第1回 作品を読む前に、乱歩について【前編】
初期の短編から大衆向け長編小説まで

江戸川乱歩研究者  落合 教幸
 江戸川乱歩という作家に興味を持ったのだけれど、いったい何から読んだらよいのだろう。このように思う人は多いのではないだろうか。乱歩の知名度は高く、小説に登場する名探偵、明智小五郎の名もよく知られている。ではまず始めに、ということになると、どの本がいいだろうか。
 これから乱歩について、いろいろな面から書いていこうと思う。気になった小説があればそこから手に取ってもらえば良いのだが、乱歩という作家の全体像を意識しながら読んでいくと、個別の小説を味わうだけの場合とは別の面白さもあるのではないか。
 春陽堂書店から出ている乱歩文庫のシリーズでは、全30巻で乱歩の小説が一通り読めるようになっている。第1期として13冊刊行され、残り17冊が第2期として刊行中でもうすぐ完結する。ひとまず第1期の13冊で、乱歩の代表作をだいたいおさえて、乱歩の全体像を把握できるような構成になるように作品を選んだ。もちろん第2期にも重要な作品はいくつもあるので、その小説についてもこれから触れていくつもりだ。

 子供のころから本をよく読んでいた人にとっては、小学生時代に少年探偵団のシリーズに触れたというのは、共通体験としてあると思う。これは今後の回で書くかもしれないけれど、少年探偵シリーズを刊行していたポプラ社が学校への営業に強く、多くの小学校の図書室に乱歩の少年物が揃えられていたことも大きい。
 小学生の時に少年探偵団を手に取ったかはともかく、中学生・高校生でこんどは乱歩の一般向けの小説に遭遇する。これらの小説は少年探偵団とは異なり、きわめて残虐な方法で人が殺され、グロテスクな死体が描かれるなど、強烈な印象を与える。
 こうした読書体験を経てきた人のなかで、一部がミステリファンとなっていく。紹介者としても優れていた乱歩の評論に導かれて、日本のものだけでなく、海外の推理小説・探偵小説に読書傾向を広げていくことになるのだ。
 しかしこのような愛好家の典型的な経路を通過せずに乱歩を読んでも、充分に楽しめる作家であることは確かだ。近年は少年期の読書も多様化しているから、乱歩に初めて触れる時期もそれぞれになってきているだろう。たとえば乱歩の随筆・評論から先に読み、ある意味でその実践といえるような小説作品に当たってみるような読み方もいいかもしれない。
 江戸川乱歩という作家の業績について、かなり乱暴にはなってしまうけれど、ひとまずまとめてみよう。
 乱歩の本名は平井太郎といい、1894(明治27)年に三重県の名張で生まれ、名古屋で育った。東京へ出て早稲田大学に進み、アルバイトと図書館通いの学生生活を送る。大学を出たあと、転職を重ねて、東京や大阪、三重などを転々とした。そうしたなかで探偵小説を書いた。乱歩の小説で最初に雑誌に掲載されたのが短篇「二銭銅貨」で、1923(大正12)年である。しばらくは他の仕事をしながらの執筆で、この「二銭銅貨」を含めこの年は3篇、翌年は2編の短篇を発表したのみだった。
専業作家としてやっていく決意をして、その次の1925(大正14)年と1926(大正15・昭和元)年には、数多くの作品を書いている。初期短篇としてまとめられるこの時期の作品には、「D坂の殺人事件」「屋根裏の散歩者」「人間椅子」「鏡地獄」などがある。中篇「パノラマ島奇談」もこの時期の作品である。その一方で「闇にうごめく」「一寸法師」などの長篇も試みていた。だが毎回の締め切りに追われる中での執筆は重荷だったらしく、長篇は短篇のようにうまくまとめることができなかった。
 ここで乱歩は自分の作風に早くも嫌気が差してしまう。1927(昭和2)年から1928(昭和3)年にかけて、乱歩は休筆している。乱歩の作家活動には、しばしばこうした作品を発表しない期間があるのだが、このときがその最初だった。
 復帰の第1作が中篇「陰獣」であった。この作品は好評で、翌1929(昭和4)年から乱歩はあらためて長篇連載に取り組むことになる。まず「孤島の鬼」で勢いをつけ、読物として娯楽性を意識した「蜘蛛男」を書く。「蜘蛛男」では、以前いくつかの作品に登場していた名探偵、明智小五郎がふたたび登場する。これ以降、「魔術師」「吸血鬼」「黄金仮面」と、明智の活躍する長篇が続く。こうした長篇が連載されたのは文芸誌ではなく、大衆向けの娯楽雑誌であった。それまで探偵小説愛好家の中で知られていた乱歩の名前も、多くの読者を抱えていた雑誌に連載することで、一般の人々にまで広く知られるようになっていったのだった。
 しかし乱歩は、こうした長篇小説には満足できなかった。当時の文学の状況としては、昭和10年前後は、大正末以来の探偵小説の盛り上がりを見せていたのだが、そうした中で乱歩は探偵小説の執筆に行き詰まってしまっていたのである。

この記事を書いた人
落合教幸(おちあい・たかゆき)
1973年神奈川県生まれ。日本近代文学研究者。専門は日本の探偵小説。立教大学大学院在学中の2003年より江戸川乱歩旧蔵資料の整理、研究に携わり、2017年3月まで立教大学江戸川乱歩記念大衆文化研究センターの学術調査員を務める。春陽堂書店『江戸川乱歩文庫』全30巻の監修と解説を担当。共著書に『怪人 江戸川乱歩のコレクション』(新潮社 2017)、『江戸川乱歩 幻想と猟奇の世界』(春陽堂書店 2018)、『江戸川乱歩新世紀-越境する探偵小説』(ひつじ書房 2019)。