【第11回】


インタビューという仕事
「サンデー毎日」の著者インタビューの仕事がときどき回ってくる。同欄には複数のレギュラーインタビュアーがいるが、私は「大物担当」(だそうだ)。たしかに、これまでここで担当したのは、小林信彦、大橋巨泉、宝田明、柴田翔、古井由吉、黒井千次など、いずれも80歳越えの大御所ばかり。私は、こういう仕事(雑誌インタビュー)をするには、60過ぎと少し年を取り過ぎている感がある。逆に取材を受けるとして、60過ぎの人が来ればやっぱり驚く(例がないでわけではない)。しかし年の功もあって、何より若い時から諸氏の仕事を見てきたことは利点になる。にわか勉強でも、ある程度の対応はできるが、話のなりゆきで方向が思わぬところへ向いた時、やっぱり蓄積と経験がものをいう。そう信じたい。
 今回、サンデー編集部の書評欄担当のSさんから「岡崎さん、出番ですよ。大物です」と言われた相手が歌手の由紀さおりさん。私は15年とか20年前に一度インタビューしている。1969年に「夜明けのスキャット」でデビューして、今年は歌手生活50周年。それにあわせてコンサート、オリジナルCD発売などイベントがあり、『明日へのスキャット』(集英社)という聞き書きの本も出た。この本について話を聞くことに。
 私のインタビュー術は、まず時間を守ること。与えられた時間からはみ出すことのないよう気をつける。たいてい1時間で、挨拶や、場合によってはカメラマン同伴のカメラ撮影があるなら、その時間も必要だ。だいたい45分、と心がけている。あまり多方面に話題を振らないで、3つか、4つテーマを決める。たくさん話を聞いても、800字とか1000字では生かせない。取材を受ける側に私がなることもあって、生い立ちや、そもそもの古本とのつき合いは、などと初歩的なことから始められると、これは大変だぞと思う。たいていそれは、原稿には生かされないのだ。本来は取材者が下調べしてくることを横着して聞いてくる。ぜったい原稿では書かれないと考えると、がっくりくる。インタビュアーのエゴが入ってはならない。
 あとは、なるべく場をくつろぐよう心がけること。できれば、インタビュー中、3回ぐらいは相手の顔に笑みが浮かぶようにしたい。どんなに大御所、ベテランでも、取材を受けるとなるとそれなりに身構え、緊張するものだ。なごやかな時間を作りたい。相手を怒らせない程度に、多少、バカなことも言う。このことが私のインタビュー術の特徴ではないか。由紀さんの時は、歌手生活50周年ということで、「電気洗濯機ならとっくに壊れてますね」と私が言った。由紀さんは笑った。「しかも、昔の洗濯機は、脱水がハンドル式で(と手で動作を再現し)、“のしいか”みたいになって出てきた(笑)」とつなげて下さった。これで、このあとがやりやすくなった。もし、固い表情でこれを受けたら、以後、軽口はつつしもうと思っていた。
 取材するにあたって、充分に下調べをするのはもちろん、できれば自分なりの「由紀さおり論」を立てて、相手に刺激を与えたいとも思う。「ああ、私って、そう言われてみればそんなところがあるわ」と、ちょっと得をしてもらいたい。すべてがうまくいくとは思わないが、雑誌編集者時代から、インタビューは数限りなくこなしてきた。ライターという仕事の中でも、インタビューは刺激的で重要な営業品目である。

靴を履いている大人を見た
 この夏、何度目かの手作り「カレー南蛮」を食べながら、録画したBSテレ東の「よみがえれ!! あなたの青春 フォーク&ポップス!」を見る。70~80年代フォークが、完全に「懐メロ」化した感あり。また「神田川」に「なごり雪」かと辟易するのだが、なんとなく見てしまう。トークの時間がけっこうたっぷりと取られてあって、初耳の話は思わずメモをする(リビングのテーブルに自分専用の椅子があり、そばにメモ帳をいつも置いている)。
「懐メロ」フォーク番組に欠かせないイルカが話す。「河口湖で(アルバムの)レコーディングがあり」というから、1975年「夢の人」のことであろう。ここでレコーディングスタッフとミュージシャンの合宿があり、ちょうどイルカが担当していた「オールナイトニッポン」が、この河口湖スタジオから生演奏ありの中継で放送されたこともある。言っておきますが「夢の人」は名盤ですよ。このとき、バックミュージシャンの中に松任谷正隆が参加、婚約中のユーミンを連れてきていたという。イルカは「ユーミンと枕を並べて一緒に寝たんですよ」などと明かしていた。2人は翌年11月横浜のカトリック山手教会で結婚式を挙げるのだ。
 小椋佳はデビュー当時の逸話を。小椋は東大法学部卒のエリート銀行マンで、歌は好きだが「自分が歌いたい歌がない」というのが理由で作詞作曲を始めた。そのきっかけとなったのが、1966年から東海ラジオ制作で全国ネットされていたラジオ番組「星に唄おう」だった。荒木一郎の番組で、テーマ曲として作られたのが「空に星があるように」。日本のスタンダードと言ってもいい名曲でヒットする。これを聴いた小椋が感化された。小椋と言えば、長らく取材も受けず、人前に出ず、レコードジャケットにも自分の写真を使わなかった。謎の人であった。その点について「人前に出る顔じゃないという自信があった。顔を出していたら売れてませんよ」と。申しわけないが納得する。
 終盤に高田渡の息子・高田漣が登場。「小さい頃からコンサートの楽屋でうろちょろしていた」と小室等。学齢前に漣が知っていた大人は、フォークの人たちばかり。そこで漣が言う。「小学校に入って、大人がみんな靴を履いているのに驚いた」。たしかに、60年代末から70年代フォークの面々は、みなサンダルのようなものを履いていた。あがた森魚もりおにいたっては下駄だった。しばらく伝説の人・高田渡の思い出話でスタジオが盛りあがる。加藤登紀子の目撃談。楽屋で高田渡が寝ていたが寒い。気づくと、ギターケース(ソフトタイプ)にもぐり込んでいた。そんな話のあとで、漣が父親の歌「コーヒーブルース」「自転車に乗って」を歌った。格別であった。こういうことがあるから、ややうんざりしながらも懐メロフォーク番組をチェックすることになる。

銀座は一種の外国だった
 銀座に本社移転した春陽堂書店を訪ねる。『これからはソファーに寝ころんで』の表紙を手がけて下さった森英二郎さんも見えるというので、表紙画をプリントした特製Tシャツを着ていくことに。これはもう当然でしょう。
 春陽堂書店新社屋が入るビルの最寄り駅は東銀座、ということだが丸ノ内線銀座駅から歩くことに。銀座を歩くことはいつも楽しい。和光、三越が対面する銀座四丁目交差点などいつも薄いバラ色の靄がかかっているような気分だ。そのまま晴海通りを歌舞伎座方面へ。三原橋周辺が大規模工事中。かつて、ここは三十間さんじっけん堀川が埋め立てられた後の三原橋が、太鼓橋の名残りを盛りあがるかたちで残し、地下には映画館「シネパトス」ほか飲食店などが入っていた。いま思うと、不思議な空間だったと思う。近くのビルに、女優の和泉雅子さんの事務所が入っていて、取材で出かけたことがある。和泉さんが主演された浦山桐郎きりお監督『非行少女』のことを最初に持ち出し「昔のフランス映画みたいに美しい作品でした」と私が言うと、「ま、うれしい!」と盛りあがって、取材がうまく運んだことを覚えている。

 改装なった歌舞伎座が見えてきた三原橋交差点。フリーになりたての時代、マガジンハウスのライターとして、この交差点をよく渡ったものだ(ただし私が仕事をしていた雑誌編集部は少し離れた第2別館にあった)。1990年代初頭、まだ出版界も景気がよくて、編集者にくっついて歌舞伎座界隈でビーフシチュー、うな重などをごちそうになった。ラーメンの美味い店もあったなあ。
 新・春陽堂もここからすぐ。約束の時間より1時間近く早く着き、交差点角のカフェ「プロント」2階で休憩。そんなつもりはなく持参した吉田健一の小説『東京の昔』(中公文庫版)を読む。もう3度目か4度目か。筋らしい筋はなく、登場人物は少なく、たゆたうような文章に身をまかせるタイプの小説で何度でも読めるし、一部分だけ読んでもいい。昭和初年の、春になったら風が吹いて埃っぽい東京が舞台。本郷、六本木、神田神保町、そして銀座が登場する。
「その頃は銀座が東京に住んでいるものにとって一種の外国だった」と、はるか後年に述懐するかたちで主人公が語る。「数寄屋橋という橋が本当にあってその下を掘り割りの水が流れていて三原橋も橋であり、その下を流れる水と数寄屋橋の下を流れるのを別な掘り割りが縦に繋いでいる」のが銀座という街だった。「三原橋」という言葉にドキッとする。いま私がいるのがそうだ。
 また「兎に角銀座も賑かなのよりも明るくて静かな町で人にぶつからずにゆっくり舗道が歩いて行けた」とあるが、いまじゃそうはいかない。とくに銀座四丁目交差点周辺は、半分以上が外国人観光客の群れで埋めつくされ、通り抜けるのにもひと苦労だ。夕暮れになると、各店に軒燈けんとうが点る。これは本郷の風景。
「それを幾つも見て晩飯のことを思いながら家に帰るのでもそれが東京の夕方だった。そして豆腐屋の喇叭の音も聞えて来る。そうすると電車が通る音も昼間程は響かないようで凡てこうして眠りに誘うのに似た条件が実はそれから何をする気を起すのにも適していた」
 知らないはずの時代の東京が破格の文章で無性に懐かしくなる。なお『東京の昔』は、現在ちくま学芸文庫に収録されています。


男はつらいよ 寅次郎の青春
 「男はつらいよ」シリーズの第45作「寅次郎の青春」は1992年12月公開。マドンナは風吹ジュンである。このシリーズも寅次郎が高齢化し(この年、渥美清は64歳)、さすがに愛だの恋だの、という話に無理が出てきた。それを肩代わりするように甥の満男(吉岡秀隆)の恋話にシフトしてきた。そうなると、やっぱり作品として弱いのだ。
 このシリーズはもともとそうだが、地方都市の風景を絵葉書のように切り取るところに見どころがある。この回は宮崎県日南市の港町・油津あぶらつが舞台となる。油津湾から運河が町の中心を流れており、そこに「堀川橋」という石の橋が架かっている。橋の袂に蝶子(風吹ジュン)が1人できりもりする理容室がある。ひょんなことから、寅と知り合い、蝶子に髪を切ってもらうことになる。このシーンがいい。
 理容室の椅子に座り、髪を切ってもらう寅。続いて蒸しタオルが顔にかかり、シャボンをつけ、ひげ剃りが始まる。美しい蝶子の顔が寅に接近する。開けた窓から風が入り、紗のカーテンが揺れる。店で飼っている鳥の鳴き声。ラジカセからクラシック音楽が静かに流れる。目をつぶり、ひげを剃られる寅。これほど甘美な時間がほかにあるだろうか。

(写真とイラストは全て筆者撮影、作)

『これからはソファーに寝ころんで 』(春陽堂書店)岡崎武志・著
旅先で起こった出来事、日常のささやかな発見。人生の寄り道・迷い道で心に刻んだことを、著者自身のイラストや写真とともにエッセイでつづる。それは、思わず「自分も出かけたくなる」「追体験したくなる」小さな旅のガイドにも。
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この記事を書いた人
岡崎 武志(おかざき・たけし)
1957年、大阪生まれ。書評家・古本ライター。立命館大学卒業後、高校の国語講師を経て上京。出版社勤務の後、フリーライターとなる。書評を中心に各紙誌に執筆。「文庫王」「均一小僧」「神保町系ライター」などの異名でも知られ著書多数。