【第9回】


1960年「のりたま」発売
 日本家庭食文化研究会編『のりたま読本』(講談社)という本を買って、あちこち見ていたら(写真が多い本)、無性に丸美屋のふりかけ「のりたま」が食べたくなり、自転車を走らせスーパーへ。平日昼間に、自転車を猛スピードでこいで、ふりかけを買いに行く60過ぎの男は、いま日本で自分だけだろうな、と思う。あるかなあ、と思ったら、ちゃんと現役で売られていました。私の記憶にあるパッケージとはデザインが違う。なにしろ50年ぶりぐらいに拝むのだからな。
『のりたま読本』によれば、発売は1960年。同じ年に「ハイライト」、日本初の国産インスタントコーヒーが発売。旅館の朝ご飯の定番である「のりと卵」を簡易に食卓で味わえるよう開発された。忘れてならないのは、半世紀以上前、卵は高く、贅沢品だったこと。現在なら「のりたま」一袋で、卵12個入りワンパックぐらい買えます。こういうこと、しつこく書いておかないと、我ら昭和30年代ボーイが「のりたま」に感じたありがた味が、平成ボーイには伝わらない。
 なにより「のりたま」におまけでついていた「エイトマンシール」が欲しくて、「なあなあ、お母ちゃん『のりたま』買うてなあ」と母親にねだったのである。マーブルチョコの「鉄腕アトムシール」と、これは双璧の蒐集アイテムであった。ああ、何もかもが懐かしい。
 いま、私は白いご飯にも、冷やし中華にも、ソーメンにも、のりたまを振りまくっております。もう、振って、振って、振りつくして早く新しいのが買いたい。

うらたじゅんさんを偲ぶ会
『これからはソファーに寝ころんで』にも追悼文を寄せた,漫画家のうらたじゅんさんが去る2月7日に急逝し、知人や関係者による「偲ぶ会」が7月初めに開かれた。私も出席する。場所は西新宿だ。都庁を城に見立てれば、眼下に見下ろす城下町がこの町だ。都庁が建つ前のこと、青梅街道の北側にあたる西新宿7丁目、8丁目あたりは、低層の住宅がひしめく町だった。もう40年ぐらい前の話になるが、まだ大阪在住の頃、東京へ行く用事ができて上京したものの、ホテルを取ったりする才覚がなくて(ネット予約なんてものもなかった)、行けばなんとかなるだろうと、とりあえず新宿に降り立ち、M君が住む住居を目ざした。話せば長いが、弟の中学時代の友人で、私もよく知っていたM君が東京で働いていた。彼に言えば、一晩くらい泊めてもらえるだろうと思ったのである。連絡もせずに、だから乱暴な話だ。
 住所だけを頼りに、初めて新宿の西側を歩いた。ようやく見つけた住居はアパートではなく一軒家で、M君はその2階に間借りをしていた。玄関で声をかけると,大家らしきおばさんが出てきたが、M君は留守だという。事情を説明して、部屋へ入れてもらうと思ったが、「いきなり知らない人を入れるわけにはいかない」と拒まれた。まあ、そうだろう。進退窮まったとき、その家の子ども(小学低学年)が「M君のお友達だったら、入れてあげて」と進言してくれた。たぶんM君はその子と仲がよかったのだろう。こうして私は無事、東京で腰を下ろすことができたのである。しばらく部屋で待っていると、仕事から帰ってきた私を見て、M君はびっくり。連絡してなかったんだから驚いただろう。その夜、私はM君と新宿で飲んだ。記憶はおぼろげながら、夢のような不思議な話であった。
「偲ぶ会」は巨大ビルの、小さなイベントスペースを借り切って開かれた。バイキングの立食で、知り合いの顔も何人か見えてホッとする。大阪からうらたさんの旦那さんも上京し、挨拶された。思いがけず、私にもご指名がかかり、うらたさんとの思い出を手短かに話す。女性の漫画家なのに、出席者の9割は男性だった。しかも年齢層は私と同年輩かそれ以上。うらたさんが大好きだったつげ義春は欠席したが、息子さん(つげ漫画ではおなじみ)の正助さんが出席して、代わりに挨拶。40を超えているはずだが、少年のように若々しい。生「正助さん」を見た! 

インドアとアウトドア
 毎朝、出勤していかねばならぬ人たちにとって、朝起きて雨が降っていれば、少しユウウツになるだろう。梅雨に入って、当然ながら雨の日が続く。
「樹も草もしづかにて梅雨はじまりぬ」日野草城そうじょう
 当方はフリーの身。用事がなければ、外へ出ることも少なくなるわけで、家にいることが多くなる。雨が降ってなければ、用事がなくても何となく外へ出たくなるが、それもない。仕事が片付くし、本もたくさん読めるわけである。もともと、完全なインドア派の人生を送っていて……とここまで書いて、別のことを思い出した。
 つまり、日本とアメリカのドアの開け方の違いである。さほど気にしていなかったが、渡辺武信『銀幕のインテリア』(読売新聞社)を読んでいて、なるほどと思ったことである。「アメリカ映画の探偵や刑事は犯人の家に踏み込む時、ドアに体当たりしたり、足で蹴り破ったりして入ることが多い」と渡辺は言う。ドン・シーゲル『刑事マディガン』や、同じ監督の『ダーティ・ハリー』でも、そんな場面がある。しかるに、「こういう場面は日本の刑事物ではあまり見ない」のはなぜか?
 どうです? NHK『チコちゃんに叱られる!』で扱われそうな話題でしょう。なぜ、日本の刑事はドアを蹴破らないのか。これはじつに簡単な話で「日本の玄関扉はたいてい外開きだからだ。外開きのドアを外から蹴ったって開きっこない」のである。では、なぜアメリカと逆に、日本の玄関扉が外開きなのか。これが目からウロコの話なのだ。
 アメリカでは靴のまま部屋の中へ入る。ドアの内側はいきなり部屋、である。もうおわかりでしょう。日本は靴を脱いで部屋に入る。そのため、ドアの内側に靴脱ぎスペースがある。「内開きだと開いた扉が土間の履き物に引っ掛かるからで、狭い玄関ほどそうなり易い」。ううむ、とうなりましたねえ、ここで私は。
 もう一つ、アメリカの住宅では、よく勝手口に網戸がついているが、その話も『銀幕のインテリア』には出てきます。興味のある方は、ぜひ探して見て下さい。

『沿線地図』と果物の缶詰
 山田太一脚本のTBSドラマ『沿線地図』を前半、数回分見る。私は初めてかもしれない。1979年春から全15話。かたやエリート銀行員一家、かたや下町の個人商店である電器店。住む世界の違う2つの家族が、あることからまじわる。銀行員・松本(児玉清)と妻の(河内桃子)の一人息子・志郎(広岡瞬)は、東大受験を控えた高校生。河原崎長一郎と岸惠子の両親が切り盛りする電器店の娘・道子(真行寺君枝)と恋に落ち、駆け落ちしてしまう。いい子だと思っていた子どもの突然の反乱にとまどい、右往左往する2つの両親の姿が描かれる。銀行員夫妻が住むのは田園都市線、電器店夫妻は東急大井町線「等々力」周辺とわかる。
 ここで私が「おや?」と思ったのが、河原崎と岸の夫妻。なにかと外回りで店を開けがちの夫に代わり、住居と合体した店を守るのが岸惠子だ。向いのおせっかいな不動産屋のおばさんほか、たびたび訪問者を迎える。その際、岸が客に出すのが、果物の缶詰なのだ。ミカン、パイナップルの缶詰を冷蔵庫に常時し、ガラス食器に盛り、客をもてなす。のちの回で、せんべいやケーキも登場すると判明。
 一つには、店番をしながら夫の食事を作る、買い物に行くにもままならない身として、手軽に、手早く客に出せる(しかも日持ちもする)おやつとして、果物の缶詰が選ばれたのではないか。しかも安い。私はすぐ「乗る」タイプで、スーパーへ行って白桃とミカンの缶詰を買ってきて食べた。ちょっと記憶にないぐらい、久しぶりのことである。俗悪だが、類例のない甘さが口に広がる。
 回が進み、家出した子どもの働いている場所が分かり、2組の両親が新宿駅西口からタクシーに乗る。向かうは「淀橋市場」(東京都中央卸売市場)。青果や花を扱う巨大市場で、現在の所在地は「北新宿4丁目」だが、旧町名の「淀橋」をそのまま冠している。このあたり、私にとっての東京の穴で、足を踏み入れたことがない。一度、探索してみようと思っている。


「大波小波」に揺られて消えて
 小田切進『大波おおなみ小波こなみ 匿名批評にみる昭和文学史』(東京新聞出版局)という全4巻の本が出ている(1979年刊)。「東京新聞」にもう80年以上、今もなお連載されている匿名コラムが「大波小波」である。前著は1933年から64年までの掲載分からの抜粋。匿名というスタイルだけに辛口が売り物で、ときに物議を醸すこともある。しかし、文壇と呼ばれるものが消滅し、本や雑誌の売上げを含めて文芸自体に力が失われ、匿名コラムとしても斧の振るいようがないのか、昨今は話題になることも少ない気がする。
 しかし、過去のものを無責任に読むのは面白い。第4巻は1960年から64年分のセレクト。巻末の索引から、登場数の多い人名を拾うと、伊藤整、大岡昇平、川端康成、高見順、中村光夫、平野謙などで、いずれも8回以上取り上げられている。伊藤、大岡、高見は小説家でもあるが、批評も手がけ、「大波小波」では後者の仕事が話題に上がる。批評の時代であったのだ。
 論争などのややこしい議論はさておき、ここに紹介されたささいな小説家のエピソードが私などには面白い。たとえば武田泰淳たいじゅん。若き日、スポーツ青年でろくに文学書を読まぬ「苦労知らずのお坊っちゃん」だったという。酒、タバコ、オンナにもうとい。戦前の話。あるとき、仲間たちと新宿の遊郭を通ったら、武田が「ずいぶん立派な支那料理屋がたくさんあるな」と言ったので、まわりが驚いた。おそらく雪洞などが吊り下がる遊郭街を、中華街と見間違えたのである。それほど、若き武田はオンナを知らなかった。
 中央線文士が将棋を指し、酒宴を催すため集った「阿佐ヶ谷会」。メンバーの一人で私小説作家の外村とのむらしげるは妻恋の人で、酔うたびに「オカアちゃん」を連発し、舞い踊ったという。妻が働きに出て、一家を支えた。たまに外村が用事で外出すると「どんなに遅くても阿佐ケ谷駅の待合室で夫の帰宅を待っていた夫人。通勤する夫人を散歩をかねて送っていく外村」の姿が目撃されている。なんだか、こういう話が私は好きなんだなあ。エノケンが歌う「私の青空」が、頭の中で流れるようだ。「夕暮れに仰ぎみる 輝く青空/日暮れて辿るは わが家の細道」(堀内敬三訳詞)。

 
(JASRAC許諾第9023555002Y38029号)

(写真とイラストは全て筆者撮影、作)

『これからはソファーに寝ころんで 』(春陽堂書店)岡崎武志・著
旅先で起こった出来事、日常のささやかな発見。人生の寄り道・迷い道で心に刻んだことを、著者自身のイラストや写真とともにエッセイでつづる。それは、思わず「自分も出かけたくなる」「追体験したくなる」小さな旅のガイドにも。
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この記事を書いた人
岡崎 武志(おかざき・たけし)
1957年、大阪生まれ。書評家・古本ライター。立命館大学卒業後、高校の国語講師を経て上京。出版社勤務の後、フリーライターとなる。書評を中心に各紙誌に執筆。「文庫王」「均一小僧」「神保町系ライター」などの異名でも知られ著書多数。