【第12回】


岡谷、そして信濃境駅へ
 9月に予定していた1泊の東北取材が事情でキャンセルになり、思いがけず身体と心が空いた。いろいろ机上でスケジュールを組み立てていた、その逸る旅心に火がついたまま消えない。無性にどこかへ出かけたくなった。
 8月の終わり、5日間有効で9月10日までが期限だというのに「青春18きっぷ」を買ってしまう。そのつもりで準備して早朝、最寄り駅へ。八王子6時35分始発の普通列車松本行きに乗る。これまで何度も乗ってきた便だ。中央本線普通列車だと、だいたいが甲府あるいは小淵沢止まりが多く、乗り継いで松本というパターンが多い。しかしこれは、乗り込めば松本まで運んでくれるのだ。所要時間は約3時間40分。これを使って、何度か松本へ出かけた。
 今回は岡谷で途中下車。手前の上諏訪、下諏訪へも行ったことがある。岡谷は、ずいぶん昔に家族で車を使った信州旅行へ出かけた折り、ここに立ち寄って武井武雄の個人美術館「イルフ童画館」を訪ねたのだ。しかし、町歩きはしていない。今回、ちょっと町をぶらついてみようと思った。古い町並みが残っているはずである。
 景色を見たり、本を読んだり、うつらうつらしたりして岡谷着は9時42分。駅なかに観光案内所がない。駅を出てすぐの商業施設に市役所の出張所として案内所があるという。オープンは10時。小雨のなか、少し待つことに。空気はひんやりとして肌寒いくらいだ。シャッターが開いて、一番乗りで案内所で観光地図をもらう。「1時間ほど、町をぶらつきたいと思って」と言うと、「1時間、ですかあ!」と驚かれる。困ったことに、私は神社仏閣、名所旧跡などに興味がない。また「古い町並みが残っているところ」と言えば江戸時代ぐらいまで遡ってしまう。違うんだなあ。昭和40年代、高度成長期あたりに建てられたビルが、時代に取り残されて朽ちたように残っている「町並み」が見たいのだが、そんな説明は難しいし、言われた方も「はあ?」となる。黙って地図をもらうことだ。

 わがまま気ままに岡谷を歩き、11時14分の上りをつかまえ、もう帰還だ。岡谷も張り合いのない観光客を下ろしたものだ。今回、思うところがあって、ぜひとも信濃境駅で下車したい。なぜか? 1997年にTBS系で放送された連続ドラマ『青い鳥』は、この信濃境駅で撮られた。私は再放送で、全部ではないがこのドラマを見ている。主演の豊川悦司が架空の「清澄駅」の駅員という設定で、撮影は信濃境駅が使われたのだ。乗降者数がいかにも少ない木造平屋の寒駅で、最近になって「あれはどこの駅だろう」と検索して信濃境駅と知ったのだ。わざわざそのために訪ねて行くほどの情熱はないが、今回のような「ただどこかへ行きたい。電車に揺られてたい」という旅のついでなら似合っている。
 ここの滞在も約1時間。駅で降りたのは私のほか1人。駅はドラマ撮影の当時そのままで、「ドラマ青い鳥」うんぬんの表示があった。
 やっぱりドラマを見て訪ねてくる人がいるのだろう。20数年たって改札は無人駅に。待合室にはドラマゆかりの場所を示した観光地図、スチール写真などが飾られてあった。第1話でトヨエツが早朝の町を自転車で走り、駅へ向うシーン。商店街を抜けるが、これは隣り駅の富士見と信濃境の合成だという。現在、信濃境駅前に郵便局はあるが、商店らしきものは婦人用品店と1軒の飲食店「しなの」以外は店を閉じていた。もちろん、コンビニ、立ち食いソバ、牛丼チェーン店の類もない。人影も見当たらない。
 駅前から真直ぐ、かなり急な下り坂の一本道が延びている。その向うは青い山だ。標高は900メートルあるらしく、たしかに涼しい。駅前には白樺の木が1本立っていた。入るとここだけ人がたくさんいる「しなの」で日替わり定食を食べ、再び上り列車に。甲府、高尾と乗り継いで、まだ明るいうちに東京へ帰ってきた。私の旅は、ずいぶん愛想なしだが、これでじゅうぶん満足なのであった。


花を追いかけて親子の蜂客が移動する
 再放送でNHKのドキュメンタリー番組を見て、深く感じるところあり。途中から、しかも最後までは見られなかった。録画しておくんだった。番組HP*から解説をそのまま引いておく。
「天山蜜に挑む~蜂客(ほうか)6000キロの旅(初回放送:2004年)中国の北西部、天山山脈のふもとに咲く薬草の花から採れるハチミツは、味や滋養の面から通常のハチミツの25倍もの高値になるため、夏の1か月、中国全土から養蜂家たちが集う。上海の近くの淅江省から1組の親子が、この“一攫千金”の蜂客たちに加わろうと、ミツバチを携えはるばる6000キロを旅する。親子の夢と苦悩を追う」
 季節の花を求めて移動する養蜂家を、中国では「蜂客」と呼ぶ。ある親子が起死回生を図り、大ばくちに出る。それが天山の蜜を求めて6000キロの旅をする、というものだ。トラック、貨車、またトラックと、乗り継いで現地を目ざす。自家用のトラックを持たないのだ。それでいちいち、トラックと運転手を雇う。旅に出るため6000元の借金をし、100余りの蜂箱、テントと生活道具を積んで、野営をしながらの移動だ。これが、なんというか、さまざまなトラブルの連続である。
 振動と熱に弱い蜂は、移動の過程でどんどん弱り死んで行く。貨物車一台借りるのに6300元、トラックの運賃が5800元、貨物に積むのに雇った人夫の謝礼が3人で90元(人件費がいちばん安い)などなど。金はどんどん費消され、しかも成功の保証はない。壮大なる徒労、といわざるをえない。神話に出てくる神が人間の与える試練のようで、叙事詩のように思えてくるのだ。
*NHKドキュメンタリー プレミアムカフェ 天山密に挑む~蜂客6000帰路の旅~

切手長者
 今年(2019年)10月から、郵便料金が値上がりする。ハガキが1円上がって63円。封書が2円上がって84円となる。これまでに買ってストックしてあった切手に、それぞれ上乗せしなくてはならない。そこで、郵便局に用事があって行った際、1円と2円切手のシートを買うことにした。「それぞれシートで」と窓口で言うと、「シートだと、こうなりますが」なる返答があって、出てきたのが大きなシート。ふだん買う切手シートは、たいがい10枚だから、100枚の大きさにたじろいだ。1円なら前島密の肖像がずらり100並ぶ。2円はウサギ。使わずに、額に入れて飾りたい気持ちになる。値段を聞くと「100円と200円で300円です」と言う。当り前だ。しかし、200枚の切手を前にして、なんだか大金持ちになったような錯覚を覚える。「いやあ、金持ちになったような気分になるねえ」と言うと、窓口の局員が笑っていた。おかしな客だと思っただろう。これでしばらく、少額切手は心豊かに使い放題だ。


宇野千代が岩波文庫入り
 たやすく新潮文庫で読めると思って手を出さなかった宇野千代の代表作『色ざんげ』が、いつのまにか品切れで、岩波文庫に収録されることになって、そうだこいつがあったと目が覚めた。宇野の作品が岩波文庫入りするのはこれが初めて。1996年に死去しているから、20数年たっての快挙であった。「快挙」とは大げさな、と思われるかも知れないが、岩波文庫に権威があるのは明らかで、大江健三郎、谷川俊太郎など例外は少しあるが、基本、現存する作家の作品は長らく収録されなかった。生きている間に果たせたら、おそらく宇野は喜んだろうと思う。
 昭和初年の東京、洋行帰りの画家「僕」湯浅譲二32歳の元へ、毎日のように小牧高尾という若い女から恋文が届く。高尾の父は三菱の重役である。湯浅は興味本位で女に会いに行く。女は湯浅に「好き」と言い、ホテルへ行く。高尾の方から誘ったのだ。その後、高尾は家出をする。高尾の友人である西条つゆ子が湯浅を訪ね、高尾のいる逗子のホテルへ2人は向かう。しかし、高尾には若い恋人がいた。
 徹頭徹尾、男女の恋愛のことしか書かれていない。若い複数の女に振り回される中年男性はどこか滑稽であり、それゆえ切実でもある。『源氏物語』を思わせる色恋沙汰の明け暮れを描いた『色ざんげ』は、宇野の作家的技量を示すものだ。湯浅は宇野の愛人だった東郷青児をモデルにしているが、男を視点の中心において、男女間の駆け引きを冷静に描いている。これはとても男では描き切れない世界である。
 おや、と思ったのが、つゆ子の見合いが歌舞伎座で行われる。つゆ子は見合いを嫌い、脱出する。最近はどうか知らないが、ある時期まで、中流以上の家で見合いをする場所として、歌舞伎座がよく使われたらしいのだ。
 そこで思い出したのが小津安二郎監督『お茶漬の味』(1952)である。節子(津島恵子)という跳ねっ返りのモダンガールが、両親に無理やり見合いをさせられ、それが歌舞伎座であった。見合いなどしたくない節子は、これをすっぽかし、競輪場へ出かける。なんだか、『色ざんげ』と似た話だなあ。

(写真とイラストは全て筆者撮影、作)

『これからはソファーに寝ころんで 』(春陽堂書店)岡崎武志・著
旅先で起こった出来事、日常のささやかな発見。人生の寄り道・迷い道で心に刻んだことを、著者自身のイラストや写真とともにエッセイでつづる。それは、思わず「自分も出かけたくなる」「追体験したくなる」小さな旅のガイドにも。
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この記事を書いた人
岡崎 武志(おかざき・たけし)
1957年、大阪生まれ。書評家・古本ライター。立命館大学卒業後、高校の国語講師を経て上京。出版社勤務の後、フリーライターとなる。書評を中心に各紙誌に執筆。「文庫王」「均一小僧」「神保町系ライター」などの異名でも知られ著書多数。