第1回 作品を読む前に、乱歩について【後編】

江戸川乱歩研究者  落合 教幸
【長篇の行き詰まり、評論と少年探偵】
 江戸川乱歩の最初の全集は、平凡社から刊行された。1931(昭和6)年から翌年にかけて刊行されたこの全集は、乱歩に相当の収入をもたらすことになった。乱歩はその金額についてもかなり詳しく書いているから、経済状況が乱歩の執筆活動にいかに影響していたかもよくわかる。この年の収入は、乱歩の作家活動前半で最も多いものとなった。そのため1932(昭和7)年に再び乱歩は休筆することができたのである。

 1932年と33年、乱歩は各地を旅行するなどして過ごしたが、この休筆からの復帰は、前回の「陰獣」のときのようにはうまくいかなかった。復帰作となるはずの「悪霊」は、連載途中で中絶してしまう。同時期の別の連載長篇「妖虫」「黒蜥蜴」「人間豹」は完結できたものの、それまでの長篇と同様の路線であり、乱歩にとっては不本意だった。これらの連載が終了すると、乱歩はまた少しの間、小説を書かない期間に入る。
 日本探偵小説界は、1933年のこの頃から再び盛り上がりを見せ始めていた。多くの探偵雑誌が創刊され、探偵小説のあり方をめぐる論争などもおこなわれた。夢野久作は長篇「ドグラ・マグラ」を書き、新人としては小栗おぐり虫太郎むしたろう木々きぎ高太郎たかたろうといった作家が登場している。
 この時期に乱歩は、海外の探偵小説などを読み漁っていた。海外の探偵小説は、それまでの短篇小説の時代から、長篇小説の時代へと移っていた時期でもあった。乱歩は小説が書けないので、せめてもという気持ちもあったというが、評論を書き、探偵小説の傑作集を編集するなどして、探偵小説界に貢献することになる。
 さらに、1936(昭和11)年には「怪人二十面相」を連載、ここから少年探偵のシリーズが始まっている。乱歩の少年物は、講談社の少年向け雑誌『少年倶楽部』に掲載された。翌年には「少年探偵団」、続いて「妖怪博士」「大金塊」と連載は続いている。一月号から約一年間で完結し、連載終了するとすぐに単行本になるという流れになっている。この形は戦後に別の雑誌でも受け継がれた。
 乱歩以前にも探偵作家が少年物を書くことはあった。しかし乱歩作品ほど熱烈に読まれたものはなかったと言ってよかった。これらの少年物は乱歩に安定した収入をもたらしただけでなく、少年読者に探偵小説の面白さを教え、将来の読者を育てていった。
 ところが、社会情勢が探偵小説にとって非常に厳しいものになっていく。昭和十年代後半から探偵小説は発表の場を失い、戦争により中断を余儀なくされた。乱歩も作品を発表することができなくなり、防空訓練など地域の活動に参加するような、これまでには考えられなかった生活をするようになる。
 幸いにして乱歩の自宅は戦災を免れたこともあって、戦後乱歩はいち早く探偵小説の復興へ向けて動くことになるが、小説を書くことはできなかった。乱歩は雑誌に随筆・評論を書き、作家たちが集まる会を開くなどして、戦前からの探偵作家を盛り立てていくだけでなく、若い作家を育てていった。
 戦後の乱歩の執筆活動で、例外的に小説を書いたのは1955(昭和30)年前後で、いくつかの小説を書いている。しかし戦後の乱歩の執筆活動は随筆・評論と少年物がほとんどであった。
 乱歩の特徴は、小説を書いただけでなく、多くの随筆・評論も書いていることである。自分の小説についても、その意図や失敗した点、周囲や一般読者の評価などを赤裸々に書き残した。このような作家は珍しいだろう。また、探偵小説を広めるため、国内だけでなく海外の作家を次々と紹介していく評論も書いている。
 評論の代表的著作は『幻影城』『続幻影城』で、国内外の探偵小説を紹介する重要な役割を果たした。探偵小説で使用されるトリックの分類などもこうした評論の一部である。
 もうひとつの重要な本は『探偵小説四十年』である。戦後に長期にわたって「探偵小説三十年」「探偵小説三十五年」として雑誌に連載されたものを単行本にしたものである。回想録だが、同時に日本探偵小説史でもある。
 このような乱歩の随筆・評論を支えたのが、長年にわたって収集し、蓄積された資料である。
 資料としてまず挙げることができるのは、乱歩の蔵書である。乱歩は池袋の自宅にある土蔵を書庫として使用していた。探偵小説に関連したものだけでなく、乱歩の興味にしたがって、幅広い分野の本が収められている。奇跡的に空襲の被害にもあわずに済んで、その後の乱歩の助けとなった。
 そして、蔵書のほかに乱歩が収集したのが、乱歩自身に関する資料であった。端的にいえば乱歩は「自分マニア」なのだ。数多くの引っ越しを経たにもかかわらず、乱歩は自分に関する多くの記録を所持し続けた。少年期の同人誌に始まり、大学のレポート、初期小説の下書きなどが現在も残されている。そして、新聞や雑誌に掲載された乱歩作品の広告や、他の作家などが書いた感想・批評なども切り抜いていた。
 そうした断片の集積が、『貼雑年譜』となる。これは1941(昭和16)年に乱歩が作成を始めた大型のスクラップブックで、保存していた乱歩自身に関する資料に加え、祖父・祖母に関する記録や、乱歩がそれまで住んだ家の間取りなどの情報も盛り込んだもので、乱歩の人生が詰まった冊子となっている。
 こうした資料にも支えられて、乱歩の後半生は小説家としてより、評論家としての役割が重要になっていく。さらに晩年には、雑誌の編集にもたずさわった。新人作家を見出すだけでなく、純文学の作家など他分野の著者にも探偵小説を書かせるといった、ジャンルの活性化に力を尽くした。


 乱歩の執筆活動について駆け足で見てきた。このように、初期の短篇の時期、中期の長篇の時期、後期の評論と少年物の時期というように考えると、乱歩の執筆活動はとらえやすい。もちろんこの整理からは外れてしまう重要な作品もあるので、そうしたものも含めて、これから見ていくことになる。
 次回から、一冊ずつ取り上げ、乱歩とその周辺について書いていこうと思う。
 最初に取り上げるのは、『屋根裏の散歩者』である。乱歩の短篇を集めたもので、この本に収められた短篇から、まずはいかにも乱歩らしいと思われるモチーフなどを見ていきたい。
この記事を書いた人
落合教幸(おちあい・たかゆき)
1973年神奈川県生まれ。日本近代文学研究者。専門は日本の探偵小説。立教大学大学院在学中の2003年より江戸川乱歩旧蔵資料の整理、研究に携わり、2017年3月まで立教大学江戸川乱歩記念大衆文化研究センターの学術調査員を務める。春陽堂書店『江戸川乱歩文庫』全30巻の監修と解説を担当。共著書に『怪人 江戸川乱歩のコレクション』(新潮社 2017)、『江戸川乱歩 幻想と猟奇の世界』(春陽堂書店 2018)、『江戸川乱歩新世紀-越境する探偵小説』(ひつじ書房 2019)。