトラーの専用車両およびアウシュヴィッツをモデルにした設定ではないか、と思ったのである。原が言う「総統特別専用列車」とアウシュヴィッツに酷似している。本当のところはわかりませんよ。でも、かなりいい線を突いた類推ではないか。
(写真とイラストは全て筆者撮影、作)

『これからはソファーに寝ころんで 』(春陽堂書店)岡崎武志・著
旅先で起こった出来事、日常のささやかな発見。人生の寄り道・迷い道で心に刻んだことを、著者自身のイラストや写真とともにエッセイでつづる。それは、思わず「自分も出かけたくなる」「追体験したくなる」小さな旅のガイドにも。
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この記事を書いた人
岡崎 武志(おかざき・たけし)
1957年、大阪生まれ。書評家・古本ライター。立命館大学卒業後、高校の国語講師を経て上京。出版社勤務の後、フリーライターとなる。書評を中心に各紙誌に執筆。「文庫王」「均一小僧」「神保町系ライター」などの異名でも知られ著書多数。